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祝! 読売文学賞(小説賞)受賞。
ジュリアンとジョージの冒険の海へ ——『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』を読む 評・中西恭子(宗教学宗教史学・詩と文藝評論)

 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』は、虚構の皮膜によって現実とつながる、もうひとつのアメリカ文学史の物語である。第二次世界大戦後の激動の時代を生きたアメリカ人作家ジュリアン・バトラーの公私にわたるパートナー、ジョージ・ジョンの遺作となった回想録の「翻訳」と、長大な「訳者あとがき」がその消息を伝える。

 

 ジュリアン・バトラーの生涯と作品をジョージ・ジョン a.k.a. アンソニー・アンダーソンの回想録『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』に沿って振り返ってみよう。

 アメリカ合衆国議会上院議員の家に生まれたアイルランド貴族の末裔にして遊蕩児、高等遊民として生きたかもしれない美貌の「花咲く乙女」ジュリアン・バトラー。きわめて規律と規範意識に厳格な中産階級の家庭に育った不可知論者で、ジュリアンと出会わなければ生真面目に天涯孤独の生を生きたかもしれない上唇かたい「最後の清教徒」ジョージ・ジョン。まったく資質を異にする1925年生まれのふたりは名門寄宿学校フィリップス・エクセター・カレッジの寮のルームメイトとして出会い、生涯の共犯者となった。ジュリアン・バトラーの「作品」は当時のアメリカ合衆国の社会と文学に抗い、戯れ、挑発するものばかりだ。

 米国海軍従軍中のジュリアンが上官の目を盗んで書いた男娼物語を学生時代の作文の添削の延長のつもりで徹底的にジョージが改稿したにもかかわらず、ジュリアンがこれは僕の作品だ、僕の名前で出版したい、と強弁したデビュー作『二つの愛』(オリンピア・プレス、1948)以来、ジュリアンとジョージの合作による作品はジュリアン名義で発表されることになった。

 社交とメディア対応を担うのはジュリアンだ。上流階級出身ゆえの率直で天真爛漫な人柄と富が彼の魅力を支えている。時代の風を読み、交友からも着想を得て、自由奔放な小説のアイディアをつぎつぎに提示し、TPOに応じてファッション・アイコンとしてロココ様式の歴史衣裳から同時代のトップモードの婦人服まで自在に着こなす美貌のゲイ・アーティスト。虚構ならではの徹底したセレブリティぶりなのだが、溜息が出るほどグラマラスでスキャンダラスだ。メディア映えするので対談やインタヴューも一手に彼が引き受ける。

 ジョージは裏方に徹した。ジュリアンのアイディアを西洋古典や古代ギリシア・ローマ史の引証と結びつけ、流行の文体を鋭く見抜き、堅実な技術でアメリカ文学史に残る傑作に仕立てあげてゆく。編集者の生業を通して鍛えた深い読みと校閲と改訂技術の腕が鳴る。作家にとっての頼もしい共同制作者像の一類型でもあろう。

「ジュリアン・バトラー」の作品は、実在の名匠が喜んで映画化を申し出そうなシネマジェニックなものばかりになった。ローマ皇帝ネロの情人スポルスを主人公にした『空が錯乱する』(オリンピア・プレス、1950、映画化1960[ウィリアム・ワイラー監督作品])。ニューヨークの華麗なアート・シーンとゲイ・ワールドを背景に、ペトロニウス『サテュリコン』さながらの冒険を繰り広げるゲイ・カップルを描く『ネオ・サテュリコン』(オリンピア・プレス、1953、映画化2014[オリヴァー・ストーン監督作品、マッツ・ミケルセン主演])。「ジュリアン・バトラー」本人の半生を大いに虚実をまじえて回顧する自伝的小説『ジュリアンの華麗なる冒険』(リトル・ブラウン&カンパニー、1964)。ドラッグ教団の教祖ナディア・リアサノフスキーの語りとそのしもべの映画監督サンディ・ジョーンズの「報告書」で構成されるサイケデリック・シクスティーズの宗教小説『終末』(ランダムハウス、1968、映画化1970[ケン・ラッセル監督作品])。

 ジョージの語る梗概と、制作過程のエピソードにふれるだけでも、知的にも美的にも物語欲も満たされそうで、じっさいに読んでみたくなる。発表するたびに世間と文壇の顰蹙を買いながらも、二人はすてきにステップを踏んで時代と巧みに踊ってみせる。

 二人の交友も華麗だ。重要人物は本書の著者である川本直を作品によって文学の世界に招いたゴア・ヴィダルだ。寄宿学校の寮でジュリアンとジョージの隣室に住んだことから、二人の人生に深くかかわってゆく。ヴィダルとトルーマン・カポーティやアンディ・ウォーホルら実在の革命的なクィア芸術家たちや、作中世界で二人の生涯の友となる自由で大胆な気性の小説家ジーン・メディロスは、鮮やかな実在感をもって息づき、語り、ときに大暴れする。「ジュリアン・バトラー」を敵視するクローゼット・ゲイの右派論客にすら、虚構の人物であるのに存在の確かな手触りがある。川本自身が旺盛に摂取してきた文学と芸術家たちのことばが脳髄のなかで熟し、鮮やかな現実感をそなえて作中世界に反映される。同時代の音楽と前衛芸術が的確に配置され、作家群像の心象風景を彩る。

「ウラディミール・ホロヴィッツの弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番は、オカマのオカマによるオカマのための賛美歌だ」にはじまる冒頭場面に読者はまず圧倒されるだろう。「クリス」と「ジュリー」がウラディミール・ホロヴィッツのアメリカデビュー25周年記念演奏会を聴きにカーネギー・ホールに行き、ホロヴィッツのピアノに挑発されて爆走するジョージ・セル指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴きながらボックス席で戯れる。作中の『ネオ・サテュリコン』からの引用である。この場面は、ことばによってはじめて自由になれるがゆえに、ジョージがジュリアンに乞われるままに着想源となった二人の関係を盛りに盛ってしつらえた巧みな虚構であり、虚構を虚構として理解できない読者の存在ゆえにスキャンダルにもなった。文学の虚実の構造への洞察が光る。

 中年の危機への言及も作中世界にリアリティを増し加える。ジョージの野望と挫折と、迷走するパートナーシップのエピソードである。

 ジョージは自分の名前で手堅い作家として成功したかった。寄宿学校時代の思い出を着想源とする『かつてアルカディアに』(1959)は英国で刊行され、1961年にウィリアム・フォークナー賞を受けた。編集者出身の実務家教員として信望も得て、同年、母校コロンビア大学創作科の准教授に着任する。しかし、学生は創作科を卒業したところで作家になれるわけでもない。欺瞞に満ちたシステムにジョージは倦み疲れる。ローマにペントハウスを購入したジュリアンは若者を誘惑しては寂しさを紛らわし、ジーンと世界漫遊の旅に出る。そして、アンディ・ウォーホルとその崇拝者イーディ・セジウィックを着想源に、ジュリアンみずから原案を吹き込んだ宗教小説『終末』の録音テープと、ジュリアンが担当編集者と見事に整えたプロモーションの展開に接して、ジョージはとうとうジュリアンが作家として独立した個性を獲得したことを悟る。

 いつか自らのもとをジュリアンは去ってゆくのではないかと煩悶し、大学の職も辞して犬を飼う生活に慰めを求めても、ジョージはジュリアンを見捨てることができない。二人は政敵を避けてイタリアで暮らす。ジュリアンは隣人に愛され、ジョージは中年に至ってはじめて生活の喜びにふれる。しかしジョージは自身に厳しすぎ、文学のあるべき姿への理想が高すぎた。ジュリアンのアイディアに頼らずに「ジュリアン・バトラー」の偉大な小説家としての評価を確立するために砂をかむ思いで新作『アレクサンドロス三世』を書く。ジョージに構ってもらえないジュリアンは1977年の年明け、長年の不摂生がたたって倒れる。肺癌だった。アメリカでの治療を望んでロサンゼルスに転居し、『アレクサンドロス三世』第二部の草稿を口述で手伝った翌日、4月3日に手術のかいなく死ぬ。遺体は火葬された。

 自らの匿名性の高すぎる名前が嫌いだったジョージはジュリアンの死によってとうとう裏方稼業から解放されるのだが、やはり寂しかったのだろう。イタリアに戻って孤独を紛らわすかのように、ジュリアンの誘惑の手法をまねてローマの街で聡明そうな東洋系の青年に声を掛けて、自ら選んだ名前「アンソニー・アンダーソン」をはじめて名乗る場面が圧巻だ。誘惑も、ジュリアンの影にかくれてできなかったことかもしれない。ジョージのほんとうの人生が始まる。

 

『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』本編はここで終わっている。しかし、物語は終わらない。現実の川本直自身がゴア・ヴィダルの足跡を追って「ゴア・ヴィダル会見記」を書いたように、作中世界の文芸評論家「川本直」が、ジョージと作家「ジュリアン・バトラー」のその後を伝える。

 作中世界の「日本」では、「ジュリアン・バトラー」は無視できない作家として遇されている。長篇小説全作品と『かつてアルカディアに』は、吉田健一、鮎川信夫、日夏響、多田智満子、前川祐一ら、ふさわしい翻訳者と版元を得て、ふさわしい時期に翻訳出版されている。吉田健一や三島由紀夫もリアルタイム読者として「ジュリアン・バトラー」の作品に言及している。「川本直」は、1995年、15歳のときに読んだ日夏響訳の『終末』以来、「ジュリアン・バトラー」の作品に夢中になり、文学の曠野へ分け入った。

 ジョージはジュリアン亡き後、ジョージ名義で「ジュリアン・バトラー」のインタヴュー集や自身の評論集をランダムハウス社から上梓するかたわら、アンソニー・アンダーソン名義でデダルス・ブックスから小説を発表していた。エピクロス主義に傾倒したルネサンスの人文主義者の遍歴を描く『ある快楽主義者の回想』(1995)、人肉食シェフが主人公の『アンソニーの密かな愉しみ』(2000)、唯美主義者の出版人を描く『美の黄昏』(2006)である。オスカー・ワイルドら世紀末の唯美主義者とも交際のあった出版社社主の祖父に文学の趣味を鍛えられ、ことばの世界に自らの場所を見いだしたジョージの資質が花開く。

 1920年代日本の英文学愛好青年たちがウォルター・ペイターやオスカー・ワイルドを耽読して「美の黄昏」や帝政盛期ローマの架空の「享楽主義者」マリウスに思いを馳せたように、「川本直」もジョージ=アンソニーの作品を読む。2015年にはとうとう「ジュリアン・バトラー」の足跡をたどる旅をし、ジョージに会いに行く。

 ジョージはロサンゼルスで秘書とタイ出身のピアニストの養女と猫と暮らしている。時々ジーンが遊びにくる。かつてジョージがローマで声をかけた青年・王哉藍(ウォン・セイラン)はジョージの薫陶を受け、愛情を注がれてアメリカ文学者として大成し、ジーンとともにジョージの遺言執行人となった。矍鑠たる89歳は芸術の家族に囲まれてしあわせそうだ。

 2016年7月31日、ジョージが91歳で死ぬと、フェイスブックに設置された「ジュリアン・バトラー」の公式ページを通して、「ジュリアン・バトラー」の真実が明らかにされる。アンソニーはジュリアン亡き後の自身の人生の回想を着想源とする小説『新しい生』(2015)と回想録『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(2017)に託して、ことばの世界に生きる二人の生の実相と、ほんとうの自分の名前を伝えてこの世を去った。遺言によって、アンソニー・アンダーソンはジョージ・ジョンの筆名であり、「ジュリアン・バトラー」名義の作品はジュリアン・バトラーとジョージ・ジョンの共同制作であったことが、そして今後ジョージ・ジョン名義の作品はアンソニー・アンダーソン名義に、さらに「ジュリアン・バトラー」名義の作品は今後ジュリアン・バトラー&アンソニー・アンダーソン名義に書き換えられることが告示された。世界の文学関係者は騒然となる。「川本直」はジョージ=アンソニーの遺作の翻訳を通して、性的少数者や祈りの場を求めて彷徨する人にやさしいとはいえない社会で自己形成した謹厳な作家の、華麗で奔放な「もうひとりの私」との不器用でむずかしい愛の諸相を知る。

「ジュリアン・バトラー」とアンソニーの生の実相を、世界に広がるゲイ・ネットワークに支えられた二人の果敢な冒険として「川本直」自身が開示するくだりは実に鮮やかだ。アンソニーの芸術の家族たちと連絡をとりあって「ジュリアン・バトラー」の真実を見いだし、彼らのつくる文芸共和国に場所を見いだす作中の「川本直」の姿にふれるうちに、読み進めるうちにこの現実にもジュリアンとアンソニーとその芸術の家族たちがいそうな気がしてくる。書誌データもみごとだ。ジュリアン・バトラーとアンソニー・アンダーソンの作品を読みたくなり、思わず発注をかけそうになった。『終末』の録音テープを、コロンビア大学のジュリアン・バトラー&アンソニー・アンダーソン・アーカイヴに聴きに行けないものかと計画を練りそうになった。

 最後のページを見ると、この作品がいっさいの虚構であることが、最後に明かされる。

 

 本書はフィクションです。

 

 巧みな偽書を扱うのは小説家の特権だ。堅実な考証あってのもうひとつのアメリカ文学史である。アメリカ文化を語るときに欠かせない宗教とエスニシティとジェンダーと階層の問題も浮き彫りにされる。作家のパートナーシップと自己形成をめぐる批評的なまなざしにも事欠かない。まさに本作は読み、書き、語り継ぎ、注解することについての物語なのだ。もう唸るしかない。

 現実の世界で活動する日本語話者の西洋古代史研究者や西洋古典学者による学術的著作・史料翻訳を信頼して読み込み、設定に応じて換骨奪胎する川本直の手腕は知的で誠実だ。

 当代最高の作家として歴史に「ジュリアン・バトラー」の名を刻むべく『アレクサンドロス三世』の執筆に呻吟するジョージの姿に、歴史書と文学の境界をみつめる批評的な観察眼が光る。天真爛漫なリベルタン・ジュリアンと、愛に不器用ゆえにことばの世界に居場所を見いだす理想主義者ジョージの人となりには、ゴア・ヴィダルが『ユリアヌス』(1964)で描いた享楽主義者ユリアヌスと、貴顕の孤独を知るがゆえに歯に衣着せずにものいうことを恐れず、「ことばのなかにすべてがある」と家庭教師から教えられて天真爛漫な側面を備えたまま永遠の世界に憧れる人になった史実の哲人皇帝ユリアヌスの人となりが巧みに配分されている。拙著『ユリアヌスの信仰世界 万華鏡のなかの哲人皇帝』(慶應義塾大学出版会、2016)も参考文献に挙げられている。言及に感謝する。

 ジョージに負けず劣らず、ジュリアンも自分の名前が嫌いだった。イタリア大使を務めてもなおカトリック信者であるがゆえに政界で差別されてきたジュリアンの祖父はエドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』を耽読し、政治と宗教の理不尽と戦うユリアヌスの果敢な姿に感銘を受けて孫にその名を託した。ジュリアンとしては、遊蕩児であっても美に満ちて祈れる場所が必要で、家族の宗教であるカトリック教会との関わりを保ち続けたのに、「背教者」と同じ名前なのは心外だったのだろう。

 宗教とルーツとアイデンティティ。アメリカ文学に欠かせないテーマだ。世代を超えて祖父から孫に、作家から読者へと伝えられることばの世界の華を通して、本書ではこの主題が語られる。

 ジョージよ、厳格すぎる環境をはねかえせ、お前が不可知論者であっても、家族がルーツを語らなくても、美は祈る場所を与えてくれる。声をもて、美を継ぐものとなれ。

 ジュリアンよ、18世紀の自由思想家たちが喝采したあの皇帝のように、勇敢に理不尽と立ち向かう機智に富んだ貴顕であれ。

 ふたりの祖父の願いは意外な形で結実した。「ジュリアン・バトラー」とアンソニー・アンダーソンである。

 この物語を語る川本直の筆致にはいっさいの深刻癖がない。少年時代のジュリアンはイーヴリン・ウォー『ブライズヘッドふたたび』に登場するカトリックの良家の少年セバスチャンにも似ている。架空の書物を通して文学史を語る試みは、ウラジーミル・ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』や『青白い炎』、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』も想起させる。日本語世界のボーイズ・ラヴ文学や漫画を連想させる愛の描写の実験や、魔夜峰央『パタリロ!』を想起させるスラップスティックなユーモアにも事欠かない。

 書かれるべくして書かれ、満を持して登場しためくるめく小説の快楽に誘う傑作だ。

 漕ぎ出そう。ジュリアンとアンソニーの物語の海へ。

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