単行本 - 日本文学

『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』完結記念対談 柳美里×李龍徳「未来への苛烈な祈り」 - 2ページ目

現代を物語に描くこと
危険に触れるラインを行く

柳 私が書いてきたこと、書こうとしていることと、龍徳さんが書いてきたこと、書こうとしていることには、接点があると感じています。
 ひと言ではなかなか言えないけれど、敢えて言ってしまうと、ものごとの限界線に触れているところでしょうか。社会の内にいる私たちには法律上や倫理上のタブーや違反が事細かに明示されています。それはもちろん了解しているんですが、書きながら、いつの間にか社会の隅っこに追いやられ、限界線、境界線の上に立ってしまっている時があります。そこに立ちたくて立っているわけではないのですが│。それは、やはり、「在日」という出自抜きには説明できないところなのかもしれませんね。

李 小説を書いている時に、ある種の「向こう岸に触れる瞬間」みたいなものを増やしたいという意識はあります。そこまでしないと響かないと思うんです。それでも響かないかもしれない。そうした問題提起を限界まで進めたい、向こう岸まで行きたい、というのは柳さんの書く姿勢でもあると思います。またこれは僕の超えなくてはならない小説作法としてのテーマかもしれませんが、小説をちゃんと結末まで閉じたパッケージとして完成させたいという欲望がどうしても抜けない。柳さんは、『命』を書きながら、小説が破綻することを恐れなくなっていった、と対談でおっしゃっていましたね。すると物語の構成美についてはどう考えていらっしゃるんでしょうか?

柳 『命』は、わたしの伴侶の癌が発覚した半年後に週刊誌連載を開始した闘病記です。連載開始から一ヶ月後に私は息子を出産し、その三ヶ月に伴侶は死んでしまった。でも、連載は死後二年間も続いたんです。もはや闘病記ではありませんよね。『命』『魂』『生』『声』で描いた時間は、過去から未来へと延びる直線ではないし、同じリズムで回り続ける時計のような円環でもありませんでした。方向もリズムも失なわれてしまった「喪」の時間の中で、過去への射程が延びていって、無限の広がりを持つように感じられたんです。『命』四部作は、書かなければよかった、と激しく後悔した時期もあるんですが、いま振り返ると、あの連載を続けることで得た時間感覚が『8月の果て』に繫がったんだな、と思います。

李 『ゴールドラッシュ』の時からは文体が変わっていますよね。『ねこのおうち』になるとさらに饒舌体からも変わって、簡潔になっている。いま『ゴールドラッシュ』の続きを書いていらっしゃると聞きました。

柳 そう、まさに、いま、『ゴールドラッシュ』の続編を書き出そうとしているところなんですよ。タイトルは、『Diamond Pigeon』。ほんとうは、『ゴールドラッシュ』の翌年に書き出したかったんですが、さっき話したように、翌年に伴侶の癌と私の妊娠が同時に発覚して、『命』を長期連載することになり、前々から約束していた『8月の果て』の新聞連載も同時進行で始まりましたからね。来年こそは、と思いつつ、なかなか書き出せずに、二十年以上が経ってしまいました。私の場合、自分でいくら書き出そうとしても、きっかけとなるような出来事が起きないと、その物語に引き寄せられることはないんです。
『Diamond Pigeon』の場合は、二つの出来事がありました。一つは、あるパチンコ屋の先代が、ベルギーからダイアモンドの密輸をしていたという話を、ある筋から聞いたんです。ヤバめの話なので、あるパチンコ屋、ある筋と匿名にしておきます、その密輸方法というのが、非常に面白いんですよ。ベルギーという国は、昔からレース鳩とダイアモンドで有名なんですね。日本からベルギーに行く。レース鳩を購入する。ダイアモンドを購入する。鳩の嘴にダイアモンドを押し込む。鳩には砂袋があり、ダイアはそこに隠されます。日本の自宅に到着したら、ナイフで鳩の首を切断してダイアを取り出す、というやり方です。その男は、ダイアモンド密輸で儲けた金でパチンコ屋を創業したそうです。その話を教えてくれた方もパチンコ屋なんですが、ビルの屋上にたくさんの鳩を飼っていて、見せてもらいました。

李 鳩を飼っている人がみんな怪しく見えそうです(笑)。

柳 もう一つの出来事は、刑務所から届いた一通の手紙です。『ゴールドラッシュ』を書いている最中に、刑務所に収監されている方からお手紙が届いたんです。私のエッセイ集『家族の標本』の感想が綴られていて、「自分の家族は悲しくつらい出来事ばかりだったけれど、自分がイメージする幸せな家族は、暖炉のある家に住んでいます」という文章が胸に響き、すぐにお返事を書いて送ったんです。どういうことを書いたのかは憶えていないんですが、その返事がですね、二年前に届いたんです。わたしの返事に対する返事です。刑務所内では身内以外から届いた手紙は見ることができない規則らしく、女性からの手紙が届いているということのみ知らされていたが、名前は教えてもらえなかった。二十年の刑期を終えて出所し、こうやって手紙を書いている、と。それから文通を続けて、大阪市西成区にある生活困窮者の保護施設にいるということなので、会いに行きました。凄まじい暴力の中で育ち、暴力事件に巻き込まれた彼の人生の物語に耳を傾けているうちに、父親を殺害した『ゴールドラッシュ』の十四歳の少年が大人になって横浜黄金町を歩く姿が見えてきたんです。

李 では、モチーフとしての神戸連続児童殺傷事件の少年Aとは少し離れましたか?

柳 よるべなき存在の人間が、暴力を存在の座標軸にして破滅するという意味では、繫がっています。

李 僕は一九九七年の事件当時に、少年Aが書いたという掌編小説が週刊誌に掲載されたのを読んで、それにうっかり感心してしまったんです。うまいと思ったのを憶えています。

柳 「懲役13年」という文章ですね。

李 文才があると思った。まあ当時の印象ですから改めて読み返すとどうかわからない。しかし後年の『絶歌』は、いかにも元文学青年が書いたというような文体で鼻白むのみでした。そう、カリスマの正体の暴かれる瞬間というのが僕の文学のテーマでもあります。とはいえ、人生は続くし、世界は続く。

 

日本の「業(ごう)」と韓国の「恨(ハン)」
もはや自殺はドラマにならない時代

李 「在日文学」を引き継ぎ更新するつもりの僕が常々心がけているのは、風通しのいい小説を書きたい、ということです。僕は基本的には暗い小説を書いているんですが、それでも風通しはよくしたい、湿度は低くしたい。本当は、読後感もよくしたいと思っているんです。人からの感想では読後感が悪いとよく言われますが(笑)。

柳 『竹槍』はラストシーンがまず念頭にあったんですよね。最終地点が決まっているのに、多くの登場人物が二人に結び合わされ、他の二人と絡んで、縺れ合って─、でも、登場人物の耳元でひゅうひゅう風が鳴っているような疾走感がある。いくら疾走しても、焦れている。どんなにスピードを上げても速度が足りないとでもいうように、焦れている。最終地点に用意された出来事に回収されない勢い、風圧みたいなものを感じました。

李 韓国語で「恨」という言葉がありますよね。「恨を積む」とか「恨を解く」と言ったりしますが、日本語感覚で言えば「業」の概念に近いこの「恨」は、人生や世界の不条理さをため込みます。その積みかさねを「解く」そのカタルシスまでの過程を含め、この概念を言い表した全体像と僕は理解しているのですが、小説書きとしての僕は、いかに恨を解くか、の方に主眼を置いています。たとえばこの『竹槍』でも、ある信念の薄い差別主義者が発作的に、痙攣的に「向こう岸に渡る」シーンを描いたつもりです。またそれこそが、小説技術的に恨の解かれた瞬間のつもりでした。まあ所詮、瞬間は瞬間ですが。柳さんにとって、恨とはどういうものでしょうか?

 

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