単行本 - 日本文学
新・芥川賞作家の遠野遥はデビューのときなにを綴ったかーー第56回文藝賞「受賞の言葉」
遠野遥
2020.07.21
このたび第163回芥川賞を受賞した遠野遥さんは、昨年、「改良」で文藝賞を受賞し作家デビューしました(選考委員:磯崎憲一郎、斎藤美奈子、町田康、村田沙耶香各氏)。芥川賞受賞を記念して、第56回文藝賞の「受賞の言葉」を公開します。
受賞の言葉
遠野遥
受賞を機に、今までに書いたいくつかの小説を読み返し、トイレの場面がやたら出てくることに気づいた。頻度が高いだけでなく、トイレの中で何かイベントが起こることも多い。
どうしてだろうと考えて、10代の頃、学校の授業をまともに受けられない時期があったのを思い出した。教室の中で椅子に座っていると、股関節やおしり、ふとももの裏側あたりが急に温かくなる現象が頻繁に起こったからだ。そういう経験のない人は、なぜそれで授業が受けられなくなるのかわからないかもしれないから一応説明すると、そのあたりが急に温かくなると、まるで自分が小便を漏らしたように感じられるのだ。
10代の普通の子供が、教室の中で小便を漏らすという途轍もない恐怖と闘いながら授業に集中できるわけがない。医者に処方された内服薬も効かなかったから、私はしばしば授業を抜け出してトイレに行き、下着や制服が濡れていないことを目視で確認しないといけなかった(皮膚の感覚は前述の通り私を騙すから、目視しないと濡れていないかどうか判断できなかった)。トイレは排泄をしてしかるべき場所だから、そこにいる間は比較的安心だった。しかし、トイレにいないと安心できないというのは、もちろん惨めなことだった。トイレに対する私の執着は、過去のそういった経験から来ていると考えられる。
思えば、あのときの私はおそらく薬以外の何らかの助けを必要としていた。これまで自分以外の誰かに向けて小説を書いている意識はあまりなかったが、狭くて暗くて汚い個室の中、ひとりで便座に腰掛けて途方に暮れていたあのときの私のような思いをしている人に読んでもらえたら、少し嬉しいのかもしれない。
関係者の皆様、この度は色々とありがとうございました。
初出=「文藝」2019年冬季号