単行本 - 外国文学

いま韓国文学を語るのに欠かせない女性作家の代表作がついに刊行

 

訳者あとがき

 本書は、二〇一六年に文学と知性社より刊行されたチョン・イヒョンの短編集『優しい暴力の時代』の全訳に、二〇〇七年に文学と知性社から刊行された短編集『今日の嘘』所収の「三豊百貨店」を加えて一冊としたもので、日本版オリジナル編集である。
 チョン・イヒョンの代表作であり、二〇〇〇年代韓国屈指の短編小説である「三豊百貨店」をプラスして一冊としたい考えは当初から持っていたが、「三豊百貨店」は書かれた時期も描かれた時代もかなり違うため、一つながりに扱うことは難しい。そのため『優しい暴力の時代』本文と「作家のことば」(あとがき)で一区切りとし、その後に「三豊百貨店」を収録するという、やや風変わりな造りとなった。
 チョン・イヒョンは一九七二年ソウル生まれ。二〇〇二年に「ロマンチックな愛と社会」で「文学と社会」新人文学賞を受賞して作家活動を始めた。〇四年に「他人の孤独」で李孝石文学賞を、〇六年に「三豊百貨店」で現代文学賞を受賞した。繊細で生き生きとした描写力によって高い評価を受けてきた真の実力派であり、類まれなストーリーテラーであり、現在の韓国文学を語る際に欠かせない女性作家である。
 チョン・イヒョンの筆力が最もポピュラーな形で花開いたのが、二〇〇七年の『マイ スウィート ソウル』(清水由希子訳・講談社)だった。ソウルで一人暮らしをしながら編集プロダクションで働く三十一歳の女性ウンスの日常を描いたこの長編小説は、まさに韓国版『ブリジット・ジョーンズの日記』である。しかもそれが、保守の牙城である大手紙『朝鮮日報』に連載されたのは痛快だった。それまで中高年男性の好む重厚な歴史小説が主だった新聞小説欄を、若い女性作家の小説が、しかも次のような文章が連日賑わしたのだから。
「その一、したい人と。その二、したいとき。その三、安全に。
 これが、セックスに関する私の三原則だ。口で言うほど、簡単ではない。おもに『その二』がネックとなって、問題を引き起こした。」
 ウンスの恋とお仕事をめぐる冒険物語は若い女性を中心に熱狂的な人気を博し、ベストセラー入りし、ドラマ化もされた。今回、この小説を改めて読み返して、現在の韓国文学界における女性作家の活況はこのころからもう約束されていたのだという感想を持った。若い女性の喜びと怒り、希望と絶望が、社会の最も奥底を流れるマグマを暴きだすのだ。『マイ スウィート ソウル』は戦略的に軽妙なタッチで書かれていたが、男性社会の中で生きる道を切り開くウンスの奮闘は決して軽いものではなかった。それは回り回って、二〇一六年の『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)にまで引き継がれていると見ることもできる。

 チョン・イヒョンは、「記録者」と称されることが多い。例えば「都市の記録者」、「私たちの〈ここ〉と〈今日〉を記録する作家」など。そんな彼女が、二〇一三年から一六年にかけて書いた七編の作品につけた総称が、「優しい暴力の時代」というタイトルだ。
「優しい暴力の時代」という作品は本書の中にはない。当初、「私たちの中の天使」もタイトル候補に上がっていたようだが、いろいろと考えた末、偶然に思い浮かんだ「優しい暴力の時代」に落ち着いたという。その背景をチョン・イヒョンは「登場人物たちが、優しさとともに隠された暴力性を備えているように思えて」と語っている。また、各話の共通点については「苦痛の中にある人たちの物語、そして、彼らがその苦痛をそれぞれどう受け止めていくかを観察した物語」、また「何かをあきらめた後の物語」としている。
「作家のことば」の中で「今は、親切な優しい表情で傷つけあう人々の時代であるらしい」と述べられているように、「優しい暴力」とは洗練された暴力、行使する人も意識していない暴力だ。それはまた社会に広く行き渡った侮辱の構造の別名でもある。例えば、「ミス・チョと亀と僕」で主人公が働く老人ホームに、入居者用のエレベーターが六台もあるにもかかわらず職員用のものは一台しかないという事実のように。
『マイ スウィート ソウル』から約十年。溌剌たる若い女性の代弁者だったチョン・イヒョンはその間に結婚し、母親になり、四十代中年になった。その彼女が、現実を受け入れようともがく人々の群像を描きつつ、そこに「優しい暴力」を読み取ったことには、作家の真摯さとともに韓国文学らしいまっすぐさを見る思いである。
 以下、個々の作品について補足する。

「ミス・チョと亀と僕」
 都市でひっそりと暮らす人間と動物とぬいぐるみの物語。
 主人公のアン・ヒジュンが老婦人を呼ぶ呼称が「ミス・チョ」「ミス・チョ女史」「チョ・ウンジャ女史」と揺れるが、そのこと自体が、既存の言葉では表せない二人の関係を語っているのかもしれない。女性の姓に「ミス」をつけるのは一時期、会社の事務員など若い女性に対してよく使われた呼び方で、あまり敬意の感じられる呼称ではない(だからヒジュンは一六ページで「あのおばあさんたちはひどいな」と怒るのだ)。「女史」は社会的地位のある女性だけでなく既婚女性、年長女性を呼ぶ呼称で、ニュアンスとしては「おばさま」くらいの感じだろうか。これらを合わせた「ミス・チョ女史」という呼び方で、主人公はチョ・ウンジャさんの現在と過去をいたわっているのだろう。
 ヒジュンの父親は親切なミス・チョに何も言いださず、何もしないことによって彼女を去らせた。それもまた優しい暴力だっただろう。主人公が上司に送ったメッセージ「亡くなったんです、母が。」は、ミス・チョがかつて望んだかもしれない未来への贖罪だ。

「何でもないこと」
 十代の妊娠と出産に直面して二人の母親は大きなショックを受ける。しかし、仕事・受験・つきあい・クレーム申し立てを含む日常を止めることはできない。二人とも、きわどい打算と激情の間でもがきつづけ、時間制限の中で未熟児の生はなかったことにされてしまう。道はまたかすかにつながった、と思った瞬間に母親の頭上からかぶさってくる青い天蓋は、先取りされた断罪の予感だろうか。

「私たちの中の天使」
「死の契約金」をめぐるサスペンス風の物語だが、結局、何と何が取引されたのかはよくわからない。よしんばすべてがナムウの作り話だったとしても、作り話自体も「優しい暴力」に満ちている。はっきりしているのは、夫婦が長く続く後悔の中で子どもたちを育てていかなければならないということだけだ。タイトル中の「私たち」우리という単語には「檻」という意味の同音異義語もあり、著者によれば両方を指しているそうだ。それを思うとなおさらひやりとするような一編。

「ずうっと、夏」
 一種のファンタジーともいえる、忘れがたい青春小説だ。二人の少女が出会うKという国には具体的なモデルはなく、しいていえば著者が旅行で行った東南アジアの島のイメージが重なっているとのこと。
 この作品を読んで、映画『ハナ 奇跡の46日間』という映画を思い出した。一九九一年に千葉県で開催された世界卓球選手権大会において、韓国と北朝鮮が史上初の南北統一チームを結成し、女子団体戦で優勝した実話をもとに制作されたものである。エンドクレジットに、実際に組んだ南北のエース、ヒョン・ジョンファ選手とリ・プニ選手が抱き合って別れを惜しむ写真が挿入されていた。この二人はその後再会の機会がないままだという。南北の少女たちの交流はこのように、現実世界でも、実現しては引き裂かれてきたのである。
 一夏の成長譚というにはあまりに痛みの多い喪失の物語で、どうしても南北問題に引きつけて読んでしまうが、著者としては「韓国人でも日本人でもコスモポリタンでもない女の子が夏の国に閉じ込められて自分が何者であるかを知る物語」とのこと。
 なお、この短編は『すばる』二〇一七年十月号の特集「あの子の文学」に斎藤訳により掲載された。この機会に全面的に修正を施した。

「夜の大観覧車」
 家長の責任を背負った女性が一瞬、恋を想像して心の弾みを覚えるが、何も起きないまま季節が過ぎていく。「いかなる秘密も目撃したことはない」というようにゆっくりと下降していく観覧車は人生の後半部を生きるけだるさを示唆し、その先の死をうっすらと意識させる。失望を失望とも意識しないよう訓練されたかのようなヤンのあきらめはわびしい。しかし、ラジオ番組に投稿された「人生の苦難と苦痛に耐えるか、受け入れることを決心」した女性たちの声に耳を傾け、励まされる様子には光明が見える。
 なお、「ブルーライト・ヨコハマ」は、ある年齢層以上の韓国人は全員知っているのではないかと思われるほど人口に膾炙している。韓国では長らく、日本の大衆文化を持ち込むことが禁止されていたので、海賊盤のレコードが売れに売れたのである。

「引き出しの中の家」
 不動産に関する韓国人の情熱はちょっと想像しづらいものがある。「チョンセ」というシステムがあるため、単に賃貸に住むにも多額のお金が動きローンが必要となる。持ち家がない人の生活は苦しいし、住宅取得は資産形成の手段として利用されるので、多くの人が常に不動産価格に関心を持っている。不動産は人生と並走する大人の切実な人生設計であり、一人だけスルーしようとしてもそうはいかない。一方で、まとまったお金を準備できない若者にとっては最初から締め出されたゲームである。
 そんな中、事故物件に当たってしまったジン夫婦。そこには不穏な死がうごめくが、崩れたドミノを自分のところで取りつくろって生きていくしかない。大家もジン夫婦も、不動産屋も、気の毒な夫婦からは目をそらし、マンションしか見ていない。引き出しを閉めれば忘れられてしまう風景。

「アンナ」
「優しい暴力」の暴力性を、異なる階級に属する二人の女性の関係を通して描き出す。
 一九九七年のIMF危機によっていち早く新自由主義の洗礼を受けた韓国人は、子どもにグローバルな競争力をつけさせたいという欲望に駆り立てられてきた。英語幼稚園の学費は高額だが、早期英語教育は基本と考える親たちにとって、それは必要経費である。なお、キョンの子どもが通う英語幼稚園は英語教室の幼児部だが、普通の幼稚園から派生した英語幼稚園も存在する。
 そこに子どもがなじめず悩むキョンにとってアンナは救世主だが、救世主に同情されることは耐えがたい。最後に登場するヨーグルトが、二人の階級差をそっと示している。アンナの属する世界では食品表示などにあまり神経を遣わない。だが、英語幼稚園に子どもを通わせる母親たちの世界においては、即座に抗議すべき問題なのである。実際に賞味期限(韓国では「流通期限」といい、消費者に販売できる期間を指す)が二日程度過ぎていても健康に実害はないだろうから、集団腸炎の理由ははっきりわからないが、キョンはアンナに悪意がなかったことは知っていても、彼女をかばわない。結局アンナは仕事を失い、キョンが何を失ったかはいずれ本人が悟ることになるのだろう。
 なお、アンナが二一六ページで「次に住むところの保証金に一千万ウォンかかっちゃって」と言っているのは、チョンセの保証金ではない。彼女が住むことにしたのは月極めの賃貸だが、そこに入居するにも最初に保証金が必要なのだ(だがその金額はチョンセの保証金に比べたらずっと安い)。一方、二一七ページに出てくるおばあさんの家はチョンセだったので、ここを引き払うときに返還される保証金は高額である。わかりづらいが、こうした住宅をめぐるお金の事情すべてが貧富の差を語る伏線となっている。

「三豊百貨店」
 ボーナストラックとして収録したこの作品は、一九九五年に起きたソウル江南の三豊百貨店の崩壊事故を、十年後に振り返って描いたものである。このデパートは韓国のバブル経済の象徴だったが、安全性を無視した設計変更や手抜き工事によって膨大な犠牲者を出した。
 この作品はチョン・イヒョンにとって唯一の自伝的作品だという。彼女自身にとってもこのデパートは幼いころからの思い出の場所だったが、「私の青春は三豊百貨店とともに崩れ去った」と語っている。韓国は八七年に民主化をとげ、経済成長を実現させ、その輝きの中でチョン・イヒョンも青春を謳歌していた。だが、この事故の一年前の九四年にはすでに、同じ江南の聖水大橋がやはり手抜き工事のために突然崩壊する事故が起きている。それに続いた三豊百貨店の大事故は、不吉な予兆を漂わせる出来事だった。そして、二年後の九七年にはIMF危機が起きて韓国経済は壊滅的な打撃を被る。そこから比較的早期に立ち直ったとはいえ、韓国社会はいまだに、あのときに決定的になった格差社会の深刻化という痛手を抱えている。
 主人公は、大学を出たのに仕事が決まらないやるせなさを埋めるためにデパートに入り浸り、かつての同級生Rに会う。浮かれる世間とは対照的に何らかの疎外感を抱えて惹かれ合う二人の関係は、崩壊前のビルディングのようにかすかと揺れている。例えばRは、一日だけアルバイトをすることになった主人公に制服を着せないでくれと必死に上司に頼み込む。Rが気にしているのは、販売員などサービス労働従事者をうっすらと軽視する社会の目であり、それがわかっているからこそ主人公も「どうってことないよ」と明るく振る舞う。
 なお、二三七ページに出てくる「ソ・テジワアイドゥル」は、韓国の九〇年代を語る上で欠かせないアイコンである。九二年のデビュー以来、ダンスと歌をミックスさせたスタイルに韓国語ラップを取り入れて大成功し、韓国音楽界の革命児となり、現在のK─PO Pの源流の一つともいえる。九四年のヒット曲「渤海を夢見て」は、かつて新羅の北方にあった渤海国を朝鮮民主主義人民共和国になぞらえ、そこに住む友へのメッセージという形で統一への夢を歌い上げたもので、若者たちに圧倒的に支持された。このような熱気を帯びた音楽に夢中だった主人公が就職活動にのめり込めない心情はうなずける。
 二五〇ページでRが主人公に夜景を見せるシーンでは、彼女が江南ではなく江北(漢江の北の地区)の住民であることがわかる。江南地区は七〇年代以降急速に発展が進み、ビジネスの中心地、富裕層エリアとなった。そこに名門高校がこぞって移転してきたため、豊かで教育熱心な人々がさらに押し寄せたのである。主人公の両親たちもその一例だが、規則により娘を江南の学校に入れることができず、仕方なく、発展に乗り遅れた感のある江北地区のZ女子高校に入れたのだ。そこで出会ったRはおそらく経済的な理由による何らかの事情により、家族と離れ、薄暗い、奥まった一角にある家で一人暮らしをしている。一緒に見る夜景にも、二人の境遇の差が映し出されている。
 二五五ページに出てくる詩人、奇亨度もまた一九九〇年代のアイコンである。新聞記者として働きながら旺盛に執筆活動を行っていたが、八九年に深夜の映画館で亡くなっているところが発見された。彼の詩には学生運動にのめりこんだ青春時代を通過した直後の空虚さと、それでも残る生への哀切な思いが若者らしい筆致で綴られており、大変な人気を集めていた。私事ながら、九一年の春にソウルに住んでいたとき、ときどき寄っていた中古レコード店の主人が突然、Rが持っていたのと同じ本『口の中の黒い葉』を貸してくれたことを思い出す。
 チョン・イヒョンは二〇一三年十二月に、神奈川近代文学館で行われた日韓文化交流イベント「ことばの調べにのせて」に出演し、作家の江國香織・辻原登の両氏と鼎談をしている。その際、「(当時ニュースでは三豊百貨店の崩壊の原因が記事になっていたが)文学をしている人間としては、当時三豊デパートの中に人々が生きていたこと、またその人たちにも友達がいて、彼らを懐かしんでいる、彼らに対する思い出を持っている人がいるということ、そして、残った人としての罪の意識を持っているのではないかということに気づきました。これはまさに社会と文学の関係であり、私は文学をする人間として描く必要があるのではないかと思い、書いたものです」と語った。なお、「三豊百貨店」はきむ ふな氏の翻訳により、『すばる』二〇一四年四月号に掲載された(先述の江國香織・辻原登両氏との鼎談もここに掲載された)。きむ ふな氏の深い理解に支えられたこの先行訳が、今回の翻訳にあたって大いに助けとなった。

「三豊百貨店」に如実なように、ここに集められた物語は、さまざまな形の鎮魂歌である。近景・遠景の死、そして永遠の別れや喪失に彩られている。しかしそれらは同時に、何と生の弾力に満ちているのだろう。
 そして作業をすべて終える今になって、この短編集のもう一つのテーマは「振り返り」なのかもしれないと思えてきた。昔の恋を、罪の記憶を、会えない友を、わが子を産んだ日を、それぞれが振り返っている。幼稚園児さえ、ふとしたときに、優しかったお姉さんの姿を振り返るのだ。時代の流れが川だとしたら、韓国のそれは日本の二倍、または三倍の激しさ、速さで流れているのだろう。あっという間に流れていってしまう大小の苦悩たち。それはもう目の前にないから、自分の中を振り返るしかない。「小説で世界を学んだのだから、私の道具はただそれだけだ」という著者の言葉をそっと思い出した。
「優しい暴力の時代」ということは、かつてはむき出しの暴力の時代があったということだろう。そして今後はどうなるのだろう。「記録者」としてのチョン・イヒョンがその変化を描きつづけてくれることにひたすら心強さを感じる。
 チョン・イヒョンは『優しい暴力の時代』が世に出た直後のインタビューで何度か、「この何年か、社会は悪くなる一方だった」といった意味のことを語っているが、それは、これらが書かれた二〇一三年から一六年が朴槿恵政権の時期とそっくり重なっていることと関係しているかもしれない。その間には、三豊百貨店の悪夢の残酷な再現ともいえるセウォル号事故も起きた。その後韓国社会は大きな変化を経験し、チョン・イヒョンも次のステップに踏み出したようだ。二〇一八年に刊行された『知らないすべての神たちへ』では、ある中学校で起きた暴力事件を通して都市中産層の絶望と希望を陰影深く描き、いっそうの成熟を見せている。今後の執筆活動も、日本への紹介も楽しみな作家である。

 編集を担当してくださった竹花進さん、翻訳チェックをしてくださった伊東順子さん、岸川秀実さんに御礼申し上げる。

   二〇二〇年七月二十日
斎藤真理子

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斎藤 真理子

1960年新潟市生まれ。翻訳家。訳書にパク・ミンギュ『カステラ』、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』等。

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