
単行本 - 日本文学
どこから言葉は生まれたか?——作家・山崎ナオコーラが読む、尾崎世界観初歌詞集『私語と』
山崎ナオコーラ
2022.04.25
人類は、もともとは言葉を持っていなかった。
大昔、言葉はどこから生まれたんだろう?
「誰かに何かを伝えたくて、そこから言葉が生まれた」と多くの人が想像するかもしれない。
けれども、本当にそうだろうか? 「ふと呟いた、ちょっとしたひとりごとが、人類の最初の言葉」ってことはないだろうか?
ひとりごと、その最初は歌の形だったかもしれない。悲しいとき、つまらないとき、嬉しいとき、おいしいとき、人は歌いたくなる。誰に伝えるでもなく、自分の中で歌う。そうしないと、頭の中がごちゃごちゃしてくるから。人間には感情がたえず溢れてくるので、歌ったり、言葉にしたりして自分に向き合わないないと、頭の中を整えられない。
尾崎世界観さんの歌詞を追っているうち、そんなふうに大昔の人類に思いを馳せた。
尾崎さんは、ベッドの中でスマートフォンで歌詞を書くこともあるらしい。もしも尾崎さんが大昔にいたら、地面に寝転がって、棒で土に歌詞を書いただろうか? なんとなく、それが想像できる。
ひとりの時間に、ふっと出てくるフレーズを、そっとメモする。そのメモが、多くの人を魅了する。
「テレビサイズ」の出だし、
大事な作品を縮める事はできないけど今回だけ特別にやりますよ
というフレーズに、グッときた。
あ、これを歌っていいんだ、というか……。
一見、日常会話を切り取った、なんていうこともないフレーズのように見える。誰かに対して喋っているような語尾だ。でも、たぶん、これはひとりごとだ。
おそらく、ご自身の長めの曲に対し、「テレビで放映しやすくなるように、短めに変えて演奏して欲しい」という要望が仕事相手から提示されたときの、ひとりごと。実際には口に出していないと思う。
だって、仕事相手に対して、「大事な作品を縮める事はできないけど今回だけ特別にやりますよ」なんていうちょっと尖った言葉は、なかなか伝えられないでしょう。自分に向けた言葉に違いない。大事な作品を本当に変えていいんだろうか?って少し立ち止まって考えて、自分で納得するために、ひとりごちる。作品を短くするって、削るってどういうことだろう、って考える。自分のための言葉を使って、自分ひとりで考える。そんなときに自然と出てくる言葉が、なんともいえない世界を作り、文学的になる。伝えるための言葉ではなくて、自分と向き合うための言葉。
その感じに、グッときた。
他にも、グッとくるフレーズはたくさんある。その多くのフレーズに、「あ、これを曲にしていいんだ」という驚きがあった。
大きな共感、大きなつながり、といったわかりやすい動きではない、自分ひとりの小さな心のうねりを歌っている。それを聴くと、自分まで肯定された気になる。
自分が毎日繰り返している、小さな悲しみ、小さな楽しみ、それで人生を作っていいんだ、と。
尾崎さんは『祐介』『母影』といった、小説も書いている。触れてはいけないようなところを触るような言葉で綴られた、ぎりぎりを突いてくる物語だ。どちらもやっぱり、ラストでグッとくる。
小説と、今回の歌詞集『私語と』に共通するのは、きわめて個人的なことを書いている雰囲気だ、と私は思った。
自分の、あるいは登場人物の、個人的なことを書いている。
小説でも歌詞でも、誰かと仲良くなるため、誰かと仕事をするため、誰かと取引するため、といった目的では言葉が使われない。
その人の日常の、正直なところを、誰に忖度することもなく、その人のためだけに、言葉が使われる。
こちらは、それを覗き見して、勝手にグッとくる。
ものすごく個人的な言葉に触れたとき、人は「その感じ、知っている」「私も同じだ」と思う。
「イタイイタイ」の、
どこに行った どこに行ったんだ あたしの喉
というフレーズに接したとき、そんなことを私は自分の人生で思ったことないのに、「知っている」と感じた。私は喉を大事にする職業にはついておらず、丈夫で声が出なくなった経験も持たないのに、「どこに行ったんだ あたしの喉」と昔焦ったことがあるような気がしてくるのだ。
「燃えるごみの日」の、
誰かが決めた記念日に散々付き合ってきたんだから
一日くらい どうか好きに 特別な日にして欲しい
誕生日も クリスマスも 正月まで注ぎ込んで
誰かじゃない人と決めた記念日を見つけてね
というところでも、私は記念日なんて大事にして生きていないのに、「私のことだ」という感じがした。
そして、「見つけてね」と誰かに語りかけるような語尾にはなっているけれども、やっぱり、自分の話をしている感じがする。
おそらく、太古の人間も、「自分の人生を見つめたい」「個人的な考えを大切にしたい」「自分だけの記念日を大事にしたい」と思ったに違いない。そのときに、言葉が生まれたのではないだろうか。
言葉は、誰かに何かを伝えるためだけに使われるものではない。
自分のために使っていいのだ。
『私語と』を読んで、私はそんなふうに思った。