単行本 - 日本文学

ベランダに大いなる原野の樹木を干して —— 詩人・和合亮一が読む、尾崎世界観初歌詞集『私語と』

 詩を書く不思議さを考えることがある。

 それはどこからやってくるのだろうか、と。ずっと詩を書きつづけてきたのだけれど、あらためてふと考え込んでしまう時がある。何度も、そういう機会を経験してきたが、しかしいつも何かが分かるというわけでもない。もっと言えば、答えが欲しいというのでもない。ただそうした〈書く不思議さ〉や問いかけに囲まれてみて、詩と自分との距離を測り直してみたいと強く思うことがある。

 自分なりに良いものが書けた時は、詩の中に私じゃない誰かがふと顔を出しているような気がするものである。あるいは誰かの良い詩と出会った瞬間には、私の暮らしや呼吸そのものがそこにそのままあるような気持ちになってしまう。詩を〈書く不思議さ〉を思うのはつまり、私とは何かを感じたり考えたりすることと、どこか同じである。

 尾崎世界観さんの歌詞集『私語と』を読む。時に「読んでる時に邪魔になるし……」などと彼が書いた本の帯の文言にくすりとしながら、あるいはクリープハイプの曲を流して、この一冊のことや今を生きる人々や世界で起きている様々な出来事を考えながら、尾崎さんは「距離」にとてもセンシティブな人であるとあらためて直感した。

 そして〈書く不思議さ〉とただただ向き合いたい心の高まりを感じた。様々な問いの形がたくさんの「私」となって駅の雑踏をバタバタと歩き回っているし、たった一人の「私」が原野に立ち続ける大いなる樹木のようにこちらを見つめている感じを受けた。

 そもそも私は音楽への憧れが強い。青春時代は音楽を聴いてばかりいた。ミュージシャンになりたいとも。しかし楽譜はほとんど読めないし、ギターやドラムなども、練習してはみたもののてんで駄目であった。挫折感の反動だったのかもしれない。文学や演劇の道にのめり込むようになっていった。

 数十年がみるみるうちに過ぎて、気づくと詩人になっていた。何だか遠くに来てしまったなあと途方に暮れているうちに、合唱曲やオペラなどの作詞の機会を頂くようになった。ようやく接続点を見つけることが出来た気がして嬉しく思っている。言葉と音楽の親和性について、いつも考えたり探したりしているのが楽しい。

 冒頭のフレーズに惹かれた。「歌として一つになった言葉とメロディーを/テーブルの上に置く」「左手の指先に込めた力で メロディーから言葉を勢いよく引き剥がす」「千切れた言葉にまだ微かにこびりついたメロディーが ぬらぬらと光っている」。

 剥がした言葉を並べようとしている姿がとてもユニークである。ミュージシャンならではの鋭く光った視点がここにある。なるほど、音へと向かおうとする小さな触手のようなものが、いつもそれぞれの単語の表面で揺れているのかもしれない。私はそれを見つけるのがとても好きだ。発見するようにしてフレーズを書いているところがある。

 しかし尾崎さんは驚くべき行動に出ている。「さっと水洗いをしてそのぬめりを取り除き/ベランダに干して乾かす」。凄い。「翌日のよく晴れた朝/枯れた言葉を紙の上に並べて綴じれば」。潔い。言葉と音楽の親和……などと中途半端なことを語っているのではなく、限りなく文学という音の無い乾きを極めようとしている背中が見えてくる。

 この一冊に満ちている尾崎さんの詩の筆の豊かさは、このようにきっぱりと切り離そうとしているからこそ、よりいっそう立ちあがってくるのだろう。つまり切断されて消滅してしまった旋律と眼前の詩語(私語?)の、形の無い無と有の新しい交響がもたらそうとしている何かなのだと分かった。 ここに収められた「私語」は、こうした文学の現場からはっきりと始まっている。

 一つ一つのフレーズには尾崎さんとたくさんの人々の呼吸が宿っている感じがある。どこか言葉が言葉のおしゃべりを聴こうとしているような親しみのある印象を受ける。「あたしには何も無いけど毎日日記を書く/あたしには何も無いから毎日日記を書いている」(「アンタの日記」)。「もうどうしようもなくて僕は途方に暮れてました/どうでもいい事ばっかだどうでもいい奴ばっかだ/立ち読みして帰ろう」(「コンビニララバイ」)。

 二〇二〇年代の社会。膨大な情報と消費の都市の時間を生きながらも、はっきりとした寄る辺がなくて「何も無い」と感じさせられるような毎日について、誰しもが無力や孤独や違和感を無意識にも抱えている。それは思ったよりも深くて大きいものであることに気づかされている。それを私たちは言葉に出来ないし、語る方法を見つけられない。

 深く聴こうとして見ようとして、見えない試金石のようにして尾崎さんの言葉と声は市井の様々な道ばたに置かれている。情報の波に横流しにされたり記号の渦の強さに巻き込まれたりなどされない、錯覚のない時間と意味の真顔を言葉や音に託して届けようとしている心が映されている。

「僕は君の答になりたいな ずっと考えてあげる/別になんの保障も無いけれど 間違いだらけの/僕は君の答えになりたいな ずっと考えてあげる/心の中を見せてあげる//幸せの蓋の裏についている/悲しみを舐めて安心する」(「僕は君の答えになりたいな」)。

 もらした呟きや叫びがたくさんの人々の気持ちを支える芯のようなものになっているのは、本当の時と命の刻みを少しも逃さない彼の耳目の清澄さによるものだろう。それが数多の誰かと一人の私とを浮き彫らせている。〈書く不思議さ〉はこれからも私語と共にある。

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