単行本 - 日本文学

「私この言葉を絶対忘れない。生涯心の支えとなり続けるだろう。」宇垣美里さんが憧れる「ババヤガ」。狂熱のシスター・ハードボイルド小説 王谷晶著『ババヤガの夜』

 

 柔よく剛を制すって言葉に時々不満を感じていた。理不尽な言動や扱いに対し、優しく丁寧で相手をいい気持ちにさせるような対応をすることこそ、〝大人の女の振舞い〟であると諭されるたびに、舌打ちをしてきた。本当はハンムラビ法典が如く、目には目を、歯には歯を。殴られればその辺にある鈍器で殴打し返し、暴言にはドスのきいた怒声で返してやりたかったのに。だからだろう。『ババヤガの夜』を読んだ後、油断したら何か叫びだしそうで、気づけばぎりりと強く歯をかみしめていた。私はずっと、こんな物語が読みたかった。

 暴力を唯一の趣味としその道を極めた新道依子は、トラブルに巻き込まれ、ヤクザの組長の娘・尚子のボディーガードとして働くことになる。依子の周りには常に暴力と血煙。ヤクザたちをもなぎ倒すその圧倒的な強さ、そしてそのバイオレンス描写の生々しさに、うっとりしてしまうのはなぜだろう。「私からは、あんたらには喧嘩は売らない」「ただし、売ってきたら倍値で買う」なんて、ああ人生で一度は言ってみたい台詞No.1だ。女が暴力をふるってはいけないだなんて、誰が決めたというのか。父に座敷犬のように愛玩され、心を殺して生きる尚子も、そんな依子に苛立ち罵倒し、やがて少しずつ心を開いていくようになる。

 女を人とは扱わぬ男たちが跋扈するヤクザの世界で、出会ってしまった2人の女。互いに異なる重荷を抱え生きる女と女が、なれ合うわけでもなく、寄りかかるわけでもなく、ただこの地獄のような世界で背中を預け合い、戦う姿のどれほど美しいことか。友情でも愛情でも性愛でもない、ただ深いところで結ばれたこの関係に、名前など付けられない。

 こんな血みどろの臭気立ち込めるハードボイルドの物語を、極道の妻でもなく、美しくもなく、ただ己の拳のみで戦う女が主役で読める日がくるだなんて思わなかった。

「誰かの何かとして生きるのは、無理だ」誰かの妻や妹や娘として、男に守ってもらうのはもうまっぴらと中指を立て、自分らしく生きる道を、血まみれになって切り開いていく。その姿の清々しさに、私たち〝女〟は、やっと添え物じゃない、所有物でも男の弱点でもファムファタールでもない、ただひとりのキャラクターとして名前と人権を持てるようになったのだなと、胸がいっぱいになった。

 タイトルにある〝ババヤガ〟とはいったい何なのか。映画「ジョン・ウィック」で主人公の殺し屋がそんなあだ名をつけられていたよな……。と調べてみたところ、〝Baba Yaga〟はスラブ民話にでてくる森にすむ妖婆のことを指すそうだ。私この言葉を絶対忘れない。生涯心の支えとなり続けるだろう。

 心のきれいな優しい娘になんかにはなれない。救ってなんてくれなくていい。そんなの面白そうじゃない。悪いこともいいことも、自由気ままに色々なことをして、たまに人を救う。そんな強くてかっこいいババヤガに、鬼婆に、私もなりたい。

 

初出「文藝」2020年冬季号

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著者

宇垣美里

フリーアナウンサー。91年生。著書『風をたべる』

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