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僕はかつてこのような小説を書いてみたかったのだ。『アメリカ大陸のナチ文学』

『アメリカ大陸のナチ文学』 ロベルト・ボラーニョ著/野谷文昭訳『アメリカ大陸のナチ文学』
ロベルト・ボラーニョ著/野谷文昭訳

『アメリカ大陸のナチ文学』

ロベルト・ボラーニョ著

野谷文昭訳

【評者】中原昌也

Text: Nakahara Masaya

架空の事象について、ああでもないこうでもないと考えて過ごすのは、楽しい……ありもしないことについて、できるだけ、もっともらしく心がけて書くのも楽しい。ロベルト・ボラーニョの『アメリカ大陸のナチ文学』は、小説の根源的な面白さである、いい年した大人がデタラメを真剣に捏ねくり廻すという、まともな 人間であれば虚しくてやってられないはずの行為に、正面から向き合っている。

僕は決して文学プロパーではないが、ボルヘスやレムに実在しない本の書評集という体裁の作品があるのを知っている。だが、残念ながら、どれも読んではいない。自慢ではないが、ボラーニョの小説だって『通話』ですら最後まで読んでいない。

だが、「ナチ」というマジックが加わっただけで、どんな文章であっても急にオデッサ・ファイル度が上昇することによって、本書の輝きは増す。とはいえ特に個人的にはヒトラーに心酔した経験はないし、人種差別を肯定する思想もない。大量虐殺の写真にはいつも吐き気がする……けれども常に「ナチ」という言葉や、それにまつわるエピソードや美学が、我々を惹き付けてやまないのは何故だろう。南米に消えたかもしれないハインリッヒ・ミュラーや93歳までシュパンダウ刑務所で生きたルドルフ・ヘス、すでに死んでいたのにセックス・ピストルズと競演させられたマルティン・ボルマンを筆頭にアイヒマンやメンゲレなど、いかがわしい20世紀のフィクションは、ナチの残党を必要とした。小説においてはデイトン『SS-GB』、エリクソン『黒い時計の旅』、ディック『高い城の男』、スピンラッド『鉄の夢』などがワクワクさせてくれた恩を忘れてはいない。だが、ビネの『HHhH (プラハ、1942年)』が出てくるまで、いつの間にか「ナチ」という言葉がドキドキさせてくれる時代ではなくなっていたような気がした。ナチの末裔が、新宿歌舞伎町でボッタクリバーを経営していたとしてもガッカリしないが、ナチの旗を現代の日本で振る薄っぺらなナショナリストには、失笑せざるを得ない。「ナチ」に反応するなんて、ただの「中二病」でしかない……などと、本書をまったく読まないで想像だけで書いてみたが、その後百ページほど読んでみて、いままで書いたことが、的を射ていないのがわかった。「ナチ」はあくまで隠し味。

存在しない人の名前を真剣に考える、というのは、また創作の楽しさのひとつである。ありもしない人間が作者の本……そんな著作が何かの間違いで現実に出現し、古書店や図書館などで入手できて読めたとしても、書いた作家本人は永遠に生きられる筈もなく、どのような作品を書いたとしても、作家本人のそのものの1%でさえも地上には残らない。人間が生きた証などと人は容易く口にするが、その程度で何が世界に刻まれた、というのか。

結局、最後まで読んでみて、僕はかつてこのような小説を書いてみたかったのだなぁと自覚した。読んでからではもう遅い。ぜんぜん違うことをしないと。

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著者

ロベルト・ボラーニョ

1953年、チリのサンティアゴに生まれる。1968年、一家でメキシコに移住。1973年、チリに一時帰国し、ピノチェトによる軍事クーデターに遭遇したとされる。翌74年、メキシコへ戻る。その後、エルサルバドル、フランス、スペインなどを放浪。77年以降、およそ四半世紀にわたってスペインに居を定める。1984年に小説家としてデビュー。1997年に刊行された第一短篇集『通話』でサンティアゴ市文学賞を受賞。2003年、50歳の若さで死去。

【評者】中原昌也

1970年、東京都生まれ。「暴力温泉芸者」名義で音楽活動の後、「HAIR STYLISTICS」として活動を続ける。著書に『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』『あらゆる場所に花束が……』他多数。

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