単行本 - 文藝
二人の女子高生の友情・切ない青春小説。『ラジオラジオラジオ!』加藤千恵著
加藤千恵
2016.08.10
『ラジオラジオラジオ!』
加藤千恵
【評者】倉本さおり
「いま」がほどけていく場所で
深夜、自室のパソコンの画面を前に、両親が寝静まってから啜るカップヌードル。物音は極力たてないよう、けれど座椅子の上であぐらをかいた状態で、行儀の悪さはめいっぱい満喫する─。いま思えば、なんて傲慢で、ささやかで不自由で、安全な孤独だったことだろう。淡々と綴られていく情景のひとつひとつが、私たちが通り過ぎてしまった時間のすべてをいやおうなく物語っている。これはそういう作品だ。
舞台は2001年9月。高校三年生の秋を迎える〈わたし〉・華菜は、地元FM局の募集広告に応募したことがきっかけで、週に一度、30分のラジオ番組を担当している。ゆくゆくは上京してテレビ関係の仕事に就きたいと考えている華菜にとって、ラジオの電波は〈本物の場所〉に近づくための重要なツールなのだ。けれど、いっしょにパーソナリティを務める親友・智香のテンションは近頃あきらかに落ちている。おまけに苦労して開設した自分のホームページへの書き込みもほとんどない。自分の声も言葉も、見えない遠くの場所にまでつながっているはずなのに、手応えはゼロに等しい。
踏み出したいのに踏み込めない。十代特有の全能感と繊細さがないまぜの、じりじりとした焦燥。誰もが味わう青春の痛み─。だがむしろ、そんなふうに約めたとたんに台無しになってしまうものを、加藤千恵の筆はゆっくり丁寧に、じつに注意深く運んでいく。
タイトルから即座に思い浮かべるのは、フリッパーズ・ギターの「カメラ! カメラ! カメラ!」だろう。けれどこの小説には小山田圭吾もオザケンも出てこない。代わりに繰り返し再生されるのは、aikoの「ボーイフレンド」だ。
Mr.Childrenに宇多田ヒカル、ポルノグラフィティ。本文中に登場するのはいずれも超メジャー、現在もメディアで姿を見かける機会の多いミュージシャンばかり。伝説だけ残して華々しく解散、あるいは、いつのまにやら行方知れず、といったたぐいの、あからさまな「喪失」のモチーフは慎重に避けられている。それこそ前述のカップヌードルはもちろん、放課後に華菜たちが四人でシェアするロッテリアの「ふるポテ」(袋の中にフレーバーの粉を入れて振り混ぜて食べるフライドポテト)だって、いますぐ買いに行ってシャカシャカすることもできるのだ─私たちがその気になりさえすれば。
〈それでも思い出せないことだってたくさんあると知っている。消えていってしまうものを、今この瞬間にも積み重ねている〉
いまも目の前にあるのに、かつてと同じようには心が動かされないということ。そこにあるものの意味が変わってしまうということ。実際、華菜にとってのaikoやロッテリアでさえ、たった数ヶ月でその価値を変えていく。
「喪失」がせつなさを伴うのは、対象が消えてしまうからではない。そこにいたはずの自分自身がすこしずつほどけてしまうからだ。加藤千恵は、そういう本質的なことを、いちばん平易で透明なことばで表出するやり方を知っている。