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文藝賞同期、ふたりとも芥川賞作家に! 文藝賞受賞して、その後どうよ? 宇佐見りん/遠野遥対談

文藝賞受賞して、その後どうよ?
宇佐見りん/遠野遥対談

 

 

デビューからの一年間

遠 野 お互いにデビューして一年が経ちましたが、なにか変化はありましたか?

宇佐見 一番大きな変化は、書いているときに「これは小説か否か」と不安に思うことが少なくなったことです。デビュー前は、「これは小説と言えないかもしれない」「全く見当違いなものを書いているのでは」と恐怖を抱くことも多くて。実際に出版されてようやく「きみの書いているものは小説です」と言われたような感覚になりました。今も自信はないんですけど、スタートラインに立たせてもらえたというか。そういえば私、同時受賞と聞いて、もうお一人が遠野遥さんというお名前だったので、女性だと思ってたんですよね、はじめ。

遠 野 あるあるですね。

宇佐見 そうですよね。当時二十八歳というふうにお聞きして、そうか、ちょっと年上のお姉さんなんだなと想像していたんですが、受賞作の掲載誌を見て、あ、男性だ、と思って。遠野さんはデビューしてからの変化はありますか?

遠 野 一作目の『改良』は良くも悪くも肉があまりなくて骨格だけみたいな小説でしたが、二作目の『破局』では描写などを増やし、もう少し肉付けをすることができたと思っています。

宇佐見 『破局』は、細かくてさりげないけれど、刺さる描写が多いですね。たとえば「私がワンピースの色を褒めると、前に着たときも褒めてくれたと麻衣子は言った」という一文。その一文だけで、陽介がそれを忘れ、麻衣子は忘れていないことがわかってしまう。灯が手を洗うとき、肘の上までまくった袖にさえ泡がついているという描写も彼女の性格が出ていて好きです。遠野さんはどうして文藝賞に応募されたんですか?

遠 野 三月末の締切でちょうどよかったんです。自分の時間が空いてる時期とちょうど合ってて。あと、私はガチガチの純文学を書ける気がしなかったから、ちょっとポップなところがある賞のほうがいいかなと思って。あと、受賞しても書籍化されない賞がたくさんある中で、文藝賞は書籍化されるのもいいと思いました。宇佐見さんはどうしてですか?

宇佐見 なんだか、あっけらかんとした理由でいいですね。私は中上健次さんがすごく好きで、中上さんの作品をたくさん出版しているのが河出書房新社だったので、そこが主催している賞に応募したいなって。自分の小説が本になったときに河出書房新社って単行本の下の部分に書いてあるんですよ。うわ、中上健次さんと一緒や! って(笑)。うれしかったです。

遠 野 私は、河出書房新社であるということに対する感動というのは、あまりなかったですね。本が出たのは嬉しいんですけど。どこの出版社がどんな本を出しているとか、どんなカラーの会社だとか、よく知らなかったので。最近やっとなんとなくわかるようになってきました。本が本屋に並んだのを見たとき、どんな気持ちでした?

宇佐見 なんか「あるー」って(笑)。

遠 野 「あるー」ですか(笑)。

宇佐見 自分の書いた本って違って見えませんか。なんだかあまり本屋に行けなくなりました。

遠 野 わかるかも。自分の本がある売り場に近づきづらくなりましたよね。自分の本の前に立つのが恥ずかしいみたいな、謎の照れがありました。本屋に行って、物陰から自分の本が売れるかどうか観察してたことがあるんですよ。でも自分が見てるときは売れなくて、自分が見てたら売れないのかなと思って見ないようにしました。

宇佐見 ジンクスみたいなね。『破局』が芥川賞の候補入りしたことを私の編集担当さんから聞いたときは、うお!って思いました。去年の対談……あれ、ケーキ屋さん行ったの、いつでしたっけ?

遠 野 十一月ですね。もうわからないけど、たぶん十一月。銀座のマリアージュフレールで、もう忘れたけど何か食事も軽くとって、それからケーキと紅茶をいただきましたね。

宇佐見 普段はあまり紅茶を飲まないのですが、香りもよくて美味しかったです。御馳走さまでした。遠野さんはあの時点で、原稿を担当さんに送ろうかどうか迷ってるみたいなことを言ってて、え、何言ってるの?!と思いました。早すぎ!って。

遠 野 やたら早かったですよね。もっと練ったほうがいいんじゃないかっていうくらい早かった。「二作目は大変だよ」って、いろんな人からプレッシャーかけられていたんです。新人に対してそういうこと、あんまり言わないほうがいいですよね。

宇佐見 私の場合は、二作目に悩むのは私だけじゃないんだって安心しました。

遠 野 予防接種を打つ前に「痛いよ」って言われたほうがいいってことですか?

宇佐見 でも、何も知らない子どもが、アルコール綿で腕拭かれて何の予想もなくいきなり「痛っ!」みたいになるの、嫌じゃないですか?

遠 野 ああ、なるほど。

宇佐見 いきなり刺される。

遠 野 ああ。

宇佐見 ピンときてないですよね(笑)。

遠 野 私は「痛いよ」って言われるのが嫌で、わからないうちに打ってほしいですね。だから脅すようなことは言われたくないんですよ。宇佐見さんも一年足らずで発表して、十分早いですよね。二作目書いてるときに一作目の評判とかが入ってくるじゃないですか。あれ、そわそわしますよね。

宇佐見 そわそわしますね。

遠 野 二作目に集中したいのに。まあ、それはそれでありがたいんですけど。

 

どこで書くのが好き?

宇佐見 いま三作目をお互い書いてると思うんですけど。前の作品についての話題は、ありがたい反面、やっぱり自分のなかに潜らないと書けないですからね。

遠 野 本当は山籠りとかして書きたいけど、生活しなきゃいけないですからね。

宇佐見 私、たまたま友達と熱海に行ったときに、「この温泉宿に文豪が来ていました」と書かれたパネルを見たんです。なるほど、こういう場所で書いていたのか、そりゃあ書けるよな!って(笑)。羨ましくなりました。

遠 野 それだけの環境があれば集中して書けますよね(笑)。宇佐見さんは、普段どんなところで書いてるんですか?

宇佐見 集中できればどこでもいいんですけど、人気があんまりない場所を選びますね。寂れたゲームセンターのあるフードコートとか。

遠 野 どこそれ(笑)。

宇佐見 併設されてる感じの。ゲームセンターって無人でも動き続けているじゃないですか。光と音を発して。そのえも言われぬ寂しさを浴びながら書いていますね。

遠 野 寂しいのは自分だけじゃないんだ、みたいなことですか? つまらない言い方をすれば。

宇佐見 作品の空気や、書く時の緊張を保っていたいんだと思います。同じ展開を書くにも、自分が追い詰められているときに書く文章と、なにげなく書く文章では、明らかに質が違っていて。あと、カラオケボックスはおすすめです。

遠 野 あ、カラオケボックスいいですよね。カラオケボックスの何がいいかって、書いててもう嫌だなと思ったときに、叫べるんですよ。

宇佐見 なんていうか。大丈夫ですかね(笑)。

遠 野 叫ぶことによって、大丈夫になるんです。叫んだあとは、誰か今叫びましたか? というくらい他人事ひとごとになっていて、とにかく落ち着き払っている。

宇佐見 なるほど。日常で叫ぶ機会ってあんまりないですよね。カラオケボックスの密閉感や苦しさがいいんですよね。

遠 野 そうそう、ちょっと薄暗いですしね。他のお客さんたちはみんな他人に無関心ですし。

宇佐見 そう、安心します。

遠 野 パソコンの充電もできますしね。飽きたら普通にカラオケとして使ってもいいし、ミュージックビデオも見れますね。横になって眠ることもできる。ポテトも食べられる。

宇佐見 みんな他人に対して無関心っていう点では、渋谷とかもいい。本当に一人になりたかったら、人がいないところに行くんじゃなくて、逆に人がたくさんいるところに行くのもアリですね。渋谷駅のハチ公口からスクランブル交差点を渡って左方向に行くと、109があるじゃないですか。その横に座れるところがあるんですよ。本当にぼうっとしたいときにはそこに行って、思いついたことがあったら書いたりするんです。

 

平成生まれ初の芥川賞受賞と
三島賞最年少受賞

遠 野 宇佐見さんが三島賞の候補になったほうが、私が芥川賞候補になるより早かったですよね。

宇佐見 そうでしたっけ。

遠 野 だから、完全に先行かれたって思いましたね。

宇佐見 でも「おめでとうございます」って言ってくれたじゃないですか。

遠 野 言いましたけど、正直いうと、悔しかったです。

宇佐見 え、そうだったんですか。

遠 野 やられた、って思いました。でも嬉しい気持ちのほうが大きかったです。サッカー日本代表が、ワールドカップで決勝トーナメントに進出したときのような気持ちでしょうか。楽しみが増えたし、絶対勝ってほしいなと思いました。

宇佐見 変な喩え……。私は遠野さんが芥川賞を受賞したと聞いて、おめでとうの気持ち百二十パーセントでしたよ。先日の「文藝」(冬季号)の親子対談でも読みましたけど、お父さんにも「次にお会いするときは、芥川賞作家です」って言ったんですよね?

遠 野 私、ちょっといきがっていた時期があって。今日の対談で何話そうかなと思って、宇佐見さんに送ったLINEを見返したら、やっぱり似たようなことを言ってましたね。

宇佐見 まだ獲ってないのに(笑)。

遠 野 運動部の中高生みたいなLINEしてたなって思って。高山羽根子さんの『首里の馬』が三島賞と芥川賞どちらの候補にも入っていたから、「おたがい高山さんに負けないようにしようね」って。冷静に考えると、いや文学ってそういうのじゃないでしょ、勝ち負けとかじゃないでしょ、って思いますよね。

宇佐見 レースじゃないんだから。

遠 野 インターハイ目指してる子たちみたいな。負けないようにしようって言っても、もう書いちゃったから何もできることないしね。でもやっぱり『かか』を読んで、よく同時受賞できたなって私はいまだに思ってますけどね。私の場合、磯﨑憲一郎さんが私の作品をかなり推してくれたそうです。

宇佐見 私も、村田(沙耶香)さんと町田(康)さんがいらっしゃったからですね。作品のタイプも違いますしね。

遠 野 宇佐見さんと同じような方向性で勝負していたら、私は負けてましたね。

宇佐見 また勝ち負けの話に(笑)。

 

今年の文藝賞作品はどう読んだ?

宇佐見 今年の文藝賞はいかがでしたか?受賞作の藤原無雨さん『水とれき』は、読みやすいうえに構造にオリジナリティがあって面白いですよね。

遠 野 多くの小説は一章、二章、三章、四章……と進みますが、『水と礫』は1、2、3、1、2、3……と何度も繰り返すんですよね。ワルツみたいでかっこいいなと思いました。ループするごとに物語が広がり、かつ少しずつズレていくんですよね。あまり読んだことのないタイプの小説だなという感覚がありました。何周もプレイすることで全貌が明らかになっていくRPGのような、いい意味でゲームっぽさがあって。砂漠を渡ったクザーノが誰からも英雄視されていたらちょっと微妙だなと思ったんですが、コイーバが彼のことをわりと批判的に見ていて、そこも良かったです。これがあるのとないのとでは大違いですよね。

宇佐見 もう一つの優秀作が、新胡桃さんという十六歳の女性が書いた『星に帰れよ』という小説で、私や遠野さんとも異なる作風ですが、冒頭からインパクトがありますし、短く切り込んでくる文章が多くて読みごたえがあります。なかでも、姉に対するモルヒネの「血が見たいんなら死ぬ気で鼻をほじればいい」、このおどけた一文に詰まった苦しさ、やりきれなさが秀逸で。良い意味で、安心して読むことを許されない作品です。本気で向き合えと迫られているような。鋭い芯を持つモルヒネが、それを折られまいと他人や自分を拒んだりして、でも確実に傷ついてゆくさまが苦しかった。新さんご自身が十六歳ということもあり、この先、「高校生」とか「若さ」とかいう文脈で語られることも多いかもしれないけれど、物語のなかに血を流して立つ人がいる以上、面白がるとか懐かしむとかじゃなくて、きちんと対峙したいと思うし、そう思わせる力のある作品だと感じました。

 

演劇と小説

遠 野 宇佐見さんは今大学に通ってて、サークルも入ってるんですよね?

宇佐見 入ってますね。歌舞伎研究会と演劇研究会のふたつに入っています。

遠 野 宇佐見さんが脚本を書いた劇、生で見ました。水から上がった魚が泳げないように、劇の台詞を取り出してここで紹介してもその魅力は十分に伝わらないと思いますが、劇終盤の「あらゆる抽象と普遍は死ね」「一切の芸術は死ね」「一切の物語は死ね」「血反吐を吐くことが比喩であってたまるか」などの台詞を、一年経った今でも鮮明に覚えています。宇佐見さんには小説で使っていない引き出しがまだまだたくさんあるんだなとわかり、同期作家として戦慄するとともに嬉しくなりました。

宇佐見 本当に嬉しいです。小説家としてデビューしておいて何をと思われるかもしれませんけど、私はずっと芸術とか物語と呼ばれるものに対する反発があって、それを書きたかったんですよね。で、その否定の台詞を物語の中の彼らが叫ぶ。でも、あの台詞がちゃんと生きて、彼らが物語の外に出られるかどうかは、役者や演出にかかっていました。

遠 野 基本的にシリアスな劇だったんですが、女の人が自転車で男の人を追いかけるシーンはコミカルで、ちょっと笑いました。

宇佐見 あれは役者さんのアドリブです。面白かったなあ。気迫のある面白さって怖いですね。

遠 野 偶然ですが、私の『破局』の麻衣子が自転車に乗って男から逃げるシーンを逆にしたような構図ですね。脚本も小説も、宇佐見さんが書いたものは読んでいて痛みを覚えるんですが、ユーモアもありますよね。笑わせようと意図してやっているのかどうかはわからないけど。『推し、燃ゆ』も読んでて何箇所か笑いました。笑った箇所を挙げると人間性を疑われそうなのでここではやりませんが、笑ったり泣いたり、感情が攪拌されます。

宇佐見 私は大真面目に書いているんですけどね……。というか、そういう意味では、それこそ遠野さんの『破局』は、笑いどころだらけでしょう。強要されているわけではなくて、落とし穴みたいに笑いの穴がただ静かに用意されている。声に出して笑ったところは、冒頭のチワワの場面と、灯がメダカ十二匹に干支の名前をつけているというくだりです。名前をつけているくせして、「しかしメダカたちの区別はついていないというから、私が今見ているのは戌かもしれないし、寅かもしれないし、未かもしれない」。「しっかりしてくれよ」と思いました。その後の死んだメダカの描写もふくめて、ある意味で全ての場面がどこか笑えるのに、その笑いの穴が案外ひやりとしていたり、寂しかったりもします。

『東京ノート』を観にいったときに、脚演の平田オリザさんが「観客の半分が笑って、半分が泣く、というものでいい。場面における感情を定めたくない」とおっしゃっていたんですが、なるほどと思う反面、私は、それって舞台では難しいんじゃないかと思ったんです。笑いも涙も伝播するもので、舞台では良くも悪くもとっさの反応が共有されてしまうので。でも小説は朗読会でもしない限り一人で読むものでしょう。だからそういう自分の反応を大切にできる。陽介くんが突然祈り出すところ、笑った人もいるみたいですが、私は胸が苦しくなりました。

 

気になる三作目は

遠 野 宇佐見さんはバイトもしてるんですよね。けっこう忙しいと思うんですけど、執筆との両立が大変じゃないですか?

宇佐見 両立、できていないかも。てんやわんやですね。今年はコロナとかがあって去年ほどの活動はたぶんしてないんですけど、去年は本当に迷惑をかけました。いろんな経験をして引き出しを増やしたいと思うからではあるんですけど、限度はあるなって。授業の出席とかもぎりぎりです。

遠 野 そうした忙しいなかで、先ほども話に出た三作目の執筆はいかがですか?

宇佐見 これまでよりも、自覚的に書いているかなって思います。三作目は三人称で書いています。

遠 野 それは大きな変化ですね。

宇佐見 やっぱり新しいことやりたいと思って。

遠 野 一作目の『かか』と二作目の『推し、燃ゆ』でも、文体がかなり違いますよね。『かか』のほうは「かか弁」という独特な「家庭内方言」で書かれていて、一方で『推し、燃ゆ』のほうは、一文がすごく短くなった。一作目と二作目でこんなに文体変えられるんだ、って驚きました。

宇佐見 さすがに『かか』の文体で今後の作品を押し通すわけにもいかないので……。

遠 野 『推し、燃ゆ』では特に、シーンに応じて文体を効果的に操作していますよね。私は主人公のあかりが居酒屋でアルバイトをしているシーンが特に好きなんですが、あの部分は、出来事あたりの描写量が減って、目まぐるしく色々なことが起こり、色々なものが目に入ってくる。改行と句点が減って、読点が増え、つまり読んでいてなかなか一息つけないんですが、ここはまさにあかりが周囲のスピード感についていけず、息もつけない状態だと思われる箇所だから、シーンに合わせて文体をふさわしいものへと変化させているんですよね。

宇佐見 どう書いたらあかりの焦燥が感覚的に伝わるだろうと考えながらあの場面を書いていたので、そう言っていただけるのが本当に嬉しいです。あの場面は苦しいと結構いろんな方がおっしゃっていましたね。

遠 野 先ほど描写量が減ったと言いましたが、「水垢のついた四角い鏡」「黄ばんだ壁紙と壁紙のめくれた継ぎ目のあたりにかけられた時計」などのディテールを的確に捉えているから、それでいて描写が足りないとは感じない。宇佐見さんの小説が読者の感情を強く揺さぶっているのは、書かれている内容もそうですが、こうした技術の裏打ちがあることも大きいんじゃないかと思いました。

宇佐見 嬉しいです。

遠 野 普通は自分の文体を変えるのってすごく難しいと思うんですけど、宇佐見さんの場合は、書くことが決まった後に、これに合った文体を探していく、という感じですよね?

宇佐見 そうですね。でもそれは、ある意味で不安定ともとれるかもしれません。迷いや不安からきていることもあります。遠野さんはすでに自分の文体を確立されていて、それってすでに書く姿勢が定まっている、覚悟があるということだから、素敵だなと思います。文体は、人物の世界の切り取り方ですよね。陽介が佐々木と話す場面で「口の中には、キャベツがあった」と書かれています。人と話しているというのに、意識が口のキャベツに向いていて、しかもそれが継続する。逆に会話という「意味」を過剰に持ちがちなものが、カラスがこっちを見たとか、そういうことと同じ温度で描かれる。私もすごく消耗しているときには似た感覚に陥ることがあるんですが、陽介はずっとこんな調子なんだなあというのが文体から読み取れて、ふむ、という気持ちになります。

 

どこから小説を書く?

宇佐見 前から気になっていたんですが、遠野さんは小説をどこから始めるんですか?

遠 野 シーンから書きますね。

宇佐見 あ、じゃあ私と同じだ。

遠 野 テーマから決める人もいるらしいじゃないですか。難しいですよね。テーマを決めると、登場人物がテーマのために動いてしまって、予定調和的であまり面白くならないんじゃないか、という懸念があるんですよね。

宇佐見 わかります。デビュー前に一度その書き方をしたんですが、はやく書けたはいいもののいまいち突出したものがないというか、読み返しても自分が揺さぶられなかった。『破局』はどのシーンから書き始めました?

遠 野 麻衣子のひとり語りからです。幼い頃に不審な男が突然家にやってきて、家を飛び出した麻衣子が自転車で男から逃げまわるシーンです。

宇佐見 あそこ好きでした。すごく長い台詞のところですよね。え、噓、あそこからですか?!

遠 野 はい。宇佐見さんは、頭から順に書いていくんですか?

宇佐見 一作目は、小説として形にする以前にすでにいくつかのシーンを書いていて、それらをつなげていきました。だから正確にどこの場面からとは言えないですね。もともとの発想としては、SNSを使っている現代の女の子が、神聖な熊野の地へ祈りに行くけれども、スマホという回線からどうしても離れられない、それが面白いんじゃないかなと思っていました。でも冒頭の金魚の場面は、もう何年も前から創作ノートにありました。ガラケーにも書き込んだ記憶があるから、ほんとに前だなあ。祈りの地として熊野を選んだのは、中上健次さんの影響です。

遠 野 ほんとうに中上健次が好きなんですね。とくに好きな作品はありますか?

宇佐見 初めて読むなら、芥川賞を受賞した『岬』がいいと思います。中上健次さんは、私なんかが言うまでもないですが、本当に、文章がいいんです。「土を掘る。土はふくらむ。割けてくだける。また、つるはしを振り上げ、腰を入れて、打ちつける。汗が、眼に滴になって溜まっていた。ふっと、顔を上げた。一瞬、なにも見えなかった。」力仕事をして顔をあげたときに起こる立ち眩みのようなもの、汗でぼやけて視界を覆う光、詰めていた息を吐き出す感覚までも、それと書かれているわけではないのに体感できる。家のなかでかわされる会話も言動もとても厳密なのに、それらがいつのまにか話に組み込まれていて。すごすぎて読みながら「どうして」と思うことがよくあります。こんなことできない。だから本屋さんでも、中上さんの本があると信用しちゃいます。そういう本屋さんには何回も足を運んで、中上さん以外の本でも、信頼して買ってみたり。遠野さんは好きな作品はあります?

遠 野 私は、前にも宇佐見さんに薦めましたが、高橋弘希さんの『日曜日の人々サンデーピープル』ですね。読まれたと言っていましたね。読んでいて強い痛みを覚える点が、宇佐見さんの小説と共通している気がしました。

宇佐見 いやいや……恐縮です。『日曜日の人々』、よかったですよね。

遠 野 こんなふうに、宇佐見さんと毎年対談できたらいいなと思います。でも何か理由がないとセッティングしてもらえないと思うので、毎年コンスタントに新刊が出せるように頑張ります!

 (二〇二〇・一一・一八)

※本対談はジュンク堂書店池袋本店で行われたオンライントークイベントを元に再構成しました。

 

 

 

 

 

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著者

著者写真

宇佐見 りん(うさみ・りん)

1999年静岡県生まれ、神奈川県育ち。現在大学生、21歳。2019年、『かか』で第56回文藝賞、第33回三島由紀夫賞を受賞。2021年『推し、燃ゆ』で第164回芥川龍之介賞を受賞。同作で本屋大賞にノミネート。

著者写真

遠野 遥(とおの・はるか)

1991年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。東京都在住。2019年『改良』で第56回文藝賞を受賞しデビュー。2020年『破局』で第163回芥川龍之介賞を受賞。

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