単行本 - 日本文学
『かか』『推し、燃ゆ』は実質『範馬刃牙』であり、私は本部以蔵だった
金田淳子
2021.02.16
「『かか』『推し、燃ゆ』は実質『範馬刃牙』であり、私は本部以蔵だった」
金田淳子
◎親子ほど年の離れたオタク仲間
私は今年で四七歳になる。二一歳の気鋭の新人である宇佐見りん氏の親ぐらいの年齢だ。ということは、『かか』『推し、燃ゆ』に登場する、十代の主人公たちから見ても、親のような年齢ということになる。
だが年齢以前に、私はまず自分のことを「オタク」だと思っている。私は、自分とは違う次元で生きている存在(私の場合は、マンガなど二次元の男性キャラクター)について、強い愛着を抱きがちであり、その「推し」について考えたり語ったりするのが大好きだ。
『かか』『推し、燃ゆ』の主人公たち「うーちゃん」「あかり」について、自分の子どもぐらいだなという距離感はある。しかしそのことよりも、大きく括れば同じオタクだ、という親近感があった。気の合うオタク同士で話していると、親子ほどの年齢差があることを忘れてしまうものだ(もっとも私は、推しについて、男同士のエッチな妄想をするのが大好きで、原作にできるだけ準拠するなどの方針もないから、うーちゃんとあかりからは、私のことをとても同類と思えないかもしれない)。
このように、私が「文藝」二〇二〇年秋季号に掲載された『推し、燃ゆ』を読んだのは、タイトルから(推しが芸能人の)オタクの話であるとすぐにわかり、興味をひかれたからだ。その後に単行本『かか』を読んだ。こちらでも、主人公の生活の重要な部分に推し活動があり、推し語りを介してつながったSNSでの交流が丁寧に描かれていた。私もうーちゃんやあかりに負けないぐらいSNSに依存した毎日だが、その私から見てSNSの描写は克明なリアリティがあり、この二人が実際には存在しないとしても、このようなアカウントは確かに存在すると思った。
◎男性の存在感の無さ
ここまでごっちゃにして語ってしまったが、『かか』『推し、燃ゆ』は別個の作品で、もちろん主人公たちも完全に別人だ。
最も大きく異なるのは、『かか』のうーちゃんが家庭でも学校でもそれなりに居場所がありそうなのに対し、『推し、燃ゆ』のあかりは居場所がなく、物語の中盤で高校中退し、一人暮らしを始めることだ。
さらに言えば、うーちゃんの推しは問題なく芸能活動を続けているようだが、あかりの推しは(タイトル通り)炎上事件を起こした後、芸能界を引退してしまう。
とはいえ主人公二人には、やはり共通点が多いように思う。
まず最初に述べたように、推し活動と、推し語りによってゆるくつながったSNSのコミュニティが生活の一部または全部になっており、二人にとってかけがえのない居場所になっていること。先にも言ったが、小学生ぐらいから推し活動(当時はそんな言葉は無かったが)を続けてきた私にとっては、リアリティのある生活描写だった。
第二に、客観的に見て、二人にとっての保護者(親、祖父母)が、子どもを保護する機能を十分に担えていない。うーちゃんのほうがあかりよりも幾分かマシなのだが、母親は心身ともに疲弊しており子どもを十全にケアできていないし、父親は親としての責任感に決定的に欠けている。男性の存在感の無さは二作品に共通する雰囲気で、『かか』の祖父に至ってはほとんど描写されないため、そこに居るのに居なかったというミステリーを醸しはじめている。
第三に、保護者が子どもを十分に保護できておらず、虐待的ですらある環境が、母方で二代にわたって続いていること。
第四に、家庭が十分には機能していないこともあり、主人公たちはそれ以外の居場所を必要としているが、すでに述べたように、推し語りをする女性たちのコミュニティがそれを担っている。つまり主人公たちは、男性と恋愛関係になるという方向性で新しい居場所を作ろうとは全く考えていない。私自身も様々な趣味のコミュニティで事足りているところがあり、男性との恋愛や結婚で居場所を作ろうという意識が希薄なままこの年齢になったので、主人公たちにますます親しみが持てた。
◎誰をも傷つけず恨まず
さらに言えば、物語の展開に大きく関わるポイントで、二作の主人公に共通点がある。うーちゃんもあかりも、親が自分という子どもの保護ができていないことについて、憎んではいるのだろうが、あまり非難しない(非難できない)。二人はその代わりに、自分一人で実行できる別の解決法、あるいは逃げ道を追求していく。
具体的には、あかりは(推しが炎上して人気を落としたこともあり)これまで以上に身を削って推し活動に集中する。うーちゃんに至っては、母親「かか」が壊れてしまったのは自分を産んだせいだと考え、かかを自分で産みなおそうと決意するのだ。
クソッタレな家庭や学校や社会について怒りや不満を抱いた若者というのは、もっと、盗んだバイクで走り出すものではなかったのか?
うーちゃんもあかりも、バイクを盗まないし、ワルい男とつるんで夜の街に繰り出したりもしない。
特にうーちゃんは、もともと母親と精神的に分離しきっていない部分があるとはいえ、親に対する親心の度が過ぎる。九〇年代に流行った「アダルトチルドレン(AC)」という概念は、もともとアルコール依存症の親のいる家庭で、子どもが親よりも大人のようなふるまいを身につけざるを得なくなるという経験的な事実から生まれたが、二〇年代に至り、その痛ましい完成型を見るような思いだ。こんなにも親に対して親心を発動させた子どもを見るのは、人気格闘マンガ『範馬刃牙』の親子喧嘩編の刃牙さん(一八歳)以来だ。
いいから、もう家じゅうのガラス割って、父親を殴れよ。祖母と祖父も殴っていい。
と思うのだが、うーちゃんとあかりが、そんなことを絶対にできないのもわかる。ガラスを割った後、這いつくばってガラスを片付けるのは自分だということや、父親が殴り返してくるであろうことを、二人は知っているから。
あげく、唯一の憩いの場所であるはずのSNSすら、うーちゃんは嘘をついて不幸マウントをとったことがいたたまれなくなり、アカウントを消去してしまう。
恵まれた家庭環境にあるとはとても言えない二人が、このように、誰をも傷つけず、推しを恨まず、ストイックに、孤独に奮闘するありさまが、私にはいじらしくてしょうがないのだ。
包み隠さずに言えば、二作を読み終わったときに私の脳裏に浮かんだ感想は「行政は何をしているのか」「保護らねば……」だった。我ながら、小説という虚構に対してあまりにもナイーブな感想だと思うが、うーちゃんとあかりに対し、それぐらい強くリアリティを感じてしまったせいなので、「虚構だから気にするな」とは言わないでほしい。
『かか』と『推し、燃ゆ』に多くの共通点があることについて語っているうち、つい感極まって、本部以蔵が『刃牙道』で急に「守護らねば……」とか言い出したときの、思い詰めた顔になってしまった。
◎推し=最も大切な存在
ここでさらにもう一つ、二作の共通点として、どちらも「推しの喪失」にまつわる話であることを付け加えたい。
『推し、燃ゆ』で失われる推しとはもちろんアイドルタレントの上野真幸であり、『かか』ではそれは大衆演劇の西蝶之助、ではなく、もちろん「かか」だ。
この世で自分が最も大切に思う存在、自分の生命と同一視してしまうほどの存在が失われてしまいそうなときに、どうすればそれが取り戻せるのか。いよいよその存在が失われてしまった後に、自分はどうすれば生きていけるのか。
「推し」と表現すると何かガチでファン活動をしている人限定の、特殊な話のように聞こえてしまうが、このように「最も大切な存在」ぐらいに置き換えてみると、かなりの普遍性を持ったテーマである。
うーちゃんもあかりも、推しの喪失を食い止めるために奮闘するが、残念ながらその努力は実らない。うーちゃんは、かかとのつながりを断ち切るぐらいなら、かかとつながっていたという痕跡ごと奪い去ってほしいと嘆き、巨大な喪失感を抱えつつ、生きていく。あかりは、推しの破壊衝動を自分のものとして感じながらも、自分を壊してしまうこともできず、這いつくばって散らばった綿棒を拾いながら、生きていく。どうにかこうにか生きていくこの二人の未来に、願わくば新たな推しあれかしと、そしてせめて進学や就職はうまくいきますようにと、願わずにはいられない。
最後に私は、うーちゃんのいとこであり、うーちゃんに意地悪をしてくる明子のこともとても気になっている。うーちゃんに嫌味を言いたいわけではないが、明子は本人の思い違いなどではなく、客観的に見てかなり不遇であると思う。明子は、母親が死に、父親は海外出張が多いので、うーちゃんの家に引き取られる。祖父母に溺愛されているのは良いとして、叔母といとこ(うーちゃん)からはあからさまに嫌われている。そのせいであろう、男性と恋愛関係になることで、この家以外の居場所を作ろうとしている。
そこまでならまだいいのだが、明子はなぜか高校に進学していない。自分であえて就職することを選んだのかもしれないが、高校進学率97%を超える日本では稀有なことである。さらに、浪人しているうーちゃんを妬んでいると言われたりもする。つまり、実は高校に進学したかったが、経済的な理由でそれを断念したように見えるのだ。
これはマジに追及したいのだが、明子の父親は何をしているのか。作品に書かれている通りアメリカに単身赴任で元気に働いているのなら、もはやサイコホラーと言える。むしろ海外赴任しているというのは優しい嘘で、明子の父親は刑務所にいるのではないか。あるいは、海外赴任という名の蟹工船にでも乗っているのか。
私はうーちゃんとあかりを保護したい。それに明子も保護したい。そんなことを言う私自身が、あかりと同じぐらい生活能力がないのだが、保護が無理なら、せめてSNSでひとときの居場所になりたいと思うのだ。