単行本 - 日本文学

秦建日子『And so this is Xmas』試し読み 第3回

篠原涼子さん主演でドラマ・映画が大ヒットした「アンフェア」シリーズの原作者であり、最近ではドラマ「そして、誰もいなくなった」などの脚本も手掛ける秦建日子さんの最新小説『And so this is Xmas』が間もなく発売になります。
試し読み第3回を公開しました。
(第1回はこちら)(第2回はこちら
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秦建日子『And so this is Xmas』試し読み 第3回

第二章

その日、大橋真也は、座席部に大型のフロントスクリーンとルーフの付いている、ピザのデリバリー専用の三輪原付バイクに乗っていた。彼は大手ピザチェーンの春日部支店の社員店長で,本来なら配達はバイトに任せている立場である。しかし、クリスマス前のかき入れ時で、その上本社が「ピザ一枚ご注文でもう一枚プレゼント!」というキャンペーンを打ち出したせいで、今月は通常の三倍以上の注文が殺到していた。おまけに、あてにしていたベテランのアルバイトが風邪で何日も続けて休むし、入ったばかりの新人はあまりの忙しさに「向いていませんでした」の一言でやめてしまっていた。それで、大橋自身が、調理もすれば配達もする羽目になったのである。

冷たい向かい風が頬を冷やすのが不快だった。大橋の背後にある十枚のピザも、きっとどんどん冷めていっていることだろう。
三十メートル先の信号が赤に変わった。思わず、舌打ちが出る。ここの信号は赤になると長い。仕方なく速度を落とし、道路の左端にバイクを停めた。
サイドミラーで背後を確認すると、白いワゴンが走ってくるのが見えた。妻の萌子がほしがっている車だ。来月、二人目の赤ん坊が生まれる。それに合わせて車を買い替えようと妻は提案してきたのだ。大橋は、昔から2シーターのオープンカーが大好きで、ずっとユーノスのロードスターという車を乗り継いできたのだが、妻はその車をまったく評価していなかった。そろそろ、妻の説得に応じなければいけないかもしれない。赤ん坊が二人では、もう2シーターは無理だ。左側に並列して、停車した車を観察する。後部座席。うん。広い。チャイルドシートも十分置ける。内装も、そんなに安っぽくはない。うん。ネットで検索した時の画像より、実物は悪くない。そんなことを思いながらジロジロと車内を見ていたら、助手席の女性と目が合った。大橋は反射的に営業スマイルを見せた。女性もにこりと微笑んだ。なかなか、品のいい女性だ。運転席には中年の男性。おそらく夫婦だろう。男性は、心ここに在らずといった雰囲気で、無表情にハンドルを握っていた。
その時だった。
前方の信号がまだ赤なのに、交差点の向こう側に停まっていた青い車が、突然急発進をして交差点に飛び出した。
「⁇」
ちょうど、左右を行き交う車が途切れたタイミングだった。なんと大胆な信号無視をするのかと大橋は驚いた。が、その車の挙動はそこからが更に異常だった。なんと、右斜めにハンドルを切り、大橋の乗る原付バイクに向かって、一直線に突っ込んできたのだ。
「‼」
フルアクセルで、猛烈な加速とともに、その青い車は一気に襲いかかってきた。大橋は恐怖で全身が凍りつき、身動き一つできなかった。
轢かれる。そう覚悟した瞬間、青い車の運転手は、今度は左にハンドルを少し切った。
老人だった。
目に狂気が宿っていた。完全なる狂気だ。
老人の運転する車は、ほぼ正面衝突の形で、隣の白いワゴンに突っ込んだ。そして、車体の前方をワゴンの上に乗り上げ、ナンバープレートをワゴンのフロントガラスに突き刺した。
大橋は腰を抜かし、原付バイクと一緒に歩道側に倒れた。ピザが飛び出し、道路に散乱する。トマトソースが、血のように道路に飛び散った。

秘書官の持参したプリントを、鈴木警視監はゆっくりと二度読んだ。その間、世田はただ黙って彼の目の動きを観察していた。
犯行声明文は、それなりの長さがあるようだ。すると、世田の前に座っていた渋谷署の巡査長が、手早くスマホで検索をし、犯行声明文の全文を世田たちにも見せてくれた。
これは、戦争だ……なるほど。そういう系か。世田はうんざりした気持ちで首を横に振った。自分は高尚な目的で動いていると露骨にアピールをしている。しかし、犯人の要求は、結局は金になるに違いない。いろいろと思想めいたことを言ってきたとしても、最終的には犯人は金を求めてくる。身代金を払え。人質は東京都民。彼らの命が惜しければ金を払え。まずもってそういう話ではないかと世田は推測をした。

「静かに! 捜査会議を再開する!」
鈴木が大きな声で場を鎮めた。そして、飛野に目で合図をした。飛野は、壁際に待機していた制服姿の女性警官数人に、やはり合図をした。女性警官たちは、捜査資料の配布を始めた。一番上の紙には、四十代半ばの女の似顔絵と、服装その他の特徴。そして二枚目には、「来栖公太」と下に名前が書かれた若い男の写真がプリントされていた。
会議室の大きなモニター画面も、同じ似顔絵と写真に切り替わる。
女の身長は、百五十センチ前後。黒のロングコート、黒のショートブーツ、グレーの手袋。顔は……どこにでもいそうな人の良いおばさんだ。特徴らしい特徴はない。
来栖公太の写真は、免許証の写真からコピーされていた。身長百七十五センチ。服装は、ユニクロの黒いダウンジャケットに、ジーンズ。白いスニーカー。茶色の短髪。こちらも、どこにでもいそうな大学生だ。犯人の指示で服装や髪の色を変えられると、苦労するかもしれない。
「この二人が、犯人の代理として恵比寿三越の警備室を訪れた男女だ。警備員の印象としては、親子でもカップルでもなく、知り合ったばかりの二人に見えたそうだ」
そうだろう。
「今のところ、犯人と直接接触している可能性があるのは、この二人だけだ。来栖という若者は、この女性と一緒に姿を消している。迅速な事件解決のためには、何としてもまず、この二人を見つけなければならない。担当表は、会議室を出る際に受け取ってくれ。投下できる人員には限りはあるが、何としてもこの二人を発見、確保し、卑劣な脅迫者を捕まえるのだ。君たちの頑張りに期待している」
鈴木の発言はシンプルで短かった。その後、幾つかの補足説明がなされ、捜査会議は約十分で終了した。
我先にと会議室を出る捜査員たち。その波にやや遅れて、世田と泉も廊下に出た。配布された担当地域表を、泉は一生懸命確認している。
「僕らは、恵比寿ガーデンプレイスの高層マンションの聞き込みです。二十四階、二百四十戸。結構な数ですね」
「そうだな」
「しらみつぶしに一軒一軒回るしかないんですよね」
「もちろんそうだ」
と、背後から声をかけられた。
「世田くん」
今まで、壇上で指揮を執っていたのと同じ声である。泉は振り返るなり、驚愕して直立の姿勢で敬礼した。
「ご無沙汰しております」
世田は、鈴木警視監に頭を軽く下げた。
「元気そうだな。君がこの事件の捜査本部にいてくれるのはとても心強いよ。よろしく頼む」
鈴木はそう言うと、SPに先導されながら、足早に廊下を歩いていった。
「せ、世田さん、鈴木公安部長とお知り合いなんですか?」
泉がすぐに質問してきた。
「まあな」
別に隠すことではないが、あえてこちらから言うことでもない。
「それで、どういうお知り合いなんですか?」
泉はさらに食いついてくる。若いくせに、ゴシップ好きのおばちゃんのようなやつだ。そんなことを思いながら、世田は正直に答えた。
「別れた女房の父親だよ」

犯人からの指示で訪れた五反田のマンション。来栖公太は、ここで、四つ折りの白い便箋を開いた。紙には、次の指示が簡潔に書かれていた。

・私の書いた声明文を、男が読め。
・女は、ビデオカメラでそれを録画せよ(ビデオカメラは机の下に置いてある)。
・録画が完了したら、そのデータをメールで情報番組『ニュース・ドクター』に送り、同時にYouTubeにもアップロードせよ。
・終了したら、この紙はキッチンで燃やすこと。
・今すぐに!

「マジかよ……」
公太は呻いた。
「なんて、書いてあるの?」
一緒にいたおばさんが、横から便箋を覗き込む。
「俺が読めって……これじゃまるで俺が犯人みたいじゃないか!」
紙を投げ捨てようとしたが、手のひらの汗が接着剤のようになり、ひっついて床に落ちない。それはまるで、犯人から永遠に逃げられないという暗示のように思えて公太は泣きたくなった。何度か手を振り、やっと便箋が床へ落ちた。それをおばさんが拾い上げ、じっともう一度読み返し始めた。
「ありえない。絶対に嫌だ」
公太は、かゆくもない頬を両手で掻きむしった。
「でも、従うしかない」
「わかってるけど!」
「でも!」
おばさんは、自分の右手首を公太の前に突き出した。わかっている。公太の右手首にも同じものが付いている。犯人の指示に従わなければ、これが爆発する。
おばさんは、机の下からビデオカメラをピックアップした。電源コードをコンセントに挿す。ファミリータイプのごくありふれたビデオカメラで、おばさんにもオートで簡単に使えそうなタイプだった。
公太は、自分がこれから読む「声明文」の方を手にした。
せめて、この紙ごとビデオに映ろう。そうすれば、自分が被害者で、これは脅迫されて無理やり読まされているのだとある程度の人たちはわかってくれるかもしれない。

白い壁をバックに、公太は立った。
おばさんが正面からビデオカメラを構えた。
「このスイッチを押せばいいのよね?」
公太は、手にじわりとかいた汗をデニムで拭き、そして口を大きく開いたり閉じたりした。この映像は、世界で一体何回再生されるだろうか。百万回? いや、一億回? こんな形で自分が有名人になるとは夢にも思わなかった。
「撮ります」
おばさんが言った。公太は、カメラのレンズを見つめ、ゆっくりとはっきりと犯人からのメッセージを読み上げた。

「私は、恵比寿ガーデンプレイスに爆発物を仕掛けた者です。
私と、日本国の首相とで、テレビの生放送番組にて、一対一の対話をさせなさい。
この要求が容れられない場合は、新たにまた、私の仕掛けた爆弾が爆発します。
期限は、明日の十八時半。
場所は、渋谷駅のハチ公前。
次回はホンモノですよ。
爆発すれば、多くの人が死ぬことになります。

いいか。勘違いはするなよ。
これは、戦争だ。」

読み終えた後、しばしの沈黙。おばさんが動かないので、自分でカメラのところに移動してストップボタンを押した。
「あ、ごめんなさい」
彼女も緊張したのだろう。それはそうだ。緊張しない方がおかしい。
「じゃ、この映像、アップしないと」
「あなたできる? 私、そういうのよくわからないのよ」
「もちろんできますよ。大丈夫です」
ビデオカメラに入れられていたSDカードを抜き取り、いつも持ち歩いている自分のノートパソコンに差し込んだ。携帯でテザリングをし、動画を添付ファイルで『ニュース・ドクター』に送る。それからYouTubeにも。公太が作業している間に、おばさんは犯行声明文と指示書の両方を持ってキッチンに行き、ガスコンロの火でそれを燃やした。

「これで、俺、犯人と思われるかな……」
数パーセントずつデータがYouTubeへアップロードされていくのを見ながら、公太は言った。
「思われないわよ。思われるわけないじゃない」
世界中が、きっとこの映像を観る。両親が観る。同級生たちも観る。元カノだって観る。脅されて、情けない面で、犯罪の手伝いをやらされている自分の惨めな姿を観る。そんなことを考えていると、突然唇が震え出し、涙が溢れてきた。その涙と鼻水をダウンジャケットの袖で拭いていると、おばさんが公太の横に来て、背中にそっと手を置いてくれた。
「あなたは何も悪くない」
「うん」
「あなたは、何にも、悪くない。そのくらい、みんなちゃんとわかってくれるわよ」
「うん」
おばさんの手は温かかった。と、その時、唐突にお腹が鳴った。
「ウケるな……。こんな時でも腹って減るんだ」
公太は、ハハと泣きながら笑った。
「ウケないわよ。だって、人間だもの。お腹は空くものよ。私だってペコペコだわ。ちょっと待っててね」
おばさんは「よっこいしょ」と言いながら立ち上がると、キッチンの白い冷蔵庫を開けてみた。
「やった! 何か入ってる」
「え?」
「なんだろう、ケーキかな?」
「ケーキ?」
おばさんは、冷蔵庫の中にあったものを全部こちらに持ってきた。それは、ペットボトルのお茶二本と、白いケーキの箱だった。そっと蓋を開けると、大きなイチゴのショートケーキが二つ、可愛く並んで入っていた。
「なんで? なんでケーキ?」
「さあ……でも、美味しそうよ?」
そうおばさんは言った。それで公太は、手前の一つを手に取った。
「じゃあ、食べよう」
毒が入っているとは思わなかった。あの犯行声明を撮る前に自分たちがこれを食べる可能性だってあるのだから。公太はショートケーキにかぶりついた。甘い。思いっきり甘い。そして美味い。
「……美味いな」
そのまんまの気持ちを口に出した。
「美味しいわね」
おばさんも同意してくれた。二人とも、勢いよく手で食べているせいで、口にクリームがついている。それを拭い、お茶を飲んだ。と、おばさんが唐突に、
「私は、ヤマグチアイコ」
と自己紹介してきた。
「え? ああ、そうなんだ」
そうか。一緒に行動していたのに、名前を知らなかった。
「俺は、来栖公太です」
なんとなく敬語になり、お互い頭を軽く下げた。同志のような感覚だ。
「このケーキだけじゃお腹の足しにならないわね」
そうヤマグチさんに言われ、ふと、高沢と美味いラーメン屋に行こうって言っていた話を思い出した。
「ラーメン屋、行けなかったな……」
つぶやくように言った。
「ラーメン屋?」
「そう、今日の取材が終わったら、高沢さんに。あ、もう一人のあの男の先輩なんですけど、恵比寿に美味いラーメン屋があるから食いに行こうって。ギトギトのラーメンはあんまり食べないんだけど、そこは先輩には逆らえないんで」
それから公太は、詳しく訊かれてもいないのに、自分がテレビマンになりたいこと。でも、就職活動は全滅で今はアルバイトであること。社員にはつい媚びてしまうこと。いつか、報道関係のセクションに行きたいこと。そんなことを一気に話した。そして、
「実は俺、ジャーナリストになりたいんです」
と恥ずかしいので誰にも言ったことのない自分の夢まで口に出してしまった。
「そう」
ヤマグチさんは、少しも驚かずに、
「夢、叶うといいわね」
と微笑んだ。そして、
「ラーメンか……。食べたいな」
と付け加えた。
「ギトギトのラーメンは好みなの。背脂たっぷりのとんこつラーメンとか」
「ふうん。俺は塩ラーメン派かな」
「えー、そうなんだ」
「ヤマグチさんは、福岡出身?」
「ううん。そういうわけじゃないけど。とんこつの味は好きなの」
「なんか、臭いじゃん」
「最初だけよ。すぐにやみつきになるわよ」
そんなくだらない会話のおかげで、公太はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
と、ヤマグチさんの持っていたスマホが鳴った。お互いビクリとして目を合わす。この携帯にかけてくる人間は一人しかいない。犯人だ。
「……出るわね」
「はい」
ヤマグチさんは、一度大きく深呼吸してから電話に出た。犯人からの指示は、「クローゼットを開けろ」だった。部屋にある観音開きのクローゼット。公太が開けると、中にはプラスチックのハンガーが三本と、そして黒いボストンバッグがあった。
「それ、プラスチック爆弾だって」
「ひゃっ⁉」
公太はおかしな悲鳴を上げながら、大きく一歩後ずさった。ヤマグチさんは、それからも小さく相槌を打ちながら犯人の話を聞き、そして電話を切った。
「あと少ししたら、二人別々の行動だって」
「え?」
「公太くん。あなたは渋谷らしいよ」
「渋谷? ヤ、ヤマグチさんは?」
「私は、よくわからない」
「わからない?」
「待機して、そのプラスチック爆弾と一緒に、次の指示を待てって」
「そんな……」
一気に心細さがこみ上げてきた。それはヤマグチさんも同じようだった。
「公太くん……」
「ヤマグチさん……」
気がつくと、二人は互いの手を握っていた。ヤマグチさんは言った。
「でも、きっと大丈夫。二人とも助かる。だから、この事件が終わったら、一緒にラーメン、食べに行こう」
「……」
それからヤマグチさんは、公太を強くハグした。公太の目に、また涙がにじんできた。
「絶対ですよ? 俺、楽しみにしてますからね」
絞り出すように公太は言った。
「うん。私も楽しみにしてる」
「約束ですよ!」
「うん。約束!」

残念ながら、その約束は果たされなかった。
そのハグが、公太がヤマグチさんに触れた最後の瞬間だった。

(続きは11月22日更新予定です。)
(第1回はこちら)(第2回はこちら

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