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ノーベル文学賞受賞作家ハン・ガンに影響を与え「韓国文学最大の遺産」と言われる作家——パク・ワンソ 斎藤真理子による魅力語り尽くし1万字エッセイ無料公開『親切な福姫さん』発売記念
2026.10.13

『親切な福姫さん』
パク・ワンソ 斎藤真理子編訳
amazon、Rakutenブックスほか全国書店で発売中
本邦の韓国文学の第一人者・斎藤真理子さんが戦後韓国文学の巨匠たちの作品を精選・全訳する話題のシリーズ「斎藤真理子=個人編訳 韓国文学クラシックス」全5巻。
待望の第1巻 パク・ワンソ『親切な福姫(ポッキ)さん』が、来週10月15日(木)に発売となります。
「韓国文学最大の遺産」と言われ、韓国文化や、アジア人女性初のノーベル文学賞を受賞したハン・ガンをはじめとした現代作家たちに多大なる影響を与え続けるパク・ワンソ。
発売直前、斎藤真理子さんによる、パク・ワンソの魅力と巨大さをお伝えする1万字書き下ろしエッセイを無料公開します。

「斎藤真理子=個人編訳 韓国文学クラシックス」シリーズ詳細・予約は特設サイトをご確認ください。
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パク・ワンソは韓国文学のご飯である
斎藤真理子
波瀾万丈が韓国の基本
「ご飯」は炊いた米。
そして食事全般のことも指す。朝鮮語でも日本語でも同じだ。
「食事した?」がイコール「ご飯食べた?」になるのも、日本でも韓国でも同じ。
今どき、ご飯よりパンや麺類の方をいっぱい食べる人も多いわけだが、「おなかすいてない?」と言いたいときに「パン食べた?」とは言わない。
食生活は日本でも韓国でもどんどん変わってきたが、食べることを漠然と考えるとき、ニュートラルポジションに白いご飯が浮かぶのは基本、変わらないみたいだ。ここを基地にして食べたいものを考える訓練ができている。
おかずがなければ海苔だけでも、漬物だけでもいい。何もないとき、韓国の人はご飯に水をかけた後切って、そのまま食べたりする。そんな荒っぽいことをしてもご飯は許してくれる。
そう、何を食べてもご飯に戻ってくる。そんなふうにパク・ワンソの小説のことを考えてみる。
こんなことを言うと、パク・ワンソの小説って淡白な味わいなのかなと思うかもしれない。
そうではない。
パク・ワンソの小説は、韓国の現代史と韓国人の喜怒哀楽を煮詰めたようなもの。人肌だけでできている、という感じ。常に生き生きとした色彩に満ちている。これが基本の白いご飯だというなら、おかずはどうなるのだという感じ。
でも、この人が生きた1931年から2011年までの韓国の変化はすさまじかった。生きてるだけで大忙し。だから、そんな中を突っ走ってきた人たちのご飯は、白くて、何でも受け入れてくれそうで、何でも受け止めて落ち着いているように見えるが、実は大きく波打ち、ときめき、または慟哭していて、嵐が吹き荒れて、涙と鼻水まみれで、一粒一粒が動悸しているのかもしれない。
植民地に生きるという経験。国が二つに割れて戦争をするという経験。その中でたくさんの人が申し開きの機会もなく死んでいく経験。
または、すさまじい勢いで経済が発展し、日増しに豊かになり、その一方で自由と人権がきわめて手荒に扱われるという経験。たった何年か前のことがまるで「原始時代」みたいに思えてしまうほど急激な時代の変化。波瀾万丈が韓国の基本だ。
それらを思い、立ち返ってくる原位置に、パク・ワンソという一杯のご飯があるイメージ。
「ご飯食べな」
そして実際に、パク・ワンソは何度も、ご飯のことを書いている。
例えば、ぱっと思い出すのは「フナムご飯食べな」という短編だ。
韓国の貧しさが嫌で嫌でアメリカに移民した、「アン」という女性が主人公だ。
実際にそういう人がいっぱいいた。中には、アメリカに行きさえすれば何とかなると思って移民した人も多い。しばらく前に『ミナリ』という映画があったが、この映画の主人公である父親は、アメリカで農業をやって一山あてたいという夢を持っていた。だがうまくいかなくて、家族みんなが悲しい目に遭う。
ともかく、大勢の人ががむしゃらに頑張ったのだし、アンもその一人だった。アメリカ人と結婚し、逃げるように渡米して、まずます成功したと言える人生を送った。
だが、だんだん歳をとったアンはホームシックに沈むようになる。そんな折、老いた母親が認知症になり、自分の名前も忘れたようだと聞き、久しぶりに故国へ戻った。
髪の毛を短く切られ、何の表情も見せなくなったお母さんに会ってアンは衝撃を受ける。けれども「アメリカの娘が帰ってきたよ」と告げられた老母は不意に、ひときわ若々しい声で「フナムご飯食べな、フナムご飯食べな」と言う。
実はアンは、韓国が嫌なのと同じくらい自分の名前が嫌だった。だって、「フナム」とは、漢字で書けば「後男」、つまり、この子は女だったが、次に生まれる子は男の子でありますようにという大人たちの願いをこめた名前だからだ。アメリカに行き、「アン」と改名したときほっとしたのも無理はない。
フナムという名前自体が嫌なのに加えて、お母さんが自分を呼ぶときの呼び方も嫌でしょうがなかった。貧しいその町でお母さんは、フナム! フナム!と近所じゅうに響き渡るような声でその名を呼ぶばかりか、必ず「フナムご飯食べな!」と、「ご飯」をつけて大声で呼んだ。フナムは恥ずかしかったのだ。自分の名前と「ご飯」がいつもワンセットであることが。「食べな」とワンセットであることが。
それらのすべてを振り切ってアメリカへ行ったフナム=アンは、お母さんと自分をつないでいたのがご飯だったことに気づく。
何十年かぶりに泊まった故郷の家でフナムは、ご飯を蒸らすときの何とも言えない匂いに酔いしれる。昔ながらのかまどで、鉄のお釜で炊いたご飯を蒸らす匂いは、湯気の匂いと鉄の匂いと、壁のひびを通して入ってくる土の匂いが混じったものだ。この原初的な匂いが自分とお母さんをつないでいたのだと、フナムは気づく。「ご飯食べな」はまぎれもなく、お母さんが自分の命を生かしておくために叫んだ言葉だった。
韓国からアメリカに移民した人に関する小説はいっぱいあるが、これはとりわけ印象的だった。韓国人とアメリカをつなぐ「かすがい」の位置にご飯がある。
10人で食べてて9人死んでも気づかないくらいおいしい
パク・ワンソを読んでると、他にも、かすがいにご飯があると思うことがあった。
そんなことが重なって、徐々に、この作家自身がご飯みたいだなと思うようになったのだ。
中でも、ど真ん中にあるのが、「空港で出会った人」という短編だろう。そこには、朝鮮戦争で夫をなくして生きる気力をなくしてしまった女性が出てくる。夫を見送った後、何も食べられなくなったときのことを、次のようにかつての同僚に話す場面がある。
「ご飯どころか重湯一匙ものどを通らなくて、がりがりにやせ細って1週間寝ていたら案の定頭が朦朧としてきてさ、あの世とこの世を行ったり来たりするようになって、あの世に行ってる時間の方がだんだん長くなってきて、ああ、死ぬ日が近いんだなと思ってさ。それが一つも怖くないんだものね。どこも、なんにも痛くないし、あんなに穏やかな気持ちってなかったわ」。
こんなふうに寝込んでしまったときの思い出だ。この人は本来、すさまじいバイタリティに満ちた女性で、米軍基地の掃除婦として働きながら品物をくすねては横流しし、従軍中の夫の一家10人あまりを扶養していたこともあった。
当時は朝鮮戦争のまっただ中で、米軍は、マッカーサーを筆頭に韓国を助けてくれた最大の恩人だった。だから韓国人は、米軍に対して頭が上がるわけがない。ただでさえ、堂々と生きていくことが難しい時代だった。だが、この人だけは米兵や将校に対しても常に堂々としていた。それはときに傲慢に見えるほどだったから、一緒に働く韓国人たちも圧倒されていたのだ。そんな人が、これほど衰弱してしまった。
だが、もう死んでもいいと思って寝ていたとき、思いがけないことが起きる。
「あのときそのまま寝かせてくれていたらきれいに死ねたのに、実家の母さんがどっかから聞きつけてうちに来て、泣いてとりすがるのさ。だけどそれでも生きたいという気持ちがこれっぽっちも湧いてこないんだから、人は死ぬ前には木石になるんだねえ。ところがそのとき母さんが何を思ったか、台所に行ってご飯を炊きはじめたじゃないの。しばらくしたら戸のすきまからご飯を蒸らす匂いがちょろちょろちょろちょろ入ってきてさ。そしたら世の中にはこんなこともあるんだねえ、あたしはまだ意識がふわふわしてて指一本動かせないのに、突然お腹の底から何かがぐーっと盛り上がってきたんだよ。その何かがまるで怒っている獣みたいに暴れ回って、止められないのさ。後で考えてみると、たぶん、あの獣が命だったんだろうね。あたしはそのときまで人の心と人の命は同じものだと思っていたけど、そうじゃないんだわ。心と命は別物なんだ。それから母さんが炊いてくれたご飯を狂ったみたいに貪り食ったら、さっきまで飢えて死のうと思っていたのに、10人で食べてて9人死んでも気づかないくらいおいしかったのよ」
一杯のご飯に導かれて、気づいたら生の方へ戻っていたという物語。
ちなみに、「10人で食べてて9人死んでも気づかないくらいおいしかった」という言い回しは韓国語特有のもので、本来は「2人で食べてて1人死んでも気づかない」と言う。それほどおいしくて、夢中で食べちゃうという意味だ。魚や果物の行商をする人が、スピーカーで「2人で食べてて1人死んでも気づかなぁーい」なんて言ったりする。10人で食べてて9人死んでも気づかないとは、どれほどおいしいんだろう。
人と生命をつなぐかすがいの位置にご飯がある。ご飯をそばに置いてみて人はやっと、自分の生命がどれほど力に満ちているかを知るのだ。
ロックスターのような作家
フナム=アンの場合も、「空港で出会った人」の場合も、ご飯を蒸らす匂いがきっかけになっている。そして、パク・ワンソの小説家人生に、「ご飯を蒸らす」という言葉が使われることもある。
この人の文学の中心にあるのは朝鮮戦争体験だ。
戦争が勃発したとき、パク・ワンソは20歳になる手前だった。ソウルが朝鮮民主主義人民共和国によって占領された際に、兄と叔父を失っている。また、市民のほとんどが避難してがら空きになったソウルに残るという深刻な経験もしている。
このときの経験をいつか証言したいという気持ちが、パク・ワンソを小説家にした。
それが実現したのはずっとあと、40歳手前になったときだった。体験してから20年ほどの時間が過ぎている。その長い時間を、「ご飯を蒸らすような時間」と言い表すのだ。
この20年間、パク・ワンソは「主婦」と総称される女たちの1人だった。
戦争中は米軍のPX(売店)で働き、母、兄嫁、その子供たちを養う家長の役目を担っていた。もともと父は子供のころに病気で亡くなっていたからだ。その後、兄嫁が自立したあと結婚し、娘4人と息子1人を育て、子供たちに手がからなくなってから作家デビューした。そのデビューも文芸誌ではなく、『女性東亜』という主婦向けの雑誌だったから、ずっと「主婦作家」と呼ばれた。
20年もの蒸らしの時間を通過したパク・ワンソの歩みは、すばらしかった。あっという間に人気作家になり、読者からの愛と文壇での評価とセールスと、三つどもえの成功を収めた。「主婦作家」が徐々に「女性作家」になり、単に「作家」と呼ばれるようになり、有名な文学賞をあれもこれも受賞した。2011年に80歳で亡くなるまで、ずっと現役だった。
そして何より、作家たちから深く愛され、尊敬された作家だ。
今年の初め、新しく編まれた短編集『ジュディおばあさん』が刊行されて、話題になったのだが、これはハン・ガンやキム・ヨンスなど、日本でもよく知られた小説家31人が好きなパク・ワンソの短編を2〜3編推薦し、結果を合算して上位10作品を集めたものだ(誰が何を挙げたかは伏せられているので、残念ながらハン・ガンさんがどれを推薦したのかはわからない)。亡くなって25年目の今年にこんな企画が出るというところに、パク・ワンソの人気と信頼のほどが現れている。
また、日本でもたいへん人気のある作家のチョン・セランが、「アラの小説2」という作品(『私たちのテラスで、終わりを迎えようとする世界に乾杯』すんみ訳、早川書房所収)で、パク・ワンソのことを書いている。
この小説の話者「アラ」は、チョン・セラン自身と重なるところの多い女性作家で、韓国の文壇で女性作家として書きつづけることにさまざまな悩みがある。例えば、「不思議なことだ。男性作家は中年になるにつれて権威を得るのに、女性作家は『鋭さを失って、おばさん小説を書く』と評価を引き下げられてしまう」、などなど。
だがアラは、「それでも頭を上げて遠くに目を向けると、そこにパク・ワンソさんがいるような気がした」と言う。遠くにでも、パク・ワンソがいてくれると思うだけで頼もしいのだ。生前のパク・ワンソに一度だけ会ったことがあるが、そのとき、ロックスターに手を伸ばすファンたちと同じように、この大作家の髪の毛が一本欲しいと思ったとも書いてある。これはチョン・セラン自身の気持ちなのかもしれない。
「アラの小説2」はもともと、『メランコリー・ハッピーエンディグ』というアンソロジーに入っていた。パク・ワンソの8周忌を記念して企画された本で、29人もの若い作家が、パク・ワンソのために書き下ろした掌編小説集である。
巻頭に載っている、各作家からのメッセージがおもしろい。『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、ちくま文庫)の著者チョ・ナムジュは、「途方に暮れ、息が詰まりそうだと思うとき、先生の文章を1行1行指でたどって読む。私の儀式のようなものだ」と書いている。
日本と韓国の「戦争」の違い
パク・ワンソこそ、韓国文学を読む醍醐味をとことん味わえる作家だと思う。日本では今まで、自伝的性格の強い『あんなにあった酸葉をだれがみんな食べたのか』(『あんなにあった酸葉をだれがみんな食べたのか/あの山は本当にそこにあったのか』〈真野保久・朴暻恩・李正福訳、影書房〉所収)をはじめ3冊の長編が邦訳され、たくさんの短編が、さまざまなアンソロジーに収録されてきた。
このほど、「韓国文学クラシックス」という短編集のシリーズを立ち上げるにあたり、1冊目はどうしてもパク・ワンソにしたかった。10月刊行予定の短編集『親切な福姫さん』がそれである。
この作家が大好きだと言うと、日本の作家で言うと誰だろうか? と聞かれることがある。類稀なストーリーテラーで、歴史の証人で、市井の人たちの声を伝えることにたけ、女性たちの精神的支柱で……と考えていくと、いろんな日本の作家とさまざまに共通点があるが、誰か1人でこの人に置き換えられる人がいるかというと、いない。
これはもう、歴史と社会が違うと言うしかないのでは。
もっというなら、朝鮮戦争の性格が違うからだといってもいいのでは。
なぜかと言うと、ひと言で言って、朝鮮戦争には、戦闘員ではない人が戦闘ではない事態で殺されたケースがものすごく多いからだ。パク・ワンソの戦争体験は、そこに集中している。
詳しくは先に挙げた自伝的小説を読んでほしいが(とてもつらくなってしまうかもしれないが、でも同時に、その生命力のすごさに驚くはず)、パク・ワンソの兄も叔父も、直接の戦闘や空襲で亡くなったわけではない。
ごく大ざっぱに言うなら、「思想を問われたために」死に追いやられた人々だった。そういう人が本当に大勢いた。
それもこれも、朝鮮戦争が、イデオロギー戦争と呼ばれるものだったからだ。
朝鮮戦争では、狭い半島を何度も戦線が行き来し、そのたびに地域を支配する体制が完全にひっくり返った。そのたび、支配者たちにとって住民たちは全員が潜在的にスパイのような存在になる。
混乱の中で、非戦闘員がスパイ、裏切り者扱いされて、何もしていないのに殺されてしまった。その過程では、隣人を監視したり、密告したり、ということも頻繁に起きた。これらの不条理な死は韓国文学の重要なテーマのひとつだ。
断っておくと朝鮮戦争は、本当に激しい戦争だった。3年に及ぶこの戦争で米軍が使用した爆弾の量は、第二次世界大戦の全期間で使った総量を上回ったそうだ。そして、そんな激しい戦闘や空襲を免れてせっかく生き残った命が、みすみす、むざむざ、人為的に失われたのだ。
考えてみれば関東大震災のときだってそうだった。
あの大虐殺で殺されたのは、地震そのものでは命拾いした人たちだったのだ。
生死の境目としての小豆粥——ハン・ガンとパク・ワンソ
みすみす、むざむざの、無念すぎる死についてパク・ワンソはくり返し書いてきた。
「仏様の近所」(『親切な福姫さん』所収)という短編に、打ちのめされるような文章がある。
「私たちはまるで、仔を産んだ後に胎盤を丸呑みし、血や膿や粘液までぺろぺろ舐め取ってしまう獣のように、図太くも平然と一つの死をごくりと飲み込んだ」。
この小説の主人公は、パク・ワンソと同じように戦争のときに家族を亡くした人だ。当時の状況では、この死者たちは裏切り者と見られるしかない立場だったので、葬式をしたり公然と嘆き悲しむことはできなかった。それどころか、死そのものを隠さなくてはならなかった。こっそり人手を頼んで遺体を埋め、二人は行方不明になったものとし、親戚にまで隠し通した。その後もずっと、うちのお父さんとお兄さんは行方不明になったんだよと嘘をつき、そのままで長い歳月が過ぎる。ごくりと飲み込んだ死はやがて、内側から生者を蝕むようになる。
この短編は1970年代に書かれたものだが、今もそのページを開けば文字列がどくどくと脈打つ。半世紀経ったけれども、韓国文学にはそんな脈打ちがまだ続いている。例えばハン・ガンにもそれがある。
ハン・ガンの『別れを告げない』(斎藤真理子訳、白水社)は、1948年に済州島で起きた大虐殺、「四・三事件」を背景にしているが、ここに幼い女の子が死んでしまう光景が出てくる。
この事件は朝鮮戦争より前の1948年に起きた非常に大規模な赤狩りで、乳幼児から高齢者まで、おびただしい無実の人々が殺されてしまった。
『別れを告げない』では、たまたま親戚の家に行っていために虐殺を免れた2人の姉が、家族たちの遺体を探しに行って、銃撃を受けて重傷を負った妹を畑で発見する。両親はすでに亡くなっていたが、幼い妹だけは、血まみれでむごたらしい様子ではあったが、まだかろうじて、息だけはあった。
意識を失ったその子を2人が交代でおぶって家に連れていくのだが、その様子が、次のように書いてある。
「三姉妹があずきのお粥に浸けられたみたいに血みどろの一かたまりになって家に入っていったとき」。
初めてここを読んだとき、何かアラームが鳴ってるような気がした。既視感ではなく既聴感みたいなもの。ざわざわして、何かすごく注意して歩かなければならないところを通過しているような感じがしたが、それが具体的に何なのか、思い出せなかった。
しばらくして、パク・ワンソの『あの山は本当にそこにあったのか』を読み直して気づいた。ここにも小豆粥の描写があったのだ。これを読んだときの記憶がどこかに残っていたのだと思う。ハン・ガンの小豆粥を読んだとき、アラームを鳴らしたのだろう。
こちらは、兄が死に、家族たちが、一刻も早く遺体を埋葬しなくてはと焦る場面である。夏の暑い時期で、遺体は腐敗しはじめている。「仏様の近所」と同様、家族たちは、死者を大っぴらに悼むこともできない。心の余裕もなく手押し車で遺体を運び、あたふたと密葬を終え、疲労困憊して帰ってくる、すると叔母が小豆粥を作って待っている。
韓国の小豆粥は、米と小豆を共に煮て(あるいは小豆を煮た汁に米を途中から加える)、食べるときに適宜味つけをする。日本のお汁粉とは違って甘くはしない。米が入っているのでとろみがある。冬至にはこれを食べる習慣がある。体にいい養生向けの食べ物だし、だからこそ叔母も作ったのだろう。
だが、死者を葬ってきた家族たちは、その赤くてどろどろしたものが食べられない。こんなものを作るなんてと叔母に腹を立てさえする。叔母は、喪中でも小豆粥は禁忌ではないことを説明するが、みんな納得しない。
でも結局、彼らはそれを食べる。このまま放っておいたら酸っぱくなって腐ってしまうからだ。
「食べ物を粗末にしてはいけない」という母のひと言でお膳を囲んで座り、「愛する兄が息絶えてから一日も経っていないのに、ただ死体が腐ることを心配して外に放り出した人間らしく、ただ小豆粥が酸っぱくなるのを心配してガツガツ食べ始めた」という。
生と死の境目がぼやけたところにある小豆粥。人の肉体と人の食べるものが残酷なほど似ていることに、茫然としてしまう。
体液への感受性——石牟礼道子『苦海浄土』
藤原辰史の、『生類の思想——体液をめぐって』(かたばみ書房)という本がある。先日、小林秀雄賞を受賞したばかりだ。
この本では、「体液、つまり生類から滲み出る、あるいは、それぞれの生きものを超えて満たす液汁を根拠に、ものを考えることはできないだろうか」ということが提唱されている。
体液というのはつまり、血液、消化液、涙、鼻水、唾液、それに羊水も、尿や便もそう。私たちはそれらの体液を満たした存在であり、また常にそれらを「漏らす」存在でもある、というのがこの本の考え方だ。
そこで取り上げられているのは、石牟礼道子の『苦海浄土』(講談社文庫)だ。水俣病事件では、海が汚染され、人間の胎児が浸かっていた羊水も汚染された。「胎児性患者を生まねばならなかった母親たちも、太初からそうであったように、魚を養う海の潮とおなじ羊水を、その胎に湧かせていたのである」と石牟礼さんは書いている。
また『苦海浄土』には、親を水俣病で失い、自分も患者だった川本輝夫さんが、チッソ本社での自主交渉の席でカミソリで指を切るという有名な場面がある。
川本 社長、今日はな、われわれは血書を書こうと思ってカミソリば持ってきた。
社長 えっ。
川本 血書を書く、要求書の血書を。わしも切ってあんたも小指を切んなっせ、ほら。
社長 それはごかんべんを。
そして水俣の人たちが次々に「ごぼうでも削ぐように」指を切るという場面が続く。
私が惹きつけられたのは、そのことについて書かれた藤原さんの次の文章だった。
「そもそも、『苦海浄土』を、時代に捨てられてゆく人びとの体液の美学を描いた作品とみるとどうだろうか」
「生類の証である血液や涙などの体液は、いつも巨大な力によって犠牲に供された側から大量に流れる、という歴史法則といってもいい冷徹な事実ではなかっただろうか」
これを読んだとき真っ先に、「仏様の近所」の「血や膿や粘液までぺろぺろ舐め取ってしまう獣」という描写を思い出した。小豆粥のことも思い出した。
そもそも前から、韓国文学を読んでいると、体液に対する濃厚な感受性を感じることがよくあった。例えば小説の中で、人が泣く場面の描写に「涙と鼻水まみれになって」という表現がよく出てくる。定型表現だ。
私はその箇所を翻訳するたび、一瞬、「鼻水は、いらないんじゃないの?」と思ってしまう。鼻水が出てくると、とたんに汚いような気がしてしまうらしい。
でも、少し調べてみると、目と鼻は「鼻涙管」という細い管でつながっていて、泣いたときに鼻水が出るのは、涙がその管を通って鼻から出るためらしい。涙と鼻水の成分は同じなのだ。だったら、泣いたときに鼻水が出るのはどこから見ても自然なことだし、それをセットで書くのは非常に正しい。
長くなるのでもうやめるが、他にも、ドラマに鼻血のシーンが多いとか、胃もたれがしたときに指を突いて血を出す「瀉血」とか、体液へのタフな感覚、独特の身体性を韓国文化に感じてきた。その最強の例と思っているのが、「仏様の近所」の「血や膿や粘液までぺろぺろ舐め取ってしまう獣」だ。
そして、ハン・ガンとパク・ワンソという類稀な二人の韓国人小説家が二人とも、人間の肉体と小豆粥との近さを書いていたのは、偶然だろうか。
翻訳をしていると行間から、いろいろなものがしたたってくる。ハン・ガンやパク・ワンソを読んでいると、歴史の体液がこぼれてくると感じる。ここに、「生類の思想」とつながるものがある。
歴史の身体は腐りやすい小豆粥さながらだ。だが私たちはそれを食べないわけにいかない。
「飯は神」
パク・ワンソに戻る。
作家としてのパク・ワンソは大成功した。しかし、私生活上の試練は並大抵ではなかった。
1988年、ソウルオリンピックが行われた年。前年に民主化を迎えた韓国はやる気まんまんで、むんむんしていた。その年にパク・ワンソは、30年連れ沿った夫を病気でなくした。すっかり気力を失い、「あなた、私も連れてってちょうだい」と言い続けて寝込んでいたら、3か月後に、まだ26歳だった一人息子が交通事故で死んでしまった。
彼は研修医で、病院での過酷な長時間労働が事故の背景にあった。
なぜ私じゃなくて息子を連れていったのかと母は取り乱し、夫の遺影を見えないところに片づけてしまった。
そのときの苦しみの記録が、『慟哭——神よ、答えたまえ』(加来順子訳、かんよう出版)という1冊の本になっている。作家自身が自分を保つために書いていた日記ということだと思う。はたから見ても自殺しかねず、娘たちにも心配されたパク・ワンソは、詩人でもある修道女の李海仁さんという人の勧めで、修道院で静養することにした。
修道院でも最初のうちは「胸をかきむしり、狂ったように身体をよじりながら泣き叫ぶ」毎日だ。何を見ても心が動かない。神に対しても怒りと悲しみをぶつけるしかない。何も食べられず、食べたくなく、食べることに強い罪意識を感じる。無理をして食べると激しく吐いてしまい、その中に生々しくまじっている米粒にぎょっとしたりする。
だが日が経つにつれ、シスターとの交流や今までの人生を振り返りを通して、ほんの少しずつ変化が始まる。そして徐々に空腹を覚えるようになる。そのことが恥ずかしく、また浅ましいとも思うが、ある日、漂ってきたご飯の匂いに「獣のような食欲」を覚える。自分が昔書いた「空港で出会った人」の登場人物そっくりになったのだ。そして実際にこのとき食べたご飯は「ものすごく美味しかった」。
パク・ワンソが修道院で静養の時間を選んだのは、神と対話するためでもあった。なぜ神様は自分にこのような試練をお与えになるのか、その答えがひと言でもいいから欲しかったのだ。だが、ついに答えはもたらされない。だが、言葉ではなく他のもので神は答えてくださったのではないかとパク・ワンソは思い当たる。それは、ご飯の匂いである。
「そうだ、確かに何かおっしゃったはずだ。ただ私の耳が独善と我執でぴったり閉ざされていて、聞き取れなかっただけなのだ。あまりにじれったくて自らご飯になってお訪ねになったのだ。まずは食べて生きろ、という答えとして。そうでなければ、あの状況でご飯の匂いと味があれほど甘美ではなかったはずだ」。
「神は飯」——パク・ワンソの定義ではそうなる。パク・ワンソ自身もカトリックのクリスチャンなのだが。
何しろ神なのだから。それが基本の白いご飯なら、どんなおかずでも持ってこられる。
厳粛でいて弾む気持ち——パク・ワンソを読むということ
パク・ワンソの小説の読後感を無理にひと言にするなら、「苛烈にして多情」、そう言えると思う。
多情というのは、日本語だと浮気者を指すが、朝鮮語では文字どおり「情けが多い」、優しいということだ。
写真で見るパク・ワンソはたいてい、「多情」そのものの優しい笑顔だ。
作家のキム・スムはその笑顔について、「雪の中から黄色い月のように咲き出す福寿草、それが咲いていると教えてくださった、満月よりも明るく笑っていらした先生」と書いていた。
まったく、こんな笑顔の人が泣いたり怒ったりするときはどれほどつらいのだろうと思うような笑顔だ。
ひとつ大事なことがある。
パク・ワンソは、今は北朝鮮に属する開城というところの出身だった。まだ幼いころにお父さんをなくし、お母さんがとても教育熱心だったためソウルに転居し、そのまま故郷には帰れなくなった。
そういう人を韓国では「失郷民」という。故郷をなくした人。
かつてパク・ワンソは「鄭会長は鄭会長らしく故郷に行ったが、私は私のやり方で故郷に行きたい」と書いたことがあった。「鄭会長」とは現代グループの創業者の鄭周永、1998年にたくさんの牛をトラックの荷台に乗せて板門店を通過し、南北分断後初めて、民間人として陸路で北朝鮮を訪問した。これを契機として金剛山観光事業など南北経済協力の道が開かれたことが知られている。
そして、パク・ワンソが考える「私のやり方」とは、こんなものだ。
「鈍行列車に乗って開城駅で降りたい。私ひとりで峠を越えて、広い野原を休み休み歩いていって、運がよければそのへんを行く牛車にでも乗せてもらう、そんなふうにして行きたいのだ」。
このことがパク・ワンソをパク・ワンソたらしめている。
ずっと南で生きてきて、南の現代史を書き切ったような人だけど、その後ろにもう半分の広い土地があって、風が吹いている。
苛烈さと多情さを攪拌して、差し引きして、斟酌して、最後に残った一杯の白いご飯。
さあいただきましょうかと箸を取る、ちょっと厳粛でちょっと弾む気持ちが、これからパク・ワンソを読む人たちに用意されている。
なお、パク・ワンソの短編は全部で97作品あり、いずれ劣らぬ名作揃い。本稿で触れた「フナムご飯だよ」は今回は収録しなかったが、2冊目を編むことができたらぜひ入れたい。
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『親切な福姫さん』
パク・ワンソ 斎藤真理子編訳
amazon、Rakutenブックスほか全国書店で発売中

「斎藤真理子=個人編訳 韓国文学クラシックス」シリーズ詳細・予約は特設サイトをご確認ください。
























