ためし読み - 日本文学

『おらおらでひとりいぐも』の若竹千佐子さん待望の第2作『かっかどるどるどぅ』の発売を記念して、第四話「よき人の」冒頭部分を公開します!

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かっかどるどるどぅ

「第四話 よき人の」

 

「どうぞ、入って」

 夜の九時過ぎ。もう今日はこれで仕舞しまいかなと思って玄関のドアを閉めようとしたら、まだいた。玄関先で突っ立ったまま、何やら言いよどむ男の袖口を引っ張って上がりかまちまで引き入れた。  おずおずとして居たたまれなさそうな男をいつものようにちゃぶ台の前に座らせ、 「甘酒、飲むかい。ちょうど、あったかいのがあるんだよ」

 顔赤くして男はうなずいた。

「ほら」

 手渡した湯呑茶碗を両手で受け取ると、大事そうにすすった。

「うまいです、あのほんとにうまいです」

「だろ。米とこうじだけで作ったあたし特製の甘酒なんだ」

 慣れて来たら、男は木村きむらだと名乗った。二十四、五かそこらか、まだ若い。

 木村君は湯呑茶碗を見ながらぽつらぽつらと身の上話をした。

「あの、俺、公園にいたんです。……俺、仕事無くしてしまって、……行くところも無くて、今日だってぼんやりベンチに座ってたんです。どうしようかなって。俺、んでるよなって。……そしたら向こうからズカズカ公園のおっちゃんがやって来て、にいちゃん、見たところ信用できそうだから言うけど、困ったら、ここ行けって、ほんとに困ったらここ行けって教えてくれたんです。誰彼だれかれに言うなよって。お前がほんとに信用のできるやつにしか言うなって。……俺、信用なんて言葉忘れてました。だけど、この俺に信用するって言ってくれて、まだそんなこと言ってくれる人あるんだと思って……あきれて、でもうれしかったんです。俺もおっちゃん、信じてみようかなって。だから、行ってみようかなって、迷ったんだけど来てしまいました」

 あたしはうんうんうなずくだけ。木村君に分かるだろうか。背中がぞくぞくするような喜び。部屋の中にあたし以外の人の気配があるってことの喜び、話し声、人が立てる微妙な音の全部がこの部屋をってか、あたしを元気にしてくれてるってこと。それに比べればあたしがやってやれることなんかほんの少しだ。ほんとはもっといろんなことをしてやりたいけどさ、あたしができるのは、あったかい飲み物とご飯を食べさしてあげるだけ。まだ世の中が信用できるって思わせたいじゃないか。

「また来ていいんだよ、困ったらいつでもおいで。おばちゃんがやってやれるのはせいぜいがこれくらいだけどさ、今日はもう遅いから」

 残りご飯でにぎめしを作って胃のあたりにポンと押し付けた。あたしのおにぎりはおっきいんだ。つい両手で押しいただくような恰好かつこうにさせちまう。ごはんのあったかさが伝わったかな。木村君は初めてあたしの顔をじっと見てありがとう、と言った。それから、

「あの、俺なんかが言うのもなんなんですけど、大丈夫ですか。ドア開けっ放しにして、悪いやつが来たらどうするんですか」

「あはは、ここに来る連中はみんな必ずそう言うよ。大丈夫だかって」

「そんときは、そんとき。何もかも神様のおぼしってやつだよ」

 神様なんか信じちゃいるもんか。神様がいたらこんなひどい世の中にするわけがない。今時いまどきだよ、今時。腹をかした人間が大勢いるんだ。当たり前だ。若い人の三人にひとりは非正規、女だけだと四割が非正規っていうじゃないか、こんな、あやふやなところに置かせられて、安心も安全もあったもんじゃない。なのにそれを見ないことにしてしまう。みんなきれいに取り澄ましてさ。

「あたしくらいの年になるとさ、良いことも悪いことも、なんだ、おつりがくるような人生なんだよ。もう十分」

 早く終わらせたいって気持ち、あたしにはある。なんでだか、いつだって。だからいいんだ、それくらいの覚悟はある。

「それにさ、あたしだって他人のこと信用したいんだ。だけど、もうすぐ十一月だもんね、さすがに開けっ放しは寒いや、閉めようと思うよ」

 って笑ってやった。

 木村君はなおも、どうしてこんなことをって言いかけて途中でやめた。よく分からないって顔してあいまいに笑った。でもありがとうって何度も言って帰ってったよ。

 なんであたしがこんなことをしてんだか、木村君に分かるはずがない、当のあたしでさえ、よく分からないんだもの。なんていうか、成り行きなんだよ、成り行き。

 

===続きは単行本『かっかどるどるどぅ』でお読みください。===

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著者

若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)

1954年岩手県遠野市生まれ。岩手大学卒業。2017年『おらおらでひとりいぐも』で第54回文藝賞を史上最年長の63歳で受賞しデビュー。翌年、第158回芥川賞受賞。

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