63歳、史上最年長受賞、渾身のデビュー作ーー第54回文藝賞『おらおらでひとりいぐも』刊行記念特別試し読み

単行本 - 日本文学

63歳、史上最年長受賞、渾身のデビュー作ーー第54回文藝賞『おらおらでひとりいぐも』刊行記念特別試し読み

主婦から小説家へーー63歳、史上最年長での文藝賞受賞、渾身のデビュー作

おらおらでひとりいぐもが発売となりました。

9784309026374

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74歳、ひとり暮らしの桃子さん。
おらの今は、こわいものなし。

結婚を3日後に控えた24歳の秋、東京オリンピックのファンファーレに押し出されるように、故郷を飛び出した桃子さん。
身ひとつで上野駅に降り立ってから50年――住み込みのアルバイト、周造との出会いと結婚、二児の誕生と成長、そして夫の死。
「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
40年来住み慣れた都市近郊の新興住宅で、ひとり茶をすすり、ねずみの音に耳をすませるうちに、桃子さんの内から外から、声がジャズのセッションのように湧きあがる。
捨てた故郷、疎遠になった息子と娘、そして亡き夫への愛。震えるような悲しみの果てに、桃子さんが辿り着いたものとは――

青春小説の対極、玄冬小説の誕生!
*玄冬小説とは……歳をとるのも悪くない、と思えるような小説のこと。
新たな老いの境地を描いた感動作。第54回文藝賞受賞作。
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一部試し読み(単行本69ページ〜79ページ掲載)を公開します。

 

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診察を終え、会計を済ませたのは昼過ぎだった。病院を出たとたん、暑い日指しが桃子さんの頭上に容赦なく降り注いだ。陽炎かげろうが揺れている。さっきもらったばかりの薬を入れたポリ袋をぶらぶらさせながら、木陰伝いにバス停までの道を歩いた。

いつもの喫茶店はそれほど混んでいなくて窓際の席に着いた。

病院通いのあとはバスに乗って最寄りの駅まで行き、電車の待ち時間を利用して、駅前のロータリーが見渡せる喫茶店二階のこの席に座る。観葉植物に囲まれた柔らかなソファが心地よくて、かすかに流れる洋楽も好ましく、外出の締めくくりにここに寄って駅前の風景を見下ろすのが常だった。

頼んだソーダ水を待ちかねたように口に含んだ。ピリピリとした甘さが舌を刺激してのど元を通り過ぎたとき、桃子さんは自分が思いのほか疲れているのに気が付いた。暑い日差しにやられたのかもしれない、とろけるような睡魔に襲われて、グラスの底ではじける泡を覗き込んでいるつもりが何も見ていなかった。ストローを握ったままほんの数分眠っていたらしい。

気が付いたときここがどこか、なんのためにここにいるかもすぐには思い出せないほどだった。

だがソーダ水のせいなのか、数分の眠りのせいなのか、気分がとてもさわやかなのだった。透明な意識の中で桃子さんはある予兆にとらわれていた。自分がこれから思いもかけない気づきを得るのだなどという。何かは分からないけれどそれはすぐそばまで来ている。

この感覚は実は初めてではなかった。桃子さんは普段は理詰めでものを考えたいタイプの人間である。自分の経験を積み重ねてこれこれこうだという結論を得る。ところが突然、何かをすっ飛ばしてそういう思考の積み重ねをなくしてぽいと気づきを得るときがある。

人はそれを直観と呼ぶのかもしれないが、桃子さんはその言葉で片付けたくないのだ。

桃子さんはそんな時いつも自分の内部に自分のあずかり知らない未知の自分がいて、そのものが桃子さんの知らないところでもずっと考え続けていて、あるときひょいと浮上して、何の説明もなしに正論だけを述べて、さっと消えていくという思いに駆られる。桃子さんはそれを非常に頼りにしていた。自分の内側から聴こえてくる様々な声、それこそがわが友、わがはらからと思っている節がある。自分のような人間、容易に人と打ち解けられず孤立した人間が、それでも何とか前を向いていられるのは、自分の心を友とする、心の発見があるからである。桃子さんはそう思っている。自分はひとりだけれどひとりではない、大勢の人間が自分の中に同居していて、さまざまに考えているのだという夢想は桃子さんを気強くもさせた。あるときは、世間は仲間だのきずなだのを強調して、それがない者はどこか欠陥けっかんがあるように言う風潮があるが、大きなお世話、そんな人間こそ弱いのである、弱いから群れるのであると虚勢を張った。

喫茶店の二階で桃子さんが感じたのは、内部の誰かがすでに気づいているのだが、桃子さんの俎上そじょうにはまだ載っていない何かがある、という漠とした予感なのだった。

おらあど何に気づけばいいのだべ、桃子さんはそっと呟いてみる。

もどかしくて、何が分がればいいのだべ、もう一度言ってみた。

あたりを見回し、それからソーダ水のはじける泡をじっと見つめた。その音に耳をそばだてた。グラスのそばに無造作に置かれたポリ袋からはみ出たいろんな色形の錠剤じょうざいの入った薬包紙の束を取り出し、光に透かしてみたりもした。

そして目をつぶった。

グラスの中でどれほどの泡がとりどりに浮上して、はじけて消えて行っただろうか。

桃子さんの意に反して網膜もうまくに何の像も結ばなかった。何の声も聴こえてこない。そんなはずはないのだ。桃子さんはにわかに慌てる。動悸どうきを押し殺し、心を平静に保って訪れを懇願こんがんする。なのにやはり、心に何一つ結実しない。期待していたものが期待通りに現れない、ささやいてもくれない、桃子さんは打ちひしがれる。桃子さんの外部には何の変化もないが、その内側ではなけなしの自信が音を立ててしぼんでいく。何しろ頼りにするのは自分だけ、その自分に裏切られるような。

周造しゅうぞう

桃子さんはこの日初めて亭主の名を呼んだ。

おら、今こんなとごろにいるよ。

気弱になった桃子さんは、自分の位置を確認せずにおれない。桃子さんを定位するのは、今はどこにいるのか分からないが、必ずどこかにいるはずの亡夫を定点と見定めた自分の在り所だけ。自分を取り巻く現実はあまりにも殺風景で希薄で、自分はこの世界でほんとに生きているのだろうか、比べて遠く隔てられた過去は色鮮やかに蘇る。桃子さんとて過去は恣意しい的なもの、美しい装飾がほどこされたものとうすうすは気づいている。それでもそこにしか自分の居場所がないように思われる。

周造。もう一度亭主の名を呼んだ。

次第に古い懐かしい思い出が桃子さんの周りを取り囲んで離さない。

 

ファンファーレに押し出されるようにして上京したとき。桃子さんの回想は必ずそこから出発する。あのときを境に確かに桃子さんを取り巻く風景は一変した。山の子から都会生活へ、良い悪いは考えない。とにかくそうなったのだ。

上野駅に降り立ったときのあの心細さ、それでいながら何とも言えない解放感を桃子さんは今に忘れない。たいへんなことを仕出しでかしてしまったという思いはあった。が不思議と後悔はなかった。もう引き返すことなどできないのだ、ならば後悔なんかしない、と自分に言い聞かせて。でもすぐにそんなことも不要になった。目新しさ、何もかも新鮮で心を奪われて、それに後悔だのなんだの後ろ向きのことを考える前に、まずここで働いて食べていかなければならないのだ。仕事を探した。何でもよかった、住み込みという条件さえクリアできれば。すぐに蕎麦屋そばやの店員募集の張り紙を見つけた。東京オリンピックの好景気にくこの街で贅沢ぜいたくさえ言わなければ何とかなりそうな気もした。あの頃は若かったのだ、疲れというものを知らなかった。夢中で働いた。店の雰囲気にもすぐになれたし、重い岡持ちを持って配達するのも苦ではなかった。店の近隣の道もすぐに覚えられたし、心配していた言葉にもすぐに馴染なじめた。生まれた時からこの街にいるようにだって装えばできそうな気もした。今は狭いこの部屋だけど、ゆくゆくはアパートを借りて一つ一つものを揃えて、そう思うだけで楽しかった。実際、あの頃はお菓子の入ったきれいな缶から、、、一つ手に入っただけで、それだけで部屋が明るくなった気がしてうれしかったものだ。

豊かになることがそのままきらきらした目標だった。

あの頃、痛く突き刺さった言葉がある。

蕎麦屋をやめてすでに何軒か店を替えていた。大衆割烹かっぽうの店で朋輩ほうばいの子のひとこと、桃ちゃんてさ、わたしっていう前に、必ずひといき入れるんだよね。山形から出てきたトキちゃんという子だった。目がくるくるよく動く子でその子がいたずらっぽい目つきでそういった。背中に冷や水をかけられた気がした。

確かにそうだった。子供のころからずっと、わたしという言葉への憧れと反感、いや、むしろおらという言葉にたいする蔑みと愛着、それらが入り混じって、わたしというとき一瞬混乱して滞る。分かっていたのだ。でも人に気づかれていたとは知らなかった。

いったい、いまさら自分は何にこだわっているのだろう。飛び出してきた父や母や親戚の人がたへの済まなさであるのか、それもあるかもしれないが、そんなことはもうたいがい払拭ふっしょくしたはずだ。親は親。子は子だ。親の足元を離れ独りで生きるのもそれはそれでいさぎよい生き方でないか。だいたい中学を出たばかりのどれほどの人が集団就職で都会に出て来たか。少し遅れただけで自分もその中のひとり、少しも恥じることでないはずだ。

それでもトキちゃんの言葉は後々までひびいた。次第に口数が少なくなった。不思議なことに口数が減ると、豊かさへのあこがれも減じていった。飾りたてるという喜びが失せてきた。どんなに頑張ってみたところで所詮豊かさの辺縁にいるのだ、という思いもあった。

いつまでたっても追い付けない。桃子さんの夢だったものは次第に遠くにかすんで色褪いろあせていった。

その頃だったろうか。あの夢を見たのは。

八角山の夢。

八角山は桃子さんの郷里のぐるりを取り巻く山の中で一番高い山である。

ばっちゃは朝晩手を合わせていた。信仰の山でもあった。

だが、鍋を逆さに伏せたようなてっぺんが丸こくて凡庸ぼんような何ともえない山なのである。

桃子さんはこの山が嫌いだった。桃子さんの小中学校には毎年写生大会というのがあって、その日は丸一日思い思いに好きな場所に行って絵を描いて過ごす。桃子さんも画板と絵の具を持って張り切って出かけるのだが、周りを見渡しても何も描きたいものはないから、結局刈り取ったいねを乾かすための延々と続く稲ばせと、その向こうの丸こい八角山を描くのが常だった。どこを見渡しても木と山と田んぼと、点在する家々のほかに何もない、つくづくとつまらない場所だと思った。その象徴があの八角山なのだ。そう思っていた。

その山の夢をトキちゃんと共用の暑苦しい四畳半で見たのだった。

山のてっぺんが間近に見えた。

どうやら桃子さんは山のふもとの古い木造校舎の廊下のようなところにいるらしい。

木枠で囲まれたガラス窓が何段にも連なっている。小さな窓に分割された山がひときわ大きく全面に広がっていた。桃子さんは窓ガラスの一つに食い入るようにして山を見上げている。

夜、だった。

月明かりに照らされた山が壁のように眼の前にあった。山は雪に覆われていて、てっぺんの木々のこずえに降り積もった雪までがはっきりと見て取れた。神々しくてしんと静まり返って人を寄せ付けない、震え上がるような威圧感があった。

美しい、凍える、山。

息を呑んで、桃子さんはあの山に登りたい、登れるだろうか、と思っていて、でも登ったら帰れないと何故だか知っている。

胸の底まで冷気がこもって息がつけなかった。桃子さんの孤独と山の計り知れない孤独とが向き合っていて、ちっぽけな自分が如実にょじつであった。対して山の圧倒的な大きさと威厳とを見せつけられて、桃子さんはしょぼくれてすがって泣きたかった。

はじめその山が八角山だと分からなかった。だがすぐにあれは八角山だ、八角山以外に考えられないと夢の中で思っていた。

 

(……つづきは単行本で)

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若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)

1954年、岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒業。現在、主婦。
55歳から小説講座に通いはじめ、8年の時を経て本作を執筆。
2017年、第54回文藝賞を史上最年長となる63歳で受賞。

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