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【試し読み】第4章『シングルファーザーの年下彼氏の 子ども2人と格闘しまくって考えた 「家族とは何なのか問題」のこと』

 夫に別れを告げ家を飛び出し、宿無し生活。どん底人生まっしぐらのなか、「出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまく」り、その体験を綴った実録小説『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』がベストセラーになった書店員・菜々子。

 転職した本屋で出会った新しい彼氏は小学生男子2人の子持ち。付き合うって何? 血がつながってなくても家族になれる? 「子どもを持つつもりじゃなかった」彼女が格闘しまくる、感動の実録私小説第2弾。#シン家族

本作の試し読みとして「プロローグ」」をアップしたところ、大反響!!
試し読みの連載が決定しました。毎週水曜日アップ予定です。 

出会い系サイトで人生が動き出した菜々子の次の冒険をたっぷりお楽しみください。

本作がフルに読める!!シングルファーザーの年下彼氏の 子ども2人と格闘しまくって考えた 「家族とは何なのか問題」のことは3月下旬発売予定! 只今全国書店で予約受付中!!

第4章
迷いと不安と鬱の春

船出の日は曇り空で

 ついに新しいお店のオープンの日が来た。けど心は暗澹あんたんとしていた。
 会社の偉い人が来て「いい店になったね、たくさん人が来るといいね」と笑顔で声をかけてくれるけれど、うまく笑えなくて、「そうですね」となんとか声に出すのがせいいっぱいで、うつむいてしまった。
 出勤しているスタッフ全員で、うれしいような怖いような気持ちでレジの中に集まる。
 店が入っている施設のオープンの音楽が流れるのと同時に、エスカレーターを駆け上がって来る人が何人もいる。
 え、わざわざ? いや、そんなはずは、と考えていると、店に走りながら入ってきた人のひとりから「サイン本はどこですか?」と殺気立った雰囲気で聞かれる。「えっ、サイン本はあちら……」と、こちらが答え終わる前に走り出す。他の人たちもその方向めがけて走り出し、その場所に人が集中した。植木鉢が割れる音がして、みんながざわついた。サイン本を取り合っているようだった。
 オープン施策のひとつとして、人気のある漫画家さんのサイン本を用意していたのだが、そんなに取り合いになるような本だったとは。スタッフの子がほうきとチリトリを持ってレジから飛び出す。本が入手できなかった人から「朝から並んでいたのに足の速い人に抜かされて買えなかった、もっと購入方法を考えて」と別の社員が言われている。
 おそるおそるレジに入るが、とにかくレジも煩雑はんざつだ。ポイントカードがふたつあって、それぞれに端末が違い、ゴールド会員、プラチナ会員、予約ポイント5倍、Wポイント、クーポン割引、クーポン値引き、シャンテ商品券、ポイント利用……と無限にややこしい案件があり、「ポイントカードをお持ちですか?」と聞きながら「このポイントカードはどこに通すんだっけ?」と固まってしまう始末。私はみんなが研修をやっていたあいだも本の発注や本棚作りに追われていたので、スタッフの中でいちばん知識がない。私がレジ操作につまずいても、まわりのスタッフもどうしたらいいかわからなくてオロオロしてしまう。
 電話もたえず鳴っていて、怯えながら取ると「〇〇の初回限定盤ってまだ予約できますか?」と聞かれ、たぶんCDかDVDの話で、〇〇はアーティスト名なのだと察するが、なにしろこちらが知らなすぎておそらくその人にとっては「知ってて当たり前」の有名アーティストなのだろうが、聞き取ることができない。
「ニズワ? ミズワ? ですか?」
「いや、違います、ニズワです」
「ニズワ?」
「違います!」
「あの、アーティストのつづりをお伺いしてもいいですか?」
「はっ!? つづりって!?」
「えーと、アルファベットを……」
「アイ、ゼット、ほし、オー、エヌ、イー、でニズワです!」
「イズ、ワン……でしょうか?」
「だから何回も言ってるでしょ、そうですよ!」(正解はアイズワン)
 電話をなんとかCDの予約のことがわかる社員に引き継いでもまたすぐ別の電話が鳴る。また同じような電話で、自分にできることは何にもない。自分のすぐとなりでは、新しくポイントカードを作りたいというお客さんにスタッフが携帯画面を見ていっしょに操作しながら進めているが、エラーになってしまうようでお客さんがイライラしている。
「なんか怖い雰囲気ですね」
 学生バイトの子がぼそっとつぶやく。
「うん……」
 私、この店の店長なんだよ。こんなところで働けるのかな。ぜんぜんハッピーじゃない。怖い。
 目の前でまた電話が鳴り出す。私は数秒間鳴っている電話を見つめて、誰も私を見てないことを確認してから、受話器を一瞬だけ上げてこっそり電話を切った。もう鳴らないでくれ。

 逃げるように売り場に出ると、知った顔の人に出くわす。出版社で営業をしている、顔なじみの人だ。
「おめでとうございます〜! いや、盛況ですねえ」
「ありがとうございます」
「なんだかお疲れ? 休んでないんじゃないですか」
「いや……まあ」
「いいお店ですねえ〜」
「ほんとですか?」
 真顔で聞き返す。
「ほんとにいいお店だと思いますか?」
「どうしたんですか」
「もうやめたいです」
「どうしたんですか!」

 気分が落ち込んでるのは、今日のオープンの件とレジと電話を切ってしまったことだけではなかった。店は何とか形にはなっているけれど自分の目指す完成度からははるか遠かったし、パン屋の本屋のときと比べて、ぜんぜん自分の店って感じがしない。
 会社の人たちとコミュニケーションがうまく取れていないことも不安要素になっていた。プロジェクトに入ってからずっと、ほんとうに同じ「店」を目指していると思えない食い違いみたいなものをずっと感じていて、日本人とアメリカ人とで、フランス語で書かれたインドカレーのレシピを見て力を合わせてひとつの料理を完成させようとしているような、そんなちぐはぐさがあった。
 ひとつの店を始めるってここまで大変なことだとは。
 CD屋が元である彼らの常識は、私にとっては受け入れがたい非常識だし、私が本屋の当たり前のことをしようとしてもぜんぜん理解してもらえない。賛成とか反対とかいうレベルじゃなくて、知らない国の言葉を聞いたみたいな反応をしている。
 そういうチームなのだから、だから自分がいるのだから、と思っても、話が嚙み合わない、こちらの要望を理解してもらえない、会社の人たちがどうしたいのか、耳を傾けているのにさっぱり理解することができない。みんなで力を合わせて、なんて夢なのか。
 会社の中に入って新業態を立ち上げるということは、大きな船に乗っているようなものだと思う。皆が同じ目的や同じよろこびを持って乗っているわけではないし、自分もただの乗組員のひとりなのだ。そこで「あ、もうちょっとこの船左に曲がってほしい」と思っても動かすのは並大抵のことではない。共にこの店の目指す方向を模索する仲間でありながら、意思の疎通が難しいあまりに苛立ってしまうことも度々あった。会社の人たちは「いい人」ばかりで、ますます自分がクレーマーのように思えてなすすべがなかった。

 そんな自分を支えてくれるものがあるとすれば店でいっしょに働いているスタッフたちとのやりとりだ。過剰な労働はほんとうに憎むべきものだけど、まったく先の見えない本屋をいっしょに苦労して作り上げていると、ただ普通にいっしょに働いているだけでは生まれないような特別な連帯感が生まれるのもまた事実だ。残業や休日出勤やさまざまなトラブルを乗り越えて、くったくたの疲労感の中で、そんなつながりは深まっていった。

 棚に手を入れてもっと売り場をよくしたいし、それが私に求められている仕事なんだと思うけど、棚に手を入れる仕事ができるくらい余裕のある状況にたどりつくことが、まず限りなく困難なのである。
 シンクに溜まった洗い物を3時間くらいかかって片付けないと料理を始められない、みたいな状況にすごく似ていると思う。そしてやっと片付いた! って思って振り向いたら今度はガス台の上にも山積みの洗い物がある、みたいな状況なのだ。
 この事実をちゃんと受け止めたら絶望しそうになる。
 だから生きてるだけでえらい、オープンしただけでえらい、と無理やり自分を鼓舞し、「あれもないしこれもできてないしやばいですよ」と焦るスタッフに「生きてるだけでいいんだよ」と謎のスピリチュアルカウンセラーか相田みつをのようなことを言って回る。
 店長としてこれでいいのかと思うが、すぐに解決するのは不可能な問題ばっかりだし、まあ優秀で完璧なリーダーというようなものからはほど遠いのだからしょうがない。

 社員4人がかりで2時間もかけてレジ締めをして、激動の一日が終わる。何だってレジ精算というものはこんなにも合わないのか。直しても直してもまた別のところがずれていくのだ。
 それでも閉店後の店を眺め、いっしょに本棚作りをしているスタッフと「ここけっこう見てくれてる人いたよね」「写真撮ってくれてるお客さん多かったですよ」「店が落ち着いたらこの棚作り直したいね」「そうですね……ここはやばいですよね」「こっちはいいよねー」「この辺はかわいいですよねー」と話したりしていると、心がなごんだ。半分は、自分への慰めであり、言い聞かせであり……未来を見なければやっていられない。
 何のためにやっているんだろう、って、いろんなことを考えすぎるととたんに心がどす黒い渦に持っていかれる。お客さんによろこんでもらう、わーって言ってもらう、いい本と出会えたな、本が読みたくなってきたな、あの店にいた時間は楽しい時間だったな、って思ってもらうことから常にぶれないようにしないと、もうこの船から放り出されそうだ。
 それは慈善事業や仏のような心ではない。それしか自分にはできないし、そういうやり方で人とつながるしか、自分が立っていられる方法がないからだ。

 次の日もレジに立つ。ああ、また昨日みたいになったら嫌だなあ、って思っていたけど、レジを打っているとなぜか恐怖心が消えていた。あれ? ポイントカードも、昨日は無限にややこしいものに見えていたけど、仕組みの全体像が見えてくるとそんなに難しいことはない。あれ? レジできるようになってるじゃん。あれ? すごい。なんかうれしい。レジできる。やったやった。
 電話もそれほど怖くなくなっていたし、書店経験者のスタッフがみんな同じ思いなのを知ってちょっとほっとした。
「とにかくCDの予約系の電話が怖いですよ……予約したいんですけどー、って言われただけで汗が出ます」
「わかるよー……本って予約はあんまりないしね」
 横からHMV出身の社員が入ってくる。
「俺は本の問い合わせのほうが難しいけどな、だってカスタマーオーダーで検索してもイニシャルも出ないし」
「うん、だから私たち本屋組の苦悩はまずこの会社のシステムが本の客注とか検索とぜんぜん噛み合ってないことなんだよ。イニシャルって何なのよ」
「イニシャルはイニシャルでしょうよ」
「これですよ。っていうか多分『客注』っていう言葉の概念も、本屋組とCD屋組で違うんですよね」
「そうなの? 俺は俺でもう本屋に転職したんだなって気分だけどねー! さっきもお客さんに『東野圭吾』って書いてあるメモ見せられて『あずまの? ひがしの?』って聞いたら『知らないんですか?』って呆れられたけど、それ、有名なアーティスト? つらいわー」
「アーティストじゃなくて著者……」
「はいはい。あと、雑誌につけるノベルティーは『特典』じゃなくて『付録』って呼ぶ、と。それは覚えた」
「そうだよね、そんなんばっかりだよね。お互いつらいよね。でもなるべくていねいにがんばろうね……できないことはできないし」
 店の名前でエゴサすると、そんな我々の姿をそっくり写し取るように「日比谷コテージ、店員さんはいい人なんだけど、探してる商品が検索機では在庫ありなのにぜんぜん見つからなくてめちゃ待たされた」と不満が書き込まれていた。そのレベルのことは1日に数十件のレベルで起きていた。

 でもSNSの反応はそればかりじゃなかった。関係者でもなんでもない人が「日比谷コテージすごいいいお店だった♪」「楽しかった」「また行きたい」「お気に入りになりそう」「好きなものに囲まれて幸せ」などと挙げている。え? ほんとに? なんで?
 誰かにお金もらったの?っていうくらいほめられている。ピンクの表紙の文庫を集めたコーナーや、擬音語や擬態語がタイトルに入った文庫のカバー全体を隠し、擬音語が書いてある部分だけを切り抜いて見えるようにした企画のコーナーなどは特によく取り上げられていた。疑心暗鬼になりすぎていて、知り合いの褒め言葉は信じられなかったので、SNSで無関係な人が書いてくれていたことがほんとうにうれしかった。うれしすぎて、「日比谷 本屋」「日比谷 書店」「シャンテ HMV」など思いつく限りの単語の組み合わせでエゴサをしまくった。
 もっと自信持たなくちゃ。敬愛するブックデザイナーの名久井なくい直子さんが作ってくれたお店のロゴやブックカバーも、利光春華としみつはるかさんの装飾も、気取りすぎてない内装もほんとうにいいもので、まずこのプロジェクト自体が会社として決議されてるってことがそれだけですごくて、私がひとりじゃできないような大きな舵取かじとりをしてくれている人たちがいて、その中のひとつの駒として、自分が最善を尽くしたゾーニングやテーマや選書も、まだだめなところがいっぱいだけど、ちゃんとやった分については届いてるのかもしれない。岩にぶつかってボロボロになりながらも船は進んでいたのだ。
 もっとちゃんと進めていこう。今が100点じゃなくても、評価に見合う本屋になるように。それを先導するのは自分しかいないのだから。

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