単行本 - 日本文学

【第1章全文無料公開】李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』第4回 リベラルの終焉


世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。

日本初、女性“嫌韓”総理大臣誕生。
新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋。
そして7人の若者が立ち上がる。

新世代屈指の才能が叩きつける、怒りと悲しみの青春群像。


李龍徳
あなたが私を竹槍で
突き殺す前に

第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」
全文無料公開
(毎日更新)
※第一回配信はこちらから※

シーンごとに震えの走る衝撃作。ぜひお楽しみください。
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絶賛の声、続々!

日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作
柳美里

恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日

この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵(しんえん)の祈り”でつらぬく。
真藤順丈


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第4回 リベラルの終焉

テレビの討論番組で「新党 日本を愛することを問え」党首の神島眞平(かみじましんぺい)と対決した、リベラル最後の牙城・足立翼(あだちつばさ)。足立は、太一をはじめ仲間が見守る中、失言により無残にも敗れ去る。だが、すべてはこの絶望から始まった−−。

 

 他候補に話を振ろうとする司会者を「待ってください、待ってください」と制して足立は、
「これも言ってしまいましょう、言わせてください。私は革新派です。しかし私は夢想家ではないつもりです。私は、リアリズムをもって革新をする」そしてカメラのほうを向き、いつもの芝居がかった調子で、
「神島党首」とカメラ向こうに呼びかける。「一部の週刊誌報道やネットニュースなどで疑惑が上がっているあなたの性的指向についてですが、それについてあなたは、いっさいお答えになってない、肯定も否定もしないというのは、それが芸能人や企業トップなどであるなら一つの立派な見識でもあるでしょう。しかし、あなたは政治家で、しかも同性婚合法化をこっそり与野党合意しようというその野党第一党の党首なのです。それなのに姑息な沈黙をいつまでも続けているというのは、これは公職の地位を、自らの欲望のままに私(わたくし)していると疑われても仕方のないことだと思われますが、いかがでしょうか」
 太一はもう席を立っていた。出口のほうに向かう。
 討論会のほうでは、あの新党日本愛が推薦する候補者から「今のは差別発言ですよ!」と責められる始末だ。
 太一はスタッフジャンパーを脱ぎ、きちんと折り目正しく畳んで、それを積まれているビラの横に置いた。選挙事務所内では、それでも拍手がたまに起こりもするが、まばらで哀感の漂ったものだ。皆、わかっていた。瓦解の音を彼ら彼女らも聞いたはずだ。しかしこの時点でこの事務所から立ち去ろうとする者は太一だけだった。
 足立に騙された、とは太一は思わない。初めからそういう軽薄で鈍感な人間だとわかっていたが政治家とはだいたいそういうものだとの内心妥協があった。よく練られて揺るぎのない主義や信念なんかはない、とは判別していたが、熱情家であるのは嘘でなく、行動力があって弁も立ち、女にだらしないところはあっても他にストイックなのは事実だった。セックス中毒というと古い友人を思い出す、というのが親近感の距離を狂わせていたのか。
 せめて次の新星に繋げられる無難さを示してくれたらいい、というぐらいに選挙終盤に近づくほど願うような気持ちだったが、まさかここまで愚かだとは思わなかった。ネット選挙にも、神島と比べて圧倒的に無知で関心がない。保守層の取り込みをしたがっていることはわかっていたが、さて選挙参謀や側近たちはこの展開を協議していたのだろうか、それともいつも自信過剰な足立らしく単独で暴走したのか。そもそもが、夫婦別姓や同性婚などの進歩的政策で先手を取られるという、保守と革新が倒錯している体たらくだった。
 騙されたがっていた、というほどに弱っていたのだ俺は、と太一は自らに認める。却って奮起することになった。元の道に戻ろう。内部からの正攻法の道はあまりに険しかったし、時間がかかりすぎる。外部からの、あの元の道に戻ろう。
 選挙事務所の外は雨が降っていた。
「雨降ってるね」と後ろから声をかけてきたのは、サブリーダーのような立場のスタッフで、太一には目をかけてくれていた。
「事務所に置き傘あるから、それ使って」
 太一は無言で手を振って拒んだ。声を出したくもない、もうここではどんなエネルギー消費もしたくない。無党派層の票を割る可能性があるとして、立候補宣言をしていたあるタレントの事務所に抗議の電話をかけたりメールを大量に送ったりしたのも、無駄な消耗だったとこれで決まった。
「もう来ないつもり? 柏木君」
 そのとおり、もう来るつもりはなかった。雨のなかを行く。投開票日翌朝の山手線車内のニュース速報版で、足立翼が大差で負けたのを太一は知った。字幕付の足立の敗戦の弁はいかにも空疎だった。彼が自身の愚かさと歴史的な罪の深さとを痛感することは、きっと一生ないのだろう。
 神島眞平はその後、かつてのライバルに格の違いを見せつけるかのように、党内運営をうまくして、まずは結党以来の参謀の役割を果たしていた大物ベテラン議員を切った。併せて、汚職の疑い、パワハラ・セクハラの疑い、思想統制に疑いのある党内議員などをマスコミに暴露されるのを待つまでもなく次々と内部告発していっては除籍処分を果断していった。現実路線を捨て、神島の言う「純潔路線」を推進し、当時の党所属議員の半数に近い十二人を追放したその潔さが、次の国政選挙での倍増どころではない大躍進を呼んだのだった。
 もちろん、党内の主導権争いと私怨がもたらした「小粛清」に過ぎないとの見方も根強いが以降、新党日本愛は企業献金を全面的に拒否し、ネットなどを通じての個人献金にのみ拠ることを貫き、今のところはそれに成功している。吸収と粛清を繰り返しながら野党第一党にまで躍り出ていた。
 次に入る店も太一は決めていた。久しぶりにスンデと韓国おでんが食べられるからという、先ほどの喫茶店に入ったのと似た理由でその韓国料理店に入った。トッポッキやチヂミやキンパを食べられる店は、まだ新大久保や川崎にもある。しかし、いかにも日本食に慣れた舌からは好かれそうにないスンデや、あるいは日本のおでんに比べたらずいぶん地味で種類もない韓国おでんは、この日本では他でもうなかなか食べられない。大阪入りする前から決めていたことだった。変更はない。頑ななのでも好みに忠実だからなのでもまったくなく、飲食へのこだわりも実はないが、変更するということに頭を使いたくない太一だった。
 JR鶴橋駅の、アーケード商店街とは反対側出口の、閑静(かん せい)なほうの通りにある韓国料理店。一階は販売店で、食事をするのは二階の座敷。店主のおばさんとアルバイトらしい若い女の子が一人いた。店主もアルバイトの子も、韓国から来た韓国人のようだ。メニューを持ってきた若いアルバイトの子のほうは、ストレートの長髪を赤とシルバーの二色できっちりと鮮やかに分け、耳は多数のピアスで埋め尽くされている。背が高く、目を見張るほど身幅が細く、目を疑うくらいに足が長かった。腹部を大胆に露出したセーターを着ている。
「留学生요(ユハクセンヨ)?」と太一が問う。
「예(イェ)」との肯定の返事だ。
 ずいぶん減ったとはいえ、両国を行き来する留学生や観光客は、ゼロにはならない。民間レベルでの交流のため、という強固な目的意識でそれをしている人もわずかにいるかもしれないが、それよりも何よりも──先ほど入った韓国茶の店にいた日本人客たちからもそれは感じられていたが──民族や国籍の区別なくほとんどの人間が、能天気なノンポリであるという事実が揺るぎない。
 注文を聞かれながら、そのアルバイトの子から太一は、韓国語をよくご存じですね、と褒められていた。どこで習ったのかを問われるなかで「在日僑胞이에요(チェイルキョッポイエヨ)?」と訊かれ、それには素直に「네(ネェ)」と答えていた。「韓国人(ハングクサラム)」かと訊かれていたらそれは説明に時間を要しただろうが、在日の同胞であるかどうかということであれば太一は迷わず、自分の立つ位置を表明できていた。──日本国籍だが、私はあなたの同胞です、と。
 その店員から続けて韓国語で、たくさん召し上がるのですね、というふうに感心されていたがそれで太一は、やっぱり注文しすぎたか、と思う。韓国焼酎(ソジュ)が一瓶で千八百円もするようになっていた。
 店内のその二階には、窓際に三つの座敷席が区切りもなく、そして中央にテーブル席が二つ、階段から上がってすぐに右手の奥には、これはいかにも素人の手によるものらしいポジャギの暖簾が垂れていて、その向こうには調理場があった。

 

第5回へ続く

第5回「絶望の向こう側」は、3月15日 10時更新予定です

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著者

李龍徳(イ ヨンドク)

1976年、埼玉県生まれ。在日韓国人三世。早稲田大学第一文学部卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。2016年、第二作『報われない人間は永遠に報われない』が第38回野間文芸新人賞候補となる。2018年に第三作『愛すること、理解すること、愛されること』を刊行。本作『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、「文藝」2018年秋季号(7月発売)〜2019年秋季号まで、1年あまりにわたって連載された、原稿用紙にして700枚におよぶ渾身の長編作である。

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