単行本 - 日本文学

【第1章全文無料公開】李龍徳『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』第5回 絶望の向こう側


世界は敵だ。希望を持つな。殺される前に、この歴史を止めろ。

日本初、女性“嫌韓”総理大臣誕生。
新大久保戦争、「要塞都市」化した鶴橋。
そして7人の若者が立ち上がる。

新世代屈指の才能が叩きつける、怒りと悲しみの青春群像。


李龍徳
あなたが私を竹槍で
突き殺す前に

第1章「柏木太一 大阪府大阪市生野区 三月三十日」
全文無料公開
(毎日更新)
※第一回配信はこちらから※

シーンごとに震えの走る衝撃作。ぜひお楽しみください。
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絶賛の声、続々!

日本の「今」に投げ込む爆弾のような挑発的問題作
柳美里

恐ろしい。血が騒ぐ。まがまがしくも新しい在日の物語が生まれた。
梁石日

この痺れるようなディストピアの過剰摂取は、
ぼくたちを“深淵(しんえん)の祈り”でつらぬく。
真藤順丈


* * * * * * * * * * * *

 

第5回 絶望の向こう側


反権力、反差別の思想を見つけては告発する「見廻組(みまわりぐみ)」、差別犯罪を正当化する言葉「愛国無罪」……太一は尹信(ユンシン)に語り続ける。この世界の悲惨を。日々少数へと追いやられてゆく者の悲しみを。まぎれもない絶望である。しかし同時に、それは計画ための道しるべとなる−−。

 

 内装も韓国風で、しかし先ほどの韓国茶専門店に見られたような、デザイナーが設計して隅々まで美的感覚を行き届かせた、というのではなく、市井の韓国人がそのままインテリアを揃えただけという韓国農村部の古い民家を思い起こさせる趣向、だった。韓国の市場からそのまま持ってきたような、いかにも安価そうなレースのカーテンが引かれ、原色ピンクの韓国古典柄刺繡の座布団が置かれていた。
 先客が、一組いた。男だけの三人のグループが、二十代前半から後半ぐらいだろう、大声で話しているからその漏れ聞こえるところから判断すれば、地元出身の勤め人であるらしい。三人は同じ職場の人間ではなく、地元の古くからの友人のようだ。彼ら先客は窓際奥の、向かって右端の座敷に陣取り、太一たち二人は店員に、同じ窓際座敷の左端の席に誘導されていた。原色ピンクの座布団の上に、太一たちは座る。
 窓の外は夕焼けが色濃い。窓の外すぐにJR鶴橋駅が近い。眼下の通りにある店のほとんどは、シャッターを下ろしていた。放置自転車がその前に並んでいる。
「シン君、『見廻組(みまわりぐみ)』って知ってる?」と質問する。自分が何を知っているかどうかは気にしないで話を続けてください、と求められていたことを忘れてしまい、太一はそう尋ねていた。しかし「京都見廻組」という歴史用語を知っていようがいまいが、これからの話にあまり関係はない。
「それはね、別に組織とか団体とかじゃあない。メンバーシップも何もない普通の人、町行く人、大学生、会社員、主婦、こういうところで働く店員。そういう普通の人間が、テレビやネットなんかで見る有名人、そのなかで反権力や反差別を訴える知識人やアーティストや芸能人、政治家など、そのプライベートな姿を、隠し撮りする。そしてSNSなんかにポストして、晒す。自分の家族の姿を晒されたくない著名人側はもちろん訴訟も起こしたけど、そのころにはもう『見廻組』という呼称が自然発生して、我らが見廻組を助けるためにクラウドファンディングに寄付しよう、という流れができていた。訴訟費用のみならずそれ以上の額まで集金したその実績で、金儲けになると見たのか自称見廻組たちが世にどんどん増殖する、だけじゃなく決定的だったのが、そのきっかけとなったのが、さっき話した、前の都知事選で僕が応援してた足立翼という男だね」
 韓国焼酎(ソジュ)を酌み交わし、ステンレス製の箸や匙を使って、本国韓国でも出されない店が多くなったという無料のパンチャンをつまみながら、太一は話を続ける。
「その足立はね、都知事選惨敗後も懲りずに今度は国政進出を狙ってたみたいだけど、それを果たす前に、未成年者への淫行で世間を騒がせることになった。相手のその未成年の女が、一部始終を録画していたものをSNSに投稿したから。相手の年齢を聞いた上で『若者に智恵を授けるのはソクラテスの時代からの、賢者の義務だからねえ』との言質を得たその動画はずいぶん話題になった。もちろん話題になったのはそれ以上に、セックスシーンにもいっさいの加工処理なしだったからなんだけど、シン君、もしまだその動画見てなかったら見なくていいから。好奇心のためであれ性的欲求のためであれ、あんなものはグロテスクでしかない数十分だから、精神衛生のためにも見ないほうがいいね」
 太一が背中を向けている男三人の先客だが、その表情は見ずとも、彼らのうちの一人がこの店のアルバイトの子に執心で、だから常連となっていると窺い知れる。そのアルバイトの子が自分たちと親しげに、しかも韓国語で自由に楽しげに話すのがどうにも気に食わないらしく、敵意を燻(くす)ぶらせているようだ、とも容易に知れる。じっとこちらを見ているらしい。
「足立を罠に嵌(は)めたその子はネット上で『愛国メイデン』と名乗って、もちろん処女のはずなんかないんだけど、それでも自分の顔も裸も晒したことが勇気あるとして左翼嫌いに称えられて、一時は彼女の後に続こうとする女たちがどんどん出てきた。今じゃ考えられない異常現象だけど、まあ熱に浮かされたブームだったんだね。こんな時代なのにラジオとかで韓国好きを公言してた落語家が、彼の通っていた性風俗店の風俗嬢に隠し撮りされ、写真を拡散された。政権批判に気炎を吐いていた原発反対のドキュメンタリー映画監督の場合は、彼の複数いた愛人のなかの一人が私怨も込めてか、自分自身も映るセックス動画を流した。キャバクラで買春まがいの口説きを執拗にしてくる国際政治学者の動画や、妊娠の告白に脅迫交じりで中絶を迫る局アナ、付き合って三日後にハードなSMプレイを求めてくる現代詩人とか、彼女たちの自爆テロのような告発は、エロを期待する欲望とも絡み合って大盛り上がりとなって、ネットでは彼女たちを『挺身隊(ていしんたい)』とか『愛国挺身隊』と呼ぶようになっていたけど、でもねえ、ネットにおけるネーミングセンスのその独特さたるや、ね。その皮肉さの銃口が自分たちにこそ向けられてるんだと本当に気づいてないのか。いずれにせよその『挺身隊』は、そんな身を挺する女性がいつまでも続くわけないから、当然やがて下火になって、でも、よりローリスクな『見廻組』はいまだ残ってる」
 後ろ席の三人組のなかの一人の男が、やたらにアルバイトの子に「学校はどう?」とか「変な奴がおったら俺に言いや。俺が守ったるから」とか、やかましい。女の子も、これは韓国語訛りのある日本語で「ああ、うるさいうるさい」と耳をふさぐポーズをする。
「かわいいなあ、美人やなあ。俺と付き合ってえなあ」
「かわいい、美人、かわいい、美人、そればっかり」
 ははは、と男が高笑いする。そろそろ太一にはわかってきた。彼らは、──在日でもない日本人だ。女の子が離れたときに三人だけでする会話、聞こえないとでも思っているのか充分に届く声量で彼らのしている会話からは、韓国人と女性一般への拭(ぬぐ)いがたい蔑みが窺えた。がさつな下心が見え透いていた。
「不特定多数が匿名でする見廻組活動は、こちらは下火になる気配もない。有名人の家族やその幼い子供の顔を無断でネットにポストしたり、住所や電話番号などの個人情報を流したり、よくまあそんなこと平気でするなと、怒りを通り越して呆れもするんだけど、だいたい今の若い子たちは──こういう言い方はしたくないんだけど、まあ僕たちの若いときだって上の世代から『最近の若い子はネットリテラシーがなさすぎる』とかって批判されたけど、僕らのときと比べても、今の子たちはひどすぎる。これは政治とか関係なしにしても、自分たちの個人情報や顔写真、もっと際どい自撮り写真や動画なんかを平気でネット世界に投棄してる。どうかしてるよ、感覚がもう、違いすぎる」
 土鍋入りの鶏卵(ケラン)チムが置かれた。また、これは店からのサービスとして、ほんの少量ながら蟹醤(ケジャン)の二皿が置かれたときには思わず、太一は「진짜(チンチャ)?」と女の子に尋ねていたが、奥の台所から店主であるアジュモニが顔を見せて指のサインで問題ないと示すからには、太一も自分たちの何が功を奏したのかわからないまま謝意として頭を下げる他ない。
 そしてこんな特権が、後ろの三人組常連にはどうにも気に食わなかったようで、いよいよ突き刺さる視線を太一は背中に感じていた。
 しかし食事が進む。話も進めていた。
「とにかく自分の個人情報すらどうでもいいんだから、他人のしかも有名人のそれは、公共に流して当然だ、ぐらいにしか思ってないんだろう。注意されて初めて驚く、みたいなね。もちろんそれで冤罪もまた大量生産されるけど、こういうときの決まり文句『愛国無罪』で現代社会では済まされる。まあそういうことの積み重ねで、そりゃ言論も封殺されるよ」

 

第6回へ続く

第6回「憎しみの大合唱」は、3月16日 10時更新予定です

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著者

李龍徳(イ ヨンドク)

1976年、埼玉県生まれ。在日韓国人三世。早稲田大学第一文学部卒業。2014年『死にたくなったら電話して』で第51回文藝賞を受賞しデビュー。2016年、第二作『報われない人間は永遠に報われない』が第38回野間文芸新人賞候補となる。2018年に第三作『愛すること、理解すること、愛されること』を刊行。本作『あなたが私を竹槍で突き殺す前に』は、「文藝」2018年秋季号(7月発売)〜2019年秋季号まで、1年あまりにわたって連載された、原稿用紙にして700枚におよぶ渾身の長編作である。

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