単行本 - 日本文学

増刷した「文藝」秋季号の特集「世界の作家は新型コロナ禍をどう捉えたか」より川上未映子氏のエッセイを特別公開!

発売中の秋季号は発売4日での増刷が決定し、大幅リニューアル後、6号中3号が増刷した「文藝」。今号では夏季号の緊急特集「アジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか」に続き、「世界の作家は新型コロナ禍をどう捉えたか」と題し、コロナ禍の中で世界の作家が紡ぐ言葉を特集しました。その中から今回、イギリスの文芸誌Granta掲載川上未映子さんのエッセイ「花がより美しくみえる」を特別公開します。

 

花がより美しくみえる

川上未映子

 これを書いている今は、2020年5月9日。政府から自粛要請が出てから約一ヶ月が過ぎようとしている。東京や渋谷、新宿や品川といった巨大な駅からは人の姿はすっかり消えたけれど、徒歩圏内にある商店街や駅前などでは、マスクをつけた人々が普段どおり行き来している状態だ。うっかりすると、まるで何でもない初夏の一日にいるような、なんとも奇妙なバランスの日々を過ごしている。

 対応の遅さや曖昧さにたいして諸外国からの批判があるように、国内からも政府への不信と怒りは、この数ヶ月噴出しつづけている。ご存じのようにこの国を運営している議員や官僚はほぼ男性で占められており、似た年格好の男性だけがずらりと並んだ閣議の写真が配信されると「どうしたんだ、日本はコロナウイルスで女性が絶滅したのか」というジョークがSNSでバイラルした。この国は女性の身体にまつわることも、子どものことも、現場を知らない男たちがすべてを決定する。生活というものをまるで知らない彼らは未だにFAXと判子を手放せない。そんな状態で非常事態下の対策がどんな体たらくなのかは説明するまでもないけれど、それにも増して人々は今の日本の状態をどう捉えて評価すべきなのか、実のところ、よくわからなくなっているようだ。

 たとえば、PCR検査の数ひとつとっても、増やすべきか現状維持でいくべきか、未だに専門家のあいだで意見が分かれている。諸外国とくらべて感染者数と超過死亡数が圧倒的に少ないという点をもって評価すべきという声もあれば、そんなものは隠蔽の結果にすぎないという意見もある。いずれにせよ、はっきりしていることはcovid-19の直接の被害は仮にこのまま抑えられたとしても、すでに始まりつつある経済崩壊によって膨大な犠牲者が出るということだ。政府は申請に六時間もかかる焼け石に水のような金額の補償しか策を講じていないし、この先も期待できないだろう。開催しても地獄、中止しても地獄であるオリンピックという爆弾を抱えているせいで、いよいよ身動きがとれなくなっている。そもそもこんな国際事業を開催できるような国では、もうなかったのだ。

 

 けれど、こうした風景や展開は、あまりにも日本らしいと感じてしまう。たとえば自粛要請ひとつとっても、これはあくまで政府からの「お願い」であって、いかなる罰則も存在しない。具体的な補償の約束もない中で、左派を含め多くの人々はそれに従っているわけだ。わたしたちは強い主導権や突出した指導者を求めない。誰かの大きな決断によってではなく、なんとなくの雰囲気で物事が決まっていくのに慣れていて、なんとなく従順にふるまうことに疑問をもたないのだ。そのかわりに強く機能しているのが、お馴染みの同調圧力だ。人々はつねにお互いの行動を注視して、足並みがそろっているかどうかを監視する。人と違うことをして迷惑をかけているのは誰だ! だから感染した人が謝罪するのは当然だし、不届き者の個人情報をネットにさらして追いつめるのは正義だし、信じられないことに医療従事者にさえ差別の目をむける。自粛せずに外出した先で事故に遭った人にたいしては、死んであたりまえ、手間を増やすな、というような罵詈雑言がコメント欄にあふれる。ロックダウンが完全に理想的に機能する国などないだろうが、基本的な個人主義が実現されていない日本では、とくに陰湿な憎しみと分断を生む。

 しかしそれは今に始まったことではなく、近くは2011年の東日本大震災のときから続いている問題なのだ。放射性物質とウイルスは異なるが、目に見えない、そしてSNSというインフラがあるという点で共通する部分があり、当時も今も同じ様なことが起きた。それがどんなものなのか理解しようとするまえから放射線をケガレとして扱い、差別と排除が横行した。日本中に「絆」と「わたしたちは忘れない」という言葉があふれてシェアされたが、今はどうだろう? 読み捨てられるエピソードのようにトピックからトピックへ移り、多くを語り、ほどなく忘れてゆくのはいつも外部にいた幸運な人たちだ。そのときに何が起きていたのか、そしておなじ場所でいま何が起きているのか。忘れることもできず、その現実を生き、覚えているのは当事者だ。今も当時も渦中にいて悲しみや苦しみを未だにうまく言葉にすることもままならない人たちだけなのだ。

 では今回のコロナ禍はどうか。現在、日本でもポストコロナ、ウィズコロナといった今後の変化を予測する言説が競うように書かれているし、雑誌やネットを賑わせている。わたしたちはもう元には戻れない、すべては失われてしまったのだ、というナルシシズムと見分けがつかない悲観的な感想が多くみられる。けれど日本において、何かが本当に変わることなどあるのだろうか。もちろん、当事者たちの生活と現実は一変した。死んでしまった人は生き返らないし、医療従事者たちや自営業者たちには確実に失われた個々の日常が存在している。それは紛れもない事実だ。しかし社会としてはどうか。どうすればそれら個人の痛みや現実を、社会は社会自身の体験として─単なる記録ではなく、記憶することができるのだろう。

 

 わたしたちは本当に忘れやすいのだ。日本を一つの身体にたとえると、東日本大震災はその一部に大怪我を負ったようなものだった。まだ完治はしていないし充分ではないが、かろうじての手当てをすることもできたし、意識も比較的はっきりしていた。傷痕を見て当時のことを思いだすこともできる。しかしコロナ禍は指先でなぞれるような傷痕は残らない。数年前にひいた風邪がいつから始まっていつ治ったかを言えないのと似たようなもので、諸外国の人々からすれば信じられないかもしれないが、コロナ禍について数年後、わたしたちはおそらく、ぼんやりとした記憶しか持っていないはずなのだ。

 日本においては、忘却がそのまま希望として機能する側面がある。だからこそ、あれだけの人命を奪った津波や、町を壊滅させた地震の恐ろしさを目に胸に刻んでもなお、首都直下地震や南海トラフ大地震が明日起きても何の不思議でもない日本で、わたしたちはこうして住みつづけることができる。これは考えてみるとすごいことだ。絶対にまたとんでもないことが必ず起きるとわかっている土地にタワーマンションを建て続け、人々はそこに住みたがり、原発は未だ廃止されない。あらゆる思考停止のうえに、生存をめぐる矛盾のうえに、人々の生活が成立しているのだ。

 コロナ禍の影響は今後、いくつかの具体的な形をとるだろう。集団学習の見直しや、偏差値教育の虚しさ、就労条件などをめぐるいくつかの思い込みが晴れもするだろう。しかしそれにもすぐに慣れる。たとえば入信する以前のことが完全に忘れ去られることで入信が完了する宗教の基本的なシステムのように、すべてはなめらかに機能する。わたしたちは変化したこと、それじたいを忘れてしまうのだ。

 いま自粛生活を送る中で多くの人が「会いたいときに人に会えるなんて、なんて贅沢なことだったんだろう」とか「これまでの世界はなんて素晴らしかったのだろう」と心から感じているような思いは間違いではないし、それぞれが大切にするべき実感だが、しかしそれが気分であることを忘れてはいけない。わたしたちはどんな問題であれ変化であれ、なんとなく適応し、なんとなく足並みを揃えて、すべてを忘れてしまう傾向にあるということだけは、忘れてはならないのだ。

「花がより美しくみえる」と感じるのは罪ではない。しかし花は、本当は昨日も、去年も、五年前も美しかったのだ。そして世界の醜い部分もまたそうなのだ。今では多くの人がワクチンを喉から手が出るほど欲しがっているし、その価値を疑うものは少ないだろう。しかしコロナ禍以前、妊婦への深刻な風疹の感染症が大きな問題になったとき、無料接種の呼びかけにいったいどれだけの中高年男性が応じたか。反ワクチン主義の親たちは? マスクの着用が聴覚障害を持った人々に与える恐怖について考えたことがあるだろうか? 自粛疲れと平気で言うが、生まれてから一度も外出がままならない人たちもいる。

 これまで見えなかったもの、見ようとしなかったものは、なぜ見えず、また見ないで済んでいたのかを、わたしたちは考えなければならない。そしてそれが見えてしまったあと、自分たちが具体的にどんな行動をとって生きていくのか。日本人の生活と渾然一体となった忘却に立ち向かう手段は、個人が自分の頭で考えつづけ、実践することにしかない。思考停止から希望を引き剥がして、べつの場所に独立させること。記憶するということは、考えつづけることだ。その場の流れや大きな声や弾力性に身をまかせるのではなく、考えつづけること。そのうえで、自分自身のささやかな行動を少しでも変えつづけていくことなのだ。

 このコロナ禍を、わたしたちがもともと生きていた世界をパラフレーズしただけの出来事にしてはならない。備えなければならない。これは終わりではなく、災厄は必ず繰り返される、わたしたちはいつだってその前の日にいるのだから。

“The Flowers Look More Beautiful Now Than Ever” by Mieko Kawakami
Copyright © Mieko Kawakami, 2020
First Published in Granta, the Online Edition, June 5th 2020
https://granta.com/the-flowers-look-more-beautiful-now-than-ever/

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著者

川上未映子

1976年大阪生まれ。2007年『わたくし率イン歯ー、または世界』『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』で早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、08年『乳と卵』で芥川賞、09年詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で中原中也賞、10年『ヘヴン』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞、13年詩集『水瓶』で高見順賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞、16年『マリーの愛の証明』でGRANTA Best of Young Japanese Novelists、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞を受賞。17年には「早稲田文学増刊 女性号」で責任編集を務めた。19年『夏物語』で毎日出版文化賞(文学・芸術部門)受賞。同年11月、初の総特集となる「文藝別冊 川上未映子」を刊行。

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