単行本 - 日本文学

聴け、琵琶法師たちの歌を

平家物語
古川日出男 訳

 

 

聴け、琵琶法師たちの歌を

 

[レビュアー]柴田元幸

 

古川日出男による現代日本語訳『平家物語』は、むろんほとんどの読者は黙読するとしても、少なくとも読み手の脳内で「聴かれる」ことを意識している(というか願っている)翻訳であるように思える。盲目の琵琶法師が謳うことで広まった物語にふさわしく、「声」を際立たせることに心を砕いていると思える、と言ってもいい。
そのための具体的な方法として、まず目につくのは、僕が勝手に「ポール・オースター方式」と呼んでいる技巧である。オースターは物語内物語を多用する作家であり、勢い彼の作品には「あらすじ」的記述が頻出することになる。で、ふつう、あらすじほど頭に入りにくいものはない(少なくとも僕はそうだ)が、オースターのあらすじはすんなり頭に入る。なぜか。要所要所で、同じような表現を二つ重ねて、いわばステレオ写真的に状況や展開を立体化させ、ポイントが脳に残るようにしてあるからだ。古川版平家でも同じ技法が随所に使われている。たとえばこんな訳。「高所には平家の印しとなる赤旗が数多立って、すでに打ち立てられて、ひるがえっていた。この正月春風がそれらを天にひるがえした。火災が燃えあがるも同然だった。赤旗」(九の巻「樋口被討罰」、傍点訳文どおり。原文は「高き所には赤旗多く打ち立てたれば、春風に吹かれて天に翻るは、ただ火炎の燃え上がるに異ならず」)。
また、九〇〇ページ近い全巻、ひとつの注釈も添えず、本文中に随時説明を組み込み、あくまで「語られているもの」の形を壊さぬまま必要な情報の供給に努めている。そもそも冒頭の「祇園精舎の鐘の音」からして、「お釈迦様が尊い教えを説かれた遠い昔の天竺のお寺の、その鐘の音」とパラフレーズしてあるのだ。
こういうやり方を批判するのはたやすい。『平家』の原文を貫く簡潔さが損なわれてしまう、といった声も出てくるかもしれない。反復や付加情報が小さな親切になるか、大きなお世話になるかは、読み手次第だと言えるから。
が、いくら簡潔でも、頭に残らなければつまらないし、わからなければ意味はない。こういう付け足しを大きなお世話と思う読者は、要するに翻訳を必要としない読者、原文で読めばいい読者である。そういう立場から批判してもさして意味はない。そもそも現代日本語に翻訳するかぎり、『平家』時代の日本語と同等の簡潔さは望めない。これは大前提である。そして翻訳を必要とする読者の大半は、付加情報も必要とする。
問題は、では反復や補足を施して中身が頭に入りやすくなったとして、文章のリズムはどうなのか?という点だろう。英米文学の翻訳などでも、そういう付け足しを行なうことで、そこだけリズムが死んだり妙に説明的だったり(極端な例を挙げれば「シェークスピアという人が書いた『ハムレット』」とか)してしまう場合が多いのだ。
ここからは主観的判断になるが、個人的には、さすが古川日出男だ、と通読して思った。一文ごと、一段落ごとに声が活きていて、その声から無理なく出てくるものとして反復や補足もある。そして声に関しさらに驚いたのは、巻ごとにじわじわ声の強さも増していくことだ。全体のバランスを考えて始めはセーブし徐々に回転数を上げていった、というよりは、原文にもともと隠れていた迫力の累積のようなものにストレートに反応したらこうなった、という感じ。
どこまでも本気で読んで=聴いてもらおうとしているこの訳者は、主要な登場人物一人ひとりの声もくっきり違いを際立たせるし(強いが無骨な木曾義仲の声が特によかった)、また、終盤に入ってからは語り手の声もどんどん多彩にしていく。男の声、女の声が、男の物語、女の物語を語る。男が男の物語を語るとは限らない。現代的な男女平等意識から当時の男女不平等を偉そうに斬るわけではもちろんないが、その反面、当時の人々を縛っていたどうしようもないジェンダー上の不自由さをくっきり浮かび上がらせもする。
およそ三十人の作家が古典の翻訳に携わっている〈池澤夏樹=個人編集 日本文学全集〉は日本翻訳史上の一大事件と言っていい画期的な企画だと思うが、これが成功しているひとつの要因は、一読者として勝手に推測するところ、全体の翻訳方針をあまり厳密に定めずに、作家訳者一人ひとりの裁量にある程度任せ、それぞれ独自の形で面白さを追求させているように感じられる点だと思う。池澤夏樹が「読める脚注」を駆使して千三百年前のテクストをリマスタリングした『古事記』にはじまり、町田康が思いきり現代風のボキャブラリーで訳した『宇治拾遺物語』、伊藤比呂美が自身の「語り欲」を存分に活かしている『説経節』……。そのなかで古川訳『平家』の特徴を考えるなら、たとえば一方の極に町田訳『宇治拾遺』や高橋源一郎訳『方丈記』のような「昔を今に連れてくる訳」があるとすれば、古川訳はその対極の「今が昔へ出かけていく訳」であることだろう。これもあくまで感覚的な言い方であり、どっちにしろ現代語訳なのに何が違うんだよ、と言われそうだが、自敬表現(天皇などが自分に敬語を使う)の訳し方ひとつをとって見ても、この翻訳が「要するに現代ならこう言う」というスタンスを取っていないことは明らかである。
とはいえ、昔か今か、ではなく、物語として強いか弱いか、という観点からは、この訳者、迷わずテクストに介入する。先に挙げた声の多彩さもそうだし、全体の構成を明確にするための書き込みも終盤ではいっそう大胆になっていく。その結果、クライマックス、カタルシスがしっかり築かれた一個の「作品」が出来上がっている。壇の浦のあとにもこれだけ物語があるのだ、と実感できるのは翻訳の力が大きい。
だがそれ以上に大切なのは、要するに誰もがつかのま栄えたのちに没落し滅亡する話、と言ってしまえそうな大枠の中、古川日出男が招喚する、体半分を中世に、もう半分を現代に据えた琵琶法師たちによって、一人ひとりの滅びに独自の輪郭が与えられ、それぞれが違った哀しみに染められていることである。圧倒的な訳業。

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著者

古川日出男

1966年福島県生まれ。2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞、06年『LOVE』で三島賞、15年『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞と読売文学賞(16年)を受賞。

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