単行本 - 外国文学
もうフェミニストって名乗ってもいいでしょ?
[レビュアー]星野智幸
2017.06.01
『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ著
もうフェミニストって名乗ってもいいでしょ?
[レビュアー]星野智幸
先日、仕事先の女性から、自分はフェミニストだと思うのだけど、あまり公には口にできない、という話を聞いた。そんなことを言おうものなら、たちまちのうちに、カタブツで口うるさくて恋愛もせず性に厳しい女と見られるだろうから。
この悩みを口にする人は、本当にたくさんいる。その結果、多くの女性は、実際にはフェミニズムの考え方をしていながら、「私はフェミニストではありませんが」といちいち断らざるをえないでいる。
けれども、世界に目を向けると、その潮流は変わってきている。さまざまな女性たちが、続々と自分流にフェミニストだと公言するようになってきたのだ。近年話題となった言葉を発している人たちを挙げれば、レディー・ガガ、マドンナ、エマ・ワトソン、『バッド・フェミニスト』を書いた作家のロクサーヌ・ゲイ、それに本書のアディーチェ。この多彩すぎる顔ぶれを見るだけでも、フェミニストの固定的なイメージなど壊れるだろう。
本書は、二〇一二年にナイジェリアの作家アディーチェが行った、フェミニズムをめぐる講演録である。三十分程度の短い講演テクストだが、要約するのは難しい。なぜなら、引用したいフレーズやエピソードを抜き出したら、ほぼ全編をそのまま写さなければならないから。それほどアディーチェの言葉は過不足がなく完璧で、ユーモアに満ち、深い意味内容が濃縮されていながらわかりやすい。つまり、格好いい。
おしゃれをめぐる話が印象的だ。大学院で初めて講義をするとき、女なので、自分は真剣であるという価値を証明しなければならないという思いに縛られ、「不格好なスーツ」を着ていって、後悔した。なぜなら、自分の好きな格好をしていけば、「もっとリラックスして、もっとわたし自身の本当の姿を隠さずに見せていたはず」だから。以来、「わたしはもう女であることに弁解じみた態度をとらないと決めました。女であることでそのまま敬意を受けたいのです」。政治や思想の議論に幸福を感じ、ハイヒールを履き、口紅を重ね塗りし、好みの服を着る。「生活上の選択を決めるとき、『男性の視線』はきわめて二次的なもの」なのだ。
フェミニストとは、このように自分のことは自分で決める人のことだ。外からの構造的な圧力に屈さずに、自分が選択する権利を行使できる状態のことだ。
ナイジェリアでの体験が多く語られているが、日本の女性もほぼすべてについて同じ経験があると共感できるのではないかと思う。それだけではない。ジェンダーに縛られているのはじつは男も同じなのであり、アディーチェの言葉に解放を味わってよいのだ。次の言葉が女性だけでなく男性にも向けられている以上、平等をともに目指すフェミニストたることは、男にとっても自分を取り戻す行為なのだから。
「ジェンダーの問題は、私たちがありのままの自分を認めるのではなく、こうある『べき』だと規定するところにあります。もしもジェンダーによる期待の重圧がなくなったら、私たちはどれほど幸せで、自由で、個々人が本当の自分でいられるかを想像してみてください」