単行本 - 外国文学
天才翻訳家が遺した、『ユリシーズ航海記』(柳瀬尚紀)刊行記念 第5回 高山宏によるエッセイ公開
高山宏
2017.06.17
昨年7月、ジェイムズ・ジョイスやルイス・キャロルの翻訳で知られる英文学者で翻訳家の柳瀬尚紀さんが逝去されました。1993年、翻訳不可能と言われていた『フィネガンズ・ウェイク』を個人で初めて完訳して話題を集め、亡くなる直前まで、ジョイスの最高傑作『ユリシーズ』の完訳を目指して翻訳中でした。
そんな天才翻訳家が遺した『ユリシーズ』に関する文章と、『ユリシーズ1-12』に収録していない試訳を集成した『ユリシーズ航海記 『ユリシーズ』を読むための本』(柳瀬尚紀)が本日刊行となりました。第12章の発犬伝をはじめ、ジョイスが仕掛けた謎を精緻に読み解き、正解の翻訳を追求した航跡を一冊に集めた、まさに航海記です。
本書の刊行を記念し、「文藝2017年春季号」に掲載された特集「追悼 柳瀬尚紀」から、柳瀬さんの追悼文と、柳瀬訳の魅力に迫るエッセイを毎日連続で公開いたします。
柴田元幸をして「名訳者と言える人は何人もいるが、化け物と呼べるのは柳瀬尚紀だけだ。」と言わしめる柳瀬尚紀ワールド。
まだ未体験の方もこれを機にぜひ、豊穣なる言葉の世界に溺れてみてください。
(8日連続更新予定)
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高山宏
イナセな逝き方
柳瀬尚紀さんは調布市入間町に住んでおられた。年賀状を見て僕は苦笑した。調布市若葉町に住んでいた僕のマンションからは多分数百メートルという所にお住いだったからだ。お付合いし始めてからも、しかし不思議なばかり、お互い一寸ない位に人なつっこい性質と判りながら、遊びにおいで、はい喜んでという感じにならなかった。お互い尋常でない猫好きだし、当時飼っておられ『言の葉三昧』といった随筆集などですっかり有名だった愛猫(トロちゃん、っていったかな)を眺めるためだけにでも一度くらい伺候して良かったはずなのだが、本当に一度も、なのである。
この距離が僕にとっての柳瀬であり、ヤナセのイナセなのだ。かくて現実にお会いしたのはたった二度なのに、もの凄く深く昵懇になったという実感を持つ極く僅かな相手の一人が故人なのである。不思議な御方だった。
お会いした一度は、今はなき伝説の美麗誌「is」の名編集長、山内直樹さんが柳瀬さんと懇意で(ナオキつながり?)、その山内さんと僕が会う何かの機会に山内さんと一緒の柳瀬さんと出会ったのである。人ったらしの噂ばかり一人歩きの僕はその実、仲々の人嫌いで飲み屋で他人に本当に胸襟を開くということは滅多にないのだが、その折りはまさしくそういう出会いだった。何か珍しいものを見るように此方を見ておられたが、忽ち「ふうん、きみが高山宏なんだ」の一言とともに(多分お互いの)相好がくずれた。
僕は僕で、長く夢の相手だった。一九七六年、当時目黒は柿の木坂にあった旧東京都立大学の英文科に就職した僕は、ジョイス研究といえばこの人という大澤正佳氏、それに小池滋、鈴木建三、沢崎順之助といった要するに斬界の猛者が定期的に寄り集って『フィネガンズ・ウェイク』をそれこそ逐条的に読解する研究会をやっていて、新米の僕など遠くから怖ず怖ずと眺めているしかなかったのだが、この天下の秀才たちの念頭から片時も離れなかったとおぼしい柳瀬尚紀という人物のことが気懸りで仕様がなかった。なにしろ『パイデイア』という雑誌に『フィネガンズ・ウェイク』を少しずつコツコツ訳し続けているこの集団と別に、同じ作品を粒々辛苦の跡も見せず独自独力でバンバン訳してるらしいという天才翻訳家の幻の姿が少壮学者に気懸りでないはずがない。そういえばもうひとつ翻訳不能書とされたウィリアム・エンプソンの『曖昧の七つの型』を早々に訳したのも、この名の人物ではないのか、と。
訳の手だれぶりなど、どうでもいい。不可能事を目の前で形ある可能事に変えてみせるその意力に賭け、かつ楽しんだ御方だったのではないか。『ゲーデル、エッシャー、バッハ』もそう。勿論『フィネガンズ・ウェイク』もそう。ぼくは柳瀬さんというといつも「スプレッツァトゥーラ sprezzatura」というイタリア語を思いだす。絶対の不可能事を、いとも易々とやってのけたようにやってみせるスタイルのこと。十六世紀マニエリスムの徒の理想の芸風だった。僕はかつてだれにも使ったことのないこの言葉を、僕のマニエリスムの大先達だったヤナセさんに送って御遺徳を偲ぼう。ヤナセのスプレッツァトゥーラだからイナセと訳そう。「語呂つき」の故人が一番お好きだった洒落だった。イナセなヤナセよ、生き残って了った者に、遠くから言霊を恵みたまえ。トロちゃん、と共に、安らかに!
(明日は稲川方人さんの予定です)