単行本 - 外国文学
天才翻訳家が遺した、『ユリシーズ航海記』(柳瀬尚紀)刊行記念 最終回 円城塔によるエッセイ公開
円城塔
2017.06.20
円城塔
呼ぶだに得るは、獏、食え捨てる、干せ姉へ、見やる綱誉む、酔えるぜ仮屋。
(ヨブ ダニエル ハバクク エステル ホセア ネヘミヤ ルツ ナホム ヨエル ゼカリヤ)
──結局、どんな話?
と疑いを持たない口調で問われる。一体いつから小説は、どんな話?と一言で訊いてよいものになったのか。あるいは一言で訊かれるもののままなのか。どんな話かなんてわかるのならばこちらが知りたい。
一体どんな話なのかを百年近く、みんなで話し続けている代物だ。世の中には翻訳や説明がなされるたびに、短くなっていく小説と長くなっていく小説の二種類があり、『ユリシーズ』は無論、後者に属する。もう既にどうしようもないくらいに長いのだが、要約される気配はまだまだ見えない。翻訳が一つなされるたびに、また新たなユリシーズが現れてくるようなところがある。
──なんか面倒くさそうだからいいや。じゃあ、わからないところ、訊いていい?
──え、読んでるの。
──日本語なんだから、別に読めるよね。たとえば、ここ。「出来(いできた)れ、ラザロ! かくて畳五(でっく)わしたのは余分(ヨブん)なる不運」とかさ。
──六章まで進んでるんだ。
──なんかよくわかんないなぁ、と思って。
──思うの遅いよ。辞書引くしかないね。畳五は、サイコロ二つ振ったときに、出目がどっちも五のときのこと。なんか目が揃うみたいにして余分な不運に出くわした、ってことなんじゃないの。
と答えたものの気になるので原文を見ると、Come forth Lazarus! And he came fifth and lost the job. となっている。forth がfourth でfifth にJob(ヨブ)のジョブ(job)を世話した、みたいな。みたいな、でもないか。
──いや、そういうことはわかるんだけど。
──わかるんだ。
──でもここで「余分」にヨブを重ねないといけないんならさ、って、余分にヨブってすごい感じするね。「余分」はもう「ヨブん」なわけだからさ。ヨブんにヨブを重ねるんだよ。意味がわからないよ。
──まあ、それはいいや。
──ええと、なんだっけ。だから、「余分」が余分にヨブを「ヨブん」なら、「呼ぶ」からも「ぶよぶよ」からも、ヨブがわいてきて、ぶよぶよのヨブが余分にヨブを呼んでヨブ=ソトースとか、そういうことでいいわけ? でもそうしたら、「さよなら」とか「なよなよ」とか「アン女王逝去なんて」とか「〜だよな」とかにも「ヨナ」を探さなきゃならなくなるんじゃないの? そのいちいちにクジラがもれなくついてくると思っていいの?
──好きに読めばいいんだよ。
──どこまで読めばいいわけさ。
──それは好みで決めればいいんだよ。むしろそういう好みを披露しあう話だともいえる。でもまあ、作者の意図を考えながら読むのが一般的じゃないの。気になったところを原著と見比べながら読むとかさ。
──原著?
──いや、翻訳だろ、みるからに。
──そうなの? ふだん本読まないからわからなかった。「百合若」関係の話なのかなと思って読んでた。
──絶対、わざと言ってるよね。表紙に書いてあるじゃん、訳、って。
──あんまり作者とか気にしない方なんだよね。本文中でも、ラッセルが言うじゃない。「しかしそういうふうに偉人の家庭生活を詮索するのはだね」って。
──そこでシェイクスピアの私生活を詮索してるのは、スティーヴンの方だよ。主要登場人物自身が、ゴシップ好きなんだよ。
──まあ、ほんとはこれで、読むのも二周目でさ、でもやっぱりよくわかんないなあ、と思ってきいてみたんだけど。
──疑問に思うの遅すぎるよ。
──でも、最後に主人公が四十五度の角度で打ち出されていくところは良かったな。大団円って感じで。玉屋っていうか鍵屋っていうか。
──いや、そんなシーンないし、まだこれ途中だから。全部で十八章あるうちの十二章分、っていうと、三分の二みたいな感じだけど、量的には半分くらいのところだから。
──そんなことはないよ。全部だよ。「ユリシーズ1‐12」は。
──「ユリシーズ1‐12」は、「ユリシーズ」とは別の本だ、と。
──そういう難しいことはよくわかんないけどさ、なんだか内容がよくわからないのは、まだ自分が日本語に慣れていないせいだと思うんだよね。「よぶ」は全部「ヨブ」と呼ぶっていう風なさ。全ての単語が互いに呼びかけあって、自分が意味する以上のことを語りだしちゃう日本語に。
──ジョイスもそこまで書こうとは思わなかったんじゃないかね。
──訊いていい?
──?
──ジョイスって誰?