単行本 - 外国文学

「さみしい、と堂々と口に出すことのできる人は、今この世界にどれだけいるのだろうか。」ーー『AM/PM』(アメリア・グレイ 松田青子訳)訳者あとがき

「さみしい、と堂々と口に出すことのできる人は、今この世界にどれだけいるのだろうか。」ーー『AM/PM』(アメリア・グレイ 松田青子訳)訳者あとがき

このアンバランスな世界で見つけた、私だけの孤独――
箱に閉じ込められてしまったふたりの男、朝起きたら種に覆われていた女、
テスの手は鉤爪に変わり、フランシスは魚しか食べないことにした……。
AMからPMへ、時間ごとに奇妙にずれていく120の物語。
いまもっとも注目を浴びる新たな才能の鮮烈デビュー作を、松田青子が翻訳!

AM/PMアメリア・グレイ 松田青子訳)
より松田青子さんによる「訳者あとがき」を公開します!

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訳者あとがき
さみしい、と堂々と口に出すことのできる人は、今この世界にどれだけいるのだろうか。人間関係や恋愛関係を築くことの難しさや不確かさ、孤独や絶望がデフォルトであることを知ってしまった現代社会で、さみしい、悲しい、つらい、と叫んでも、物語性は生まれない。誰も真面目に耳を傾けてくれない。それはもう当たり前のことだからだ。

けれど、じゃあ自分の胸の中にある確かなこの気持ちをどうしたらいいのという時に、ある瞬間、人々は無意識に、〝普通〟から少しずれた、変なことをしたり、口に出したりしてしまうことがある。側から見ると脈略や意図が不明だったとしても、それはその人にとっては、人生に抗おうとする、決死の瞬間だ。

そしてそのギリギリの小さな瞬間を、アメリア・グレイは見逃さない。一二〇の掌編からなる本作『AM/PM』は、日常に存在する、そんな奇跡の瞬間が一二〇収められている。

この少し変わった作品集の中で、人々は日常を生き、出会いと別れを繰り返す。登場人物たちははじめから終わりまで同じ人だという前提で読むことができる一方、もしこれが仮に、いきなり同じ名前の違う人になっていたとしても、容易に成立してしまう世界でもある。

作品の一つ一つに、AM:1から120:PMと時間が割り振られ、存在する時間から、存在しない時間へと、緩やかにずれ込んでいく。不穏ではあるが、放っておくとこのまま散らばってしまう登場人物たちの日々の断片や切れてしまった関係性を、その不可思議な時間の糸がつなげる役割を果たしてもいて、そのことにとても救われる思いがする。この構成は、世界に対して、優しい。グレイの現代的な、ドライなユーモア感覚も、同じく優しさの糸のような役割を果たしているように感じられる。

「生きることは厳しく、可笑しく、そしてとてもひどいことです。死への行進のようなもの。肉体の衰えも恐ろしいことだし、私たちは人生を笑ってやらなければいけない。痛みからユーモアは生まれるんです」

あるポッドキャストにゲスト出演した際、グレイはこう語っている。残酷さと優しさ、そして無常観が共存する彼女の作家性は、現代社会に閉塞感や居心地の悪さを感じながら生きる人々に、とてもフィットするものだと言える。

この作品集に登場するのは、寝椅子から動かないことに決めたレナード、箱に閉じ込められているテレンスとチャールズ、目を開けずに生活しているジューン、魚しか食べないことにしたフランシスなど。『AM/PM』以降の作品でも、アメリア・グレイは、こういった囚われた状態にある人々や、なんらかのかたちで囚われた状況を自ら選ぶ人々を描くことがとても多い。

これについてグレイは、

「物理的な空間は、私たちが置かれた精神的な状況を表しています。私の作品の登場人物たちは、様々な理由で囚われていると感じている人たちです。(中略)私は物語の中で、人々の置かれた状況がいかに内面世界を反映しているか、見せているのです」

とインタビューで答えている。

その中には、自らの体に囚われている、という感覚も含まれているのではないだろうか。

グレイ自身が、体とは「その時々、快調な部分と、不調な部分の集まりみたいなもの」と言っているように、体は常になにか変なことが起こる、とても変なものだ。『AM/PM』の中でも、テスの手は鉤爪に変わり、ミッシーは足の動きをいちいち意識しながらすべての動作を行う。フランシスの皮膚は薄く、オリヴィアは体が伸びるよう願う。これらの身体感覚や皮膚感覚は、それぞれの現実の認識と直接つながっている、寒いと鳥肌ができるように。逃れることのできない自らの体を、逃れることのできない世界を、この不思議は一体全体なんだろうと、目をそらさずに見つめ続ける行為が、生きるということなのかもしれない。そしてそれが、「私の世界」を生み出すのだ。

 

アメリア・グレイは、一九八二年アリゾナ州生まれ。二〇〇九年に本書、AM/PMでデビューした。作風は、ケリー・リンク、エイミー・ベンダー、カフカと並べて語られており、デヴィッド・リンチやデヴィッド・クローネンバーグの名前も引き合いに出されている。

これまでに五冊の本を出版している。欧米では、短編作家や長編作家は明確に分かれていることが多いようだが、グレイは本作の実験的なスタイルをはじめとして、毎回ヴァリエーションに富んだ作風を提示している。けれど、「書こうとしている題材にぴったりな長さというのはあります。文字数が規定されていると、うまくいかないことも」というインタビューでの発言からもわかるように、新しいことに挑戦するというよりは、書きたいことに合わせた長さと様式を、一作ごとに選択しているという真っ当な感覚があるように思う。

これもまた、本作とほかの作品集に共通していることだが、聖書をモチーフにした作品が突如として現れるのは、グレイが、信心深く育ち、十八年間長老派教会に通っていたため、聖書を読んで成長したことにかかわりがあるそう。信心深く育ったのに、作品の中では何かと聖書の世界観を茶化しがちである。幼い頃は、グリム童話や日本の民話、ギリシャ神話など、とにかく寓話が好きだったそうだ。

二作目の短編集Museum of the Weirdは、ロナルド・スケニック/アメリカン・ブックレビュー・イノベイティブ・フィクション賞受賞。この短編集からは、「暗黒」「ヘビ園事業計画」(「すばる」二〇一五年四月号)、「愛、モルタル」(A​E​R​A S​T​Y​L​E M​A​G​A​Z​I​N​E」二四号)がいずれも岸本佐知子訳で翻訳されている。三作目の長編THREATSは、ペン/フォークナー賞のファイナリスト、四作目の短編集Gutshotは、ヤング・ライオンズ・フィクション賞受賞、シャーリー・ジャクスン賞の単著の短編集部門で、ファイナリストに選ばれた。

最新作にあたる、今年の五月に刊行されたばかりのIsadoraは、実在した二〇世紀を代表するダンサー、イサドラ・ダンカンの人生をモチーフにした長編であり、すでに絶賛の評が溢れている。『バッド・フェミニスト』のロクサーヌ・ゲイも、出演したイベントでの、今読んでいる本はという問いかけに対し、この本の名前を挙げ、「今年必読の一冊になるはず」とコメントしている。

また、私がこのあとがきを書いている現在、グレイはManiacという、Netflixのオリジナルコメディドラマシリーズの脚本を執筆中だそうだ。

 

二〇一七年六月
松田青子

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★刊行を記念して、「この世界が居心地の悪い人たちに読んでほしい本」を松田青子さんに選んでいただきました。hontoブックツリーにて公開中です。こちらから。

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著者

アメリア・グレイ

1982年アリゾナ州生まれ。2009年に本書でデビュー。2015年に発表した短編集Gutshotがヤングライオンズ・フィクション賞受賞、シャーリー・ジャクスン賞短編集部門最終候補となった他、受賞多数。

松田青子

1979年兵庫県生まれ。作家、翻訳家。同志社大学文学部英文学科卒業。著書に、小説『スタッキング可能』『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』『おばちゃんたちのいるところ』、エッセイに『読めよ、さらば憂いなし』『ロマンティックあげない』。訳書に、カレン・ラッセル『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』、アメリア・グレイ『AM/PM』、アヴィ『はじまりのはじまりのはじまりのおわり』。創作童話に、『なんでそんなことするの?』がある。

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