単行本 - 外国文学

ドローンで完全監視される近未来。独ベストセラー作家による21世紀版『1984』

『ドローンランド』『ドローンランド』

ドローンランド

トム・ヒレンブラント

【訳者】赤坂桃子

 

ドイツ語圏の主要ミステリ賞・SF賞受賞!

 

本書『ドローンランド』は、ドイツで二〇一四年に刊行されたトム・ヒレンブラント作Drohnenland(Kiepenheuer & Witsch)の翻訳である。ヒレンブラントはすでに数冊の小説を発表している作家だが、日本での紹介は今回がはじめてとなる。まずは、本人のホームページにある自己紹介を引用しよう。

わたしの名前はトム・ヒレンブラント。ハンブルク出身で、いまはミュンヘンに住んでいます。一日のほとんどの時間、執筆していて、ミステリー作家として次から次へと大量殺人事件を起こしています。
それとトム・ケーニッヒというペンネームで、「シュピーゲル・オンライン」の経済コラム「待ち行列」を担当しています。
以前に政治学を専攻し、ゲオルク・フォン・ホルツブリンク経済ジャーナリスト専門学校でも研修しました。それからいろいろな文章を発表し、二〇一〇年まで「シュピーゲル・オンライン」の部長をしていました。
執筆していないときは、料理をするか、長剣戦士になって、地下迷宮のモンスターを追っかけています。ただし、紙と鉛筆とサイコロを使う昔ながらのやり方でね。

ヒレンブラントらしいさっぱりした文章だが、これでは物足りないと感じる読者もいるかもしれないので、多少つけ加えよう。トム・ヒレンブラント(本名トーマス・ヒレンブラント)は、一九七二年ハンブルク生まれ。ルール地方のデュースブルクで政治と経済を学び、アメリカ、イギリス、ルクセンブルクなどで暮らしたのちに、ゲオルク・フォン・ホルツブリンク経済ジャーナリスト専門学校で学んでいる。二〇〇一年以降、「シュピーゲル・オンライン」や「フィナンシャル・タイムズ・ドイツ」の編集者をつとめるが、二〇一一年に「すべてのポストから退き、ミュンヘンに逃亡」。二〇一二年にフリーの作家となり、現在に至っている。
いまもつづいている「シュピーゲル・オンライン」のコラムでは、実際に体験した最近のドイツの消費者の行動、あるいは、顧客第一主義とは言いがたいドイツでの消費者の悲哀などがユーモラスに描き出されている。
また、アメリカで一九七四年にルールブックが発売された、世界で最初のロールプレイング・ゲーム「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(まだコンピュータゲームが生まれる前で、プレイヤーが「ペンと紙とダイス(サイコロ)」で遊ぶゲーム)の四十年の文化史を、美しい図版とともにまとめた本を、二〇一四年に共著で出版している。自身も二十五年にわたってロールプレイング・ゲームをしてきたヒレンブラントは、クラウドファンディングで資金をつのり、本の出版にこぎ着けた。『ドラゴンの父たち(Drachenv閣er)』(未訳、副題は「ロールプレイの歴史とヴァーチャル世界のはじまり」)という書名のこの本は、ドイツの二〇一四年RPCファンタジー・アワードで審査委員会特別賞を受賞している。RPCファンタジー・アワードは、その年のすぐれたロールプレイング・ゲームに与えられる賞である。
また、趣味の料理の知識は、後述の名探偵シェフシリーズに遺憾なく発揮されている。コミックのファンでもあり、二〇一五年のミュンヘンのコミック・フェスティバルには、ゲストとして登場している。

『ドローンランド』は、二〇一五年フリードリヒ・グラウザー賞のドイツ語長編ミステリー小説部門で第一位、さらに二〇一五年クルト・ラスヴィッツ賞のドイツ語長編SF小説部門でも第一位に輝いた。ちなみに、ドイツSFクラブが選考するドイツSF大賞でも、二〇一五年のドイツ語長編小説部門で第二位に食い込んでいる。ドイツSFクラブ(SFCD)は、一九五五年に創設されたドイツで最大・最古のSFファンクラブである。
フリードリヒ・グラウザー賞は、日本ではドイツ推理作家協会賞とも呼ばれているが、スイスの作家フリードリヒ・グラウザーにちなんで一九八七年に創設された賞で、ドイツ語圏のミステリー作家協会「シンジケート」が、すぐれたミステリー作品に毎年授与している。一方のクルト・ラスヴィッツ賞は、ドイツ語圏のサイエンス・フィクションの第一人者と目されている作家クルト・ラスヴィッツの名を冠し、一九八〇年に創始された賞である。プロとしてドイツ語圏のSFにかかわる作家、翻訳家、編集者、書評家、イラストレーターらが投票し、前年に出版されたもっともすぐれた作品を選出する。刮目に値するのは、本作品がミステリーとSFという、同じくエンターテインメントとは言え、まったく異なるジャンルの賞で一位に選ばれたことである。
フリードリヒ・グラウザー賞の審査委員会は、『ドローンランド』の著者の力量の証左として、たとえばメディアフォイル、スペックス、〈ハチドリ〉といった物語上のテクノロジーが、くどくど説明しなくてもまるで自明のことのようにすっとテキストになじんでいる点を挙げている。
クルト・ラスヴィッツ賞の講評は、『ドローンランド』は手に汗握るミステリーであると同時に、非常に魅力的なSFであるとしている。単にSF的な要素がちりばめられたミステリーではなく、未来的要素なしには成立しえない小説で、しかも説教臭くないかたちで、今日の技術がもたらす危険性を警告している点を評価している。深刻なテーマにもかかわらず、ユーモアと風刺に富む、「わくわくして考えさせられるディストピア小説」なのである。

実はトム・ヒレンブラントはSF界生え抜きの作家ではなく、ドイツ語圏の小説家として一躍名を知られるようになったのは、シェフのグザヴィエ・キーファーが名探偵として活躍するミステリー・シリーズによってであった。「パリのどの一つ星レストランでも、スーシェフ(副料理長)としてなら雇ってもらえる」という微妙な評価を得ていたキーファーは、故郷に戻り、ルクセンブルクの下町で、小さいけれどもローカル色豊かで洗練されたレストランを営んでいる。第一作の『悪魔の果実(Teufelsfrucht)』(未訳)では、このレストランに客としてあらわれたパリの有名な料理評論家が、メインディッシュに行き着く前に死亡してしまい、キーファーに殺人の容疑がかけられる。しかも自分のかつての料理の師が突然失踪するにおよび、彼は事件の謎解きに取り組むことになる。このシリーズは、現在四作目まで出版されていて、数十万部を売り上げ、数ヶ国語に翻訳されている。
『悪魔の果実』は、〈素粒子〉、〈バーダー・マインホフ理想の果てに〉、〈ソウル・キッチン〉などの主演映画で日本でも知られているドイツの人気俳優モーリッツ・ブライプトロイの主演で映画化が進んでおり、ヨーロッパでは二〇一六年か一七年に劇場公開が予定されている。自身も料理が趣味というブライプトロイが名シェフのキーファーに扮して、事件を解決する。制作プロダクションによれば、シリーズののこる三作の映画化権もすでに取得ずみとのことである。
第二作『赤い黄金(Rotes Gold)』(未訳)では、パリ市長主催のディナーに客として招待された探偵シェフのグザヴィエ・キーファーの目前で、ヨーロッパでもっとも有名な寿司職人ミフネ・リュウノスケが突然死亡するところからはじまる。ミフネを毒殺した犯人を追ううちに、キーファーは、クロマグロの価格高騰と乱獲など、事件の背景に横たわるさまざまな問題に突き当たる。これも日本人としてはぜひ読んでみたい作品である。
近未来の監視国家を描いた『ドローンランド』とは対照的に、二〇一六年春に出版予定の『コーヒー泥棒(Der Kaffeedieb)』は、歴史冒険小説とのこと。ヒレンブラント自身の言葉を借りて紹介すると、「十七世紀の完全監視社会と、ソーシャルネットワークと、ナード(英語のスラングで、おたく、マニア、専門ばかといった意味)と、コーヒーの物語」である。一六八三年、ヨーロッパに「カーフェ」という名のドラッグがトルコから入ってきて、人々はたちまちその魅力の虜になった。コーヒーである。コーヒー豆をトルコ人から盗み取ろうと画策する若い英国人の冒険を描くこの物語も、なかなか面白そうだ。

さて、本作品『ドローンランド』だが、ここで描かれている数十年先の近未来のヨーロッパは、どんな感じなのだろうか? EUの加盟国は三十七ヶ国。イギリスはEUから脱退しようとしている。その前提として新憲法の成立が必要だが、この投票をめぐってなにやらきな臭い動きがあるらしい。EUでもっとも豊かな国は、波動発電によりエネルギーを各国に供給しているポルトガルだが、世界全体を牛耳っている最強国はブラジルだ。太陽エネルギーの利権をめぐって、サハラ砂漠ではかつてソーラー戦争が勃発した。ロシアとイギリスのマフィアが結成したブリスキーズが暗躍し、アメリカと中国はすでにその影響力を失っている。過激なキリスト主義者が人工中絶を行うクリニックを襲撃し、身近な生活に目を転じると、バーのドリンクは一杯が二千ユーロ……といった具合だ。
本作品のヨーロッパでは、市民は、スーパーコンピュータとドローンを駆使する当局によって完全に監視されている。さらにおそろしいのは、高性能コンピュータによって、将来、高確率で犯罪に走ると予測された市民が、実際に犯罪を起こす前に社会から抹殺されることだ。人々はメガネ型端末「スペックス」をかけ、メディアフォイルが紙の代わりになっている。しかし物語のはじまりは、古典的なミステリーとなんらかわりがない。頭が吹っ飛んだ欧州議会議員の死体がブリュッセル近郊の農地で発見されたとの報をうけ、ユーロポールのヴェスターホイゼン主任警部が事件の解決に乗り出す。ヴェスターホイゼンは、古いアメリカ映画とハンフリー・ボガートが好きな昔気質の男だが、ソーラー戦争に従軍した経験があり、そのときうけた心の傷をいまだに引きずっている。しかも、気候変動によって世界で真っ先に水面下に沈んだオランダのアムステルダム出身の「元オランダ人」としての鬱屈も抱えている。主人公ヴェスターホイゼンが「わたし」という一人称で一貫して物語るかたちがとられていることもあり、読者は筋が追いやすく、しかも感情移入しやすい。アシスタントの「古代バビロンの神殿の踊り子の肉体と、原子物理学者の頭脳の持ち主」、アヴァ・ビットマンの存在が、物語をさらに生き生きとさせている。
しかし完全監視国家において、なぜまだ刑事という職業が必要なのだろうか? 著者は、作中の謎のジャーナリスト、ジョニー・ランダムに「わたしはすべてのデータを所有している。それは事実だ。だがわたしには〈解〉がないんだ。情報はアイディアではない……わたしは独創的な思考ができないんだよ」と語らせている。それに、スーパーコンピュータのテイレシアス(テリー)にも盲点がある。ドローンをはじめあらゆる手段を駆使して収集したデータを使ってスーパーコンピュータが構築したヴァーチャル世界が、信用のおけないものだったらどうなるだろう? 未来を支配するのはデータを支配した者かもしれない。しかし肝心のそのデータは容易に操れるのだ。

毎年のようにクルト・ラスヴィッツ賞やドイツSF大賞のランキングに登場し、この人を抜きにしてはドイツのSF界を語れない作家に、アンドレアス・エシュバッハがいる(日本でも『イエスのビデオ』などの訳書がある)。このエシュバッハが『ドローンランド』の書評を自らのホームページに載せている。彼は、この数年間、面白いSF小説が、いわゆる「サイエンス・フィクション・シーン」の出身ではない作家によって書かれる傾向があると指摘した上で、「正直に言えば、トム・ヒレンブラントは、これまでわたしの眼中にはない作家」だったと告白している。たまたま乗換駅のケルンの本屋でこの本を見かけたエシュバッハは、「ドローン」という語に引かれ、最初の二ページを読んだだけで、すぐに購入を決めたという。冒頭の「スティーンカーク」という語の意味がわからず、調べよう調べようと思っていたが、ページを繰る手を止められず、結局終わりまで読んでしまったとのこと。ストーリーの面白さは、エシュバッハのお墨付きというわけだ。

「フランクフルター・アルゲマイネ」紙の書評は、「さすがのオーウェル(ジョージ・オーウェルと、その小説『一九八四年』を指す)も時代遅れになり、この小説の時代がやってきた」と書き、「ディ・ヴェルト」紙の書評には、「われわれは監視社会をめぐる新しい物語を必要としている。トム・ヒレンブラントの未来ミステリー『ドローンランド』がそれである」とある。
エンターテインメント性に富むスリリングな物語であると同時に、現代社会の行く末に一石を投じる問題の書でもある本作品『ドローンランド』を、ぜひ楽しんでいただきたい。

二〇一五年十二月一日
赤坂桃子

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著者

トム・ヒレンブラント

1972年ドイツ生まれ。ベストセラーリストの常連。2015年本書でフリードリヒ・グラウザー賞など、ドイツ国内のSF賞、ミステリー賞を複数受賞。

赤坂桃子

ドイツ語・英語翻訳者。訳書にM・ボルマン『希望のかたわれ』『沈黙を破る者』、M・ローゼンバッハほか『全貌ウィキリークス』、H・クリングバーグ『人生があなたを待っている──『夜と霧』を越えて』など。

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