単行本 - 日本文学
「生産性という言葉で人間の価値を計る。そういう空気の中で生きるのは、お互い首を絞め合っているようなもの」──何の役にも立っていないのではないかという葛藤とそれに対する一つの答え 山崎ナオコーラ 著『リボンの男』
評者・犬山紙子
2020.01.31
生産性という言葉で人間の価値を計る。そういう空気の中で生きるのは、お互い首を絞め合っているようなもので、命脅かす、その絞める手の力を緩めるのに必要なのがこの物語なんだと思います。
専業主婦・主夫が抱える不安。「○○くんのママ・パパ」「○○さんの奥さん」とばかり呼ばれて自分が消えて無くなってしまったような気持ちの中の、社会と繫がっていない、自分が何にも社会の役に立っていないんじゃないかという不安。
その不安は「人間は生産性があって、お金を産んでこそ価値がある」という圧がないと生まれません。(そもそもお金を産むのは日本銀行なので私たちはお金を産んでいないのですが……私たちは働いたり、生活したり、主張したり、消費したりすることでお金を循環させていて、意味のない人はいないんです)
昨今ようやく家事育児は立派な労働であるということが認知されました。でも、それ以外の時間はどうなんだろう? そもそも人間の営みは家事!育児!仕事!プライベート!なんてざっくりわけられるものなのか? という問いがこの本から生まれます。主人公の主夫・小野常雄こと妹子が庭で見かけた病気のたぬきに思いを巡らせる時間、子どもと見かけた雑草を調べる時間、川で落とした百円を楽しみながら探す時間。
「家事育児と仕事の両立をする方法」が世間で求められていますが、そこからこぼれ落ちた曖昧な時間はなくていいんだろうか。世間から「いらない時間」と切り捨てられたら次に生まれるのは自己否定です。
そうやって「自分はただお金を使う時給マイナスの男だ」と悩む妹子と夫を重ねられずに入られません。我が家は共働きではありますが、夫の方が家事育児を担当する時間が長く、夫もまた「自分は何の役にも立っていない」と言うことがあるからです。夫は遊びに出かけるとすごい勢いで「大丈夫だった?」「なるべく早く帰るから、ごめんね」と言うのです。それは夫がセロトニン不足で治療中というのも大いにありますが、それだけでもないでしょう。
「あなたが遊びにでかけるのは私にとっても嬉しいことで、チームにとっても良いことだよ」と伝えても彼の自己否定は終わりません。根本に「何か見えるものを生み出さないと価値がない」という呪いがあるなら、その言葉は届かないからです。何かをして、それに数字がつくのかどうか、そこに私たちは支配されなくていい領域まで支配されているんですね。
「世界を広げることを成長と呼ぶのだとこれまでの妹子は思っていたが、世界を細分化するのも成長なのかもしれなかった。そう考えると自分も救われる。子どもが生まれてからますます自分の世界が小さくなったことにしょげていた」。妹子はそう言います。
そして息子タロウは「お父さんもねえ、ヒモじゃないんだよ。ヒモじゃなくてリボン」と言います。それはそのまま私や夫が葛藤しながら過ごした日々にそっとリボンをかけるような素敵な言葉でした。