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「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 2ページ目

●ホワイトハウスのコレクション

 ホワイトハウスとグッゲンハイム美術館の間に何が起こり、背景に何があったのかをもう少し細かく見ていこう。『ワシントン・ポスト』には、記事中に「グッゲンハイムからの手紙」が掲載されている。2017年9月15日付の電子メールで、ナンシー・スペクターがホワイトハウス・オフィス・オヴ・ザ・キュレーター(以下、「キュレーターズオフィス」)の担当者に宛てて書いたものだ。以下に全文を訳出する。

 

ドナ・ハヤシ・スミス様

ホワイトハウスの大統領ご夫妻の私室用に、フィンセント・ファン・ゴッホの「雪のある風景」を借用したいという、グッゲンハイム美術館へのご依頼に感謝申し上げます。我が国の文化施設からの貴重な作品を展示し、芸術支援の姿勢を示したいというご夫妻のお気持ちをうれしく思っております。けれども、残念ながら貸し出しが不可能であることをお知らせしなければなりません。この作品は当館のタンハウザー・コレクションに所属するもので、同コレクションは極めて稀な例外を除いて作品の貸し出しを禁じています。そして当館は、同作をスペインのビルバオにある姉妹館で展示する許諾を、タンハウザー財団より頂戴したばかりなのです。海外での展示が終わった後は、タンハウザー・ギャラリーの常設展示に速やかに戻さなければなりません。

思いがけないことに、イタリアの著名な現代アーティスト、マウリツィオ・カテランの素晴らしい作品が、本日グッゲンハイムにおける1年間の展示を終え、作家はホワイトハウスに長期貸与したいと申し出ています。同作は18金の便器で、寛大にも、誰にでもご使用いただけるよう、当館のトイレに設置されました。この作品は、1917年のマルセル・デュシャンの著名な小便器を参照しつつ、20世紀前衛アートの歴史を見事に辿っています。大統領ご夫妻がこの作品をホワイトハウスに設置することにご関心があれば、当館は作家を助けて貸し出しを円滑に行うべく尽力する所存です。作品はもちろん、極めて高価であり、いくぶん壊れやすくもありますが、設置とメンテナンスに関する完全な指示書をご提供します。ご参考までに画像を添付いたします。

ご質問があれば何であれ喜んでお答え申し上げます。下記の電話までご連絡下さい。

当初のご希望に沿うことができず残念ですが、この特別なご提案がお気に召すことを祈っております。

かしこ

ナンシー・スペクター

 

ナンシー・スペクター(New York Timesのサイトより)

 

 ホワイトハウスにキュレーターがいることをご存じなかった向きも多いかもしれない。キュレーターズオフィスは1961年に設立された。後に暗殺されることになる第35代大統領ジョン・F・ケネディの夫人ジャクリーンが、ホワイトハウスの改装を行うとともに、その「ミュージアム化」を提唱。議会の承認を得て初代キュレーター、ロレーン・ワックスマン・ピアースが就任した。先に断っておけば、スペクターの返信宛先の「ドナ・ハヤシ・スミス」はキュレーターズオフィスの長ではなく、コレクションマネージャーである。現在のザ・キュレーター、つまり長については後述する。

 さて、ジャクリーン・ケネディは、改装前のホワイトハウスを「ディスカウントストアの家具で内装したみたい」と表現した一方、次のように述べてもいる。

 

ホワイトハウスにあるものにはすべて、ここにあることの必然性があるはずです。単に(私の嫌いな言葉ですが)「再装飾(リデコレート)する」というのでは冒涜になってしまう。ホワイトハウスは修復(リストア)されるべきであって、それは装飾(デコレーション)とは何の関係もありません。これは学術的な問題なのです。(「THE WHITE HOUSE RESTORATION」。ジョン・F・ケネディ図書館・博物館ウェブサイト所収。)

 

 美術の専門家、政府のスタッフ、そして民間人からなる委員会が組織され、歴代の大統領夫妻が使った調度や、それぞれの時代に典型的な美術工芸品が、可能な限り修復されたり、あらためて購入されたりした。総経費は約200万ドル。ジャクリーン自身が出演し、改装後にCBS、NBC、ABCの3局で放映されたテレビ番組「A Tour of the White House with Mrs. John F. Kennedy(ジョン・F・ケネディ夫人が案内するホワイトハウス・ツアー)」は8千万人が視聴したといわれる。

 床面積5100平米、134室のホワイトハウス。その美術工芸品のコレクションは、調理器具やグラスなどを1点ずつ数えれば6万5千点に上る。うち、絵画は500点ほど。ファーストレディの中では、リチャード・ニクソンの妻パットが、1970年代初頭に「多くの重要な収集」を行ったという(「Q&A: William Allman on Entertaining at the White House」。2019年1月10日付『ワシントン・ポスト』)。

 新しい大統領が選出されると、キュレーターズオフィスは大統領執務室があるウエスト・ウイングをはじめ、各部屋、ホール、廊下などの装飾を変更する。もちろん、新大統領夫妻と協議の上だ。ロナルド・レーガンは、カルヴィン・クーリッジ大統領の肖像画を閣議室に飾った。ジョージ・W・ブッシュは、それをドワイト・D・アイゼンハワーの肖像画に差し替えた。バラク・オバマは、ハリー・S・トルーマンに変更した。いずれも、先人たちへの敬愛の念とともに、自らの政治的方向性を示すものだろう。

 歴代のファーストレディも、自らの好みと政治性を表現している。ヒラリー・クリントンは、ジョージア・オキーフ財団とコレクターの夫妻から寄贈されたオキーフの風景画「Bear Lake, New Mexico」(1930年)を展示させた。ローラ・ブッシュは、アフリカ系の画家ジェイコブ・ローレンスが工事労働者を描いた「The Builders」(1947年)を、ホワイトハウスのコレクション取得を担当する財団にオークションで購入させた(落札価格は手数料込みで250万ドル強)。ミシェル・オバマは、やはりアフリカ系の女性画家アルマ・トーマスの「Watusi (Hard Edge)」(1963年)と「Sky Light」(1973年)を選び、『ニューヨーク・タイムズ』に激賞された。曰く「トーマスは、様々な点でオバマ政権にとって理想的なアーティストであり、力強い実例である。すなわち、過激になることなく前向きで、人種問題を超えながら人種を意識し、新しきを愛でつつ古きと離れない。まさに多様性の象徴(レインボータイプ)である」(ホランド・コッター「White House Art: Colors From a World of Black and White」。2009年10月10日付)。

 上記のうち「Sky Light」は、ホワイトハウスの目と鼻の先にあり、スミソニアン博物館群に属するハーシュホーン美術館が貸し出したものだ。キュレーターズオフィスの業務には、コレクションの保管、修復、研究のほか、大統領夫妻の求めに応じて美術館などに作品借用を申請することが含まれる。オバマ夫妻のためにはほかに、エドガー・ドガ、ヨゼフ・アルバース、ジョルジョ・モランディ、ルイーズ・ニーヴェルスン、マーク・ロスコ、サム・フランシス、ロバート・ラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、エドワード・ルシェなど45点ほどの近現代作品を、ハーシュホーンやナショナル・ギャラリーなど首都ワシントンD.C.のアート施設・団体から調達した。例外は、ニューヨークのホイットニー美術館から借り受けたエドワード・ホッパーの絵画2点くらい。ホッパーは、20世紀米国を代表するといわれる人気の高い白人の具象画家だ。

 オバマ夫妻によるこうした選択は、『ニューヨーク・タイムズ』の別の記者に「大胆でモダン」と評された(キャロル・ヴォーゲル「A Bold and Modern White House」。2009年10月6日付)。夫妻が私室のリノベーションのために雇った装飾家マイケル・スミスは「ホワイトハウスが所有するコレクションは、18~19世紀の米国の古典美が持つ力強さを示すものです。借用のために選ばれた作品は、こうした歴史的遺産と20~21世紀のアーティストによる多様な声との橋渡しをすべく機能します」と語っている(エイミー・チョージック&ケリー・クロウ「Changing the Art on the White House Walls」。2009年5月22日付『ワシントン・ポスト』)。実際、ドガとモランディを除いて、上述のアーティストは全員が、米国生まれか米国に帰化した20世紀以降の米国人である。

フィンセント・ファン・ゴッホ「雪のある風景」(「MUSEY」のサイトより)

 

 先に述べたように、ドナルド・トランプとメラニア夫妻は、グッゲンハイム美術館に、フィンセント・ファン・ゴッホの「雪のある風景」の借用を要請した。これは、オバマ夫妻はもとより、それ以前の大統領夫妻とはだいぶ異なった行動だと言える。ひとつには、グッゲンハイムが首都ワシントンD.C.ではなくニューヨークにある美術館だから(ファン・ゴッホが生涯に描いたペインティングはおよそ900点。ほとんどが母国オランダにあるが、米国のアート施設・団体にも120点強が収蔵されている。ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーも10点を保有している)。もうひとつには、ファン・ゴッホがオランダの画家であるから。

 前者は先例がないわけではないから、さほど重要ではないとも考えられる。後者はしかし、就任以前から「アメリカ・ファースト!」を唱えてきた新大統領としては、いかにも奇妙ではないだろうか。非米国人画家の作品を展示しても、米国の(そして再選を最重要視するトランプの)利益にはまったくならない。オランダと何かを交渉する際には役立つかもしれないが、トランプ流の「ディール」には無関係のように思える。

 

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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