単行本 - 芸術

「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 8ページ目

●「神対応のいけず」

 ナンシー・スペクターは1959年生まれ。米国を代表するキュレーターのひとりである。1989年から2016年までキュレーターとしてグッゲンハイム美術館に勤務し、2013年には副館長兼ジェニファー・アンド・デイヴィッド・ストックマン・チーフキュレーターの任に就いている(この長い肩書きには、ちょっと面白い背景事情がある。後述する)。2016年4月、副館長兼チーフキュレーターとしてブルックリン美術館に迎えられるも、10か月後の2017年2月にグッゲンハイム初の芸術監督兼ジェニファー・アンド・デイヴィッド・ストックマン・チーフキュレーターとして同館に復帰。そのちょうど中間あたりに、ドナルド・トランプが大統領選に勝利している。ホワイトハウスからの作品借用要請は、復帰後ほどなくして来たものと推測される。

 グッゲンハイムでは、レベッカ・ホルン、フェリックス・ゴンザレス=トレス、ロバート・ラウシェンバーグ、マシュー・バーニー、マリーナ・アブラモヴィッチ、リチャード・プリンス、ルイーズ・ブルジョワ、ティノ・セーガル、ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスら、文字どおり錚々たるアーティストの個展をキュレーションしている。姉妹館のドイチェ・グッゲンハイムでは、杉本博司、ローレンス・ウェイナー、ガブリエル・オロスコら、これも大物アーティストへの委嘱作品を監修し、ダグラス・ゴードンの個展やマシュー・バーニーとヨーゼフ・ボイスの二人展などを企画。その間、1998年にベルリン・ビエンナーレの立ち上げに共同オーガナイザーとして関わり、2007年にはヴェネツィア・ビエンナーレ米国館のコミッショナーを担当した(選んだのはキューバ生まれのフェリックス・ゴンザレス=トレス。AIDSで亡くなったボーイフレンドを偲ぶ感動的な作品で知られるが、自身も同じ病に襲われ、1996年に40年に満たない短い生涯を閉じたアーティストだ)。そして先に述べたとおり、2011年11月にはカテランの大回顧展『All』をキュレーション。2014年には専門誌『アートネット』によって「アート界の最も重要な女性25人」の、また一般誌『フォーブス』によって「40歳以上の注目すべき女性40人」のひとりに選ばれた。

 これだけでも輝かしい経歴と言えるだろうが、スペクターは「アメリカ」をオファーすることによってホワイトハウスを手玉に取ったとして、アートワールドと、民主党支持者を中心とする反トランプ派から喝采を浴びた。トランピズム、すなわち「トランプ主義」に対する(同等ではないにせよ)痛快なしっぺ返しというわけだ。

 スペクターの手柄については数多くの称賛記事が書かれたが、ひとつだけ挙げるとすればフィリップ・ケニコットによるものだろう。黄金の便器スキャンダルをスクープした『ワシントン・ポスト』でアートと建築の記事を担当する、ピューリッツァー賞(ジャーナリズムと諸芸術部門)を受賞した花形記者である。

 ケニコットはグッゲンハイムの対応を「sick burn」と形容する。「sick」は「cool」に近いスラングで「格好いい」「痛快な」、「burn」は「悪口」「悪態」といった意味。両者を合わせると「イケてるディスり」とでもなるだろうが、ホワイトハウスへの慇懃無礼さに「意地の悪さ」のニュアンスを加えて「神対応のいけず」と訳しておく。

 記事の要点を記してみよう。今回の事件はイヴ・クラインの「『非物質的絵画的感性領域』の譲渡」を想い起こさせる、とケニコットは書く。同作は1959年に発表されたコンセプチュアルアートで、作家は何もない空間(非物質的領域)を一定量の純金と交換する。購入者は所有証明書を受け取り、本人が「儀式」を望めば、証明書を焼却し、クラインは金の半量を海や川など回収不可能な場所に投げ込む。すべては美術館長や批評家ら、アート関係者の立ち会いのもとに行われる……。

 

イヴ・クライン「『非物質的絵画的感性領域』の譲渡」
(1962年のパフォーマンス。イヴ・クライン・アーカイヴズのサイトより)

 

 金が全量ではなく半量というのが微妙だが、クラインが1962年6月に没するまでに「領域」は8つ売れ、少なくとも3回は「儀式」が執り行われたという。嬉々としてセーヌ川に金を投げ捨てるアーティストの写真が残されている。

 ケニコットによれば、この作品は、当時流行していたふたつの試みに挑んでいる。ひとつは、完全に非物質的な作品をどのようにつくるか。もうひとつは、あらゆる消費財と同様にアートが売買される、資本主義経済に関心を向ける作品をどのようにつくるかである。今回の件も両方の要素を含んでいる。事件が引き起こしたおしゃべりやジョーク、大統領の面目が潰される様を見る快楽、現代アートとアイロニーについての業界関係者の議論などはいずれも非物質的である。そこには、交換や非交換をめぐるコンセプチュアルな要素も存在する。

 また、大統領に対して「ノー」と言ったのはそれ自体力強い身ぶりだが、そこにはさらなるメッセージが含まれている。「ファン・ゴッホが欲しいというのは、それがステータスシンボルになるからでしょう? でも、それよりも貴方が本当に欲するもの、つまり黄金はいかが?」。そう提案された大統領が黄金の便器を受け入れれば、美術館が彼を見る、その見方を肯定することになる。拒否すれば、ファン・ゴッホのように金とビジネスを超越したものが存在することを是認することとなり、それは「金がすべて」という彼の世界観を損なう結果となる……。

 記事の最終段落を訳してみよう。大絶賛である。

 

今回の作品はカテランによるものではない。彼はこのゲームにおける道具でしかない。これはむしろ、ホワイトハウスに提案を行ったグッゲンハイムのキュレーター、ナンシー・スペクターの作品なのだ。キュレーターには才能と創造性があるかもしれないが、ほとんどの場合、アートの創作には関わらない。ところが、いまやグッゲンハイムは、スペクターによるオリジナルの新作を所有している。栄誉とはいえないまでも、少なくとも軽みを美術館のコレクションに加えることになるだろう。だが、あらゆる政治的な作品と同様に、わずかながらリスクもあるかもしれない。大統領は、神対応のいけずを軽い自虐ネタとして受け流せるお人柄であるとは知られていないからだ。(「An art critic explains what the Guggenheim was really saying when it offered Trump a golden toilet」。2017年1月27日付『ワシントン・ポスト』)

 

 ステータスシンボルは金を生むためのツールになりうるから、ケニコットの主張に100%同意はできない。ドナルド・トランプはサイン入りのルノワール(の贋物)さえ持っているのだから。したがって前述したように、「金ピカ趣味の是認」と「現代アートについての無知・無理解」の二択を突き付けたと見るのが妥当だろう。とはいえ「sick burn」という形容は秀逸である。

 

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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