単行本 - 芸術

「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 5ページ目

●ロバ、リス、ウマ、子ゾウ……

 カテランの作品で目立つのは、しかし子供よりも動物である。

 1994年、前年にニューヨークに移住したカテランは、ダニエル・ニューバーグ・ギャラリーで開催した個展で、バロック的なシャンデリアと1頭のロバを展示物とした。アートファンであれば誰もが、1969年にローマで12頭のウマをギャラリーに放ったヤニス・クネリスや、1974年にニューヨークのギャラリーで1週間をコヨーテとともに過ごしたヨーゼフ・ボイスを想い起こすことだろう。クネリスの作品は「無題」、ボイスのは「私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」と題されていた。他方、カテランの作品名(展覧会名)はパロディじみた長いもので、はるかに軽い。「Warning! Enter at Your Own Risk―Do Not Touch, Do Not Feed, No Smoking, No Photographs, No Dogs, Thank You(警告! 入室は自己責任で――触らないこと。餌をやらないこと。禁煙。撮影禁止。犬も禁止。ご協力に感謝します)」というのである。本人によれば、アイディアがまったく浮かばなかったので、愚鈍の代名詞であるロバを自分の代わりに展示したのだという。動物が出す諸々の音への苦情が近隣から出て、個展はすぐに中止となった。その後は、ロバを含む動物の剥製が様々の作品において用いられることになる。

 「Bidibidobidiboo(ビディビダビディブー)」は1996年に発表された。リスの剥製がミニチュアの椅子に座り、ミニチュアのテーブルに突っ伏している。足下に落ちているのはやはりミニチュアの拳銃。不幸なリスは、銃で自殺を遂げたのだ。タイトルはディズニーのアニメ映画『シンデレラ』に出てくる「Bibbidi Bobbidi Boo(ビビディ・バビディ・ブー)」のもじりだろう。『シンデレラ』の魔女は呪文によってカボチャを馬車に、みすぼらしいシンデレラをお姫様に変身させたけれど、このリスは何に変身することもできなかった。テーブルと椅子の背後には簡素な湯沸器とシンクがあって、リスの暮らしがつましかったことを窺わせる。掌を机に釘付けにされたり、樫の木に吊されたりした少年と同様、貧しい生活を余儀なくされた作家のアルターエゴ(分身)であると同時に、格差社会の底辺に生きる若者の現状をも表す作品だと思う。

 

マウリツィオ・カテラン「Bidibidobidiboo」(Perrotinのサイトより)

 

 1997年には、「Novecento(1900年代)」を制作した。ウマの剥製を天井から吊した作品である。四肢は不自然なまでに伸ばされ、頭部は首が折れたかのように曲がっている。ウマはなすすべもなく重力に身を委ね、絶望感を全身で表している。

 タイトルの「Novecento」は、1976年に公開されたベルナルド・ベルトルッチの映画(邦題は『1900年』)と同じである。ベルトルッチ作品は、世紀の変わり目、つまり1901年の同じ日に生まれた大農場主と小作人のふたりを軸に、イタリア現代史を描くものだった。第1次世界大戦における勝利~ファシズム政権の成立~第2次世界大戦への参戦と敗北~王政廃止と共和制への移行……。階級闘争を経て、イタリアは(世界は)民主化による社会平等という希望を達成するかに見えた。だが実際には、20世紀は絶望の世紀だったというわけだろうか。

 1998年に発表した「If a Tree Falls in the Forest and There is no One Around it, Does it Make a Sound ?(森の中で木が倒れ、そのまわりに誰もいなかったなら、木は音を立てるのだろうか?)」は、剥製の子ロバにテレビ受像器を背負わせた作品である。キリスト教的世界において、子ロバといえばエルサレム入城の際にイエス・キリストを背に乗せて運んだ動物。現代における救世主はテレビに代表されるマスメディアさ、というシニシズムはカテランにしてはやや単純で直接的すぎるが、含意はそれ以外にもありそうだ。アンディ・ウォーホル以来、複製物、情報、シミュラークルこそが時代をつくっているとされる。カテランの作品を含む現代アートも、まずは実体ではないイメージによって一般に伝播する。メディアばかりでなくアート産業も虚業と揶揄されることがあるけれど、その虚像はアーティストによって増幅される。そういえばカテランは、自分を愚鈍なロバになぞらえていたではないか。

 カテランは2008年に、「Daddy, Daddy(パパ、パパ)」という作品を発表している。ウォルト・ディズニー版のピノキオがうつぶせになって水に浮かんでいる不気味な作品だが、遊びの島「プレジャー・アイランド」で遊び呆けていたピノキオが、ほかの子どもたちとともにロバにされかかる話を覚えている人は多いだろう。1883年に刊行されたカルロ・コッローディによる原作『ピノッキオの冒険』では、ピノッキオは本当にロバに姿を変え、サーカスに売り飛ばされる。

 原作では、ペテン師のキツネとネコに騙されたピノッキオは、ふたりに襲われて吊し首にされる。カテランが少年の彫刻を木から吊した作品をつくる背景に、イタリアで百年以上読み継がれている風刺小説の挿話があったことは間違いない。自らをロバになぞらえているということは、ピノッキオを自分に、イタリア統一後の矛盾に満ちた時代を現代に、それぞれ重ねているということになる。だとすれば、木から吊された少年はカテラン自身だったのかもしれない……。

 2000年の「Not Afraid of Love(愛なんか怖くない)」は、子ゾウの剥製に白い布を掛けたもの。布の目と鼻の部分が切り取られていて、子ゾウは両眼と長い鼻だけを出している。白装束と白い頭巾で全身を覆う白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)を想起させる作品だ。

 白人至上主義はいまや全世界が抱える深い闇だが、この作品がつくられた直前の1998年に、アメリカ合衆国で痛ましく、おぞましい事件が発生した。ピックアップトラックでドライブ中だった3人の白人男がヒッチハイクをしていた黒人男性を車に乗せ、激しく殴打した後に鎖で足首を荷台につなぎ、生きたまま2マイルほども引きずったのである。頭部は途中、コンクリート製の排水管にぶつかって切断され、遺体は路上に放置された。同じ年に起こった同性愛者の惨殺事件とともに、「ヘイトクライム」という言葉が知られるきっかけとなった事件だが、主犯の男は、体にKKKの装束を身にまとったウッドペッカーのタトゥーを入れていた。

 

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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