
単行本 - 芸術
「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 7ページ目
小崎哲哉
2020.11.04
●1本12万ドルのバナナ
1993年にはヴェネツィア・ビエンナーレが若手注目作家を指名する『アペルト』セクションに招待され、あろうことか自分に割り当てられたスペースをそのまま広告代理店に又貸ししている(代理店は香水を宣伝するビルボードを掲示した)。労少なくして収入を得た一方で、マーケットと不可分、というよりもマーケット至上主義となっている現代のアートシーンへの、絶妙な距離感を保ったおちょくりとも受け取りうる。
それは、自作を売ってくれるギャラリストをネタにする姿勢からも推測できる。例えば、『アペルト』に出展したのと同じ年にナポリで開いた個展では、ギャラリーの共同オーナーふたりに期間中ずっとライオンのコスプレをさせていた。その2年後、パリで個展を開催した際には、ギャラリーオーナーのエマニュエル・ペロタンにピンクのウサギの縫いぐるみを着せた。巨大な男性器にも見えるもので、題して「Errotin, le vrai lapin(エロタン、本物のウサギ)」。カテラン以外に、ソフィ・カル、KAWS、村上隆ら人気作家を抱え、無類の女好きで知られるギャラリストへの、親愛の情と皮肉を込めたジョークだが、エロタン、もといペロタンは受け入れざるを得なかったのだろう。
マウリツィオ・カテラン「Errotin, le vrai lapin」(Perrotinのサイトより)
いちばん気の毒だったのは、ミラノのギャラリーオーナー、マッシモ・デ・カルロである。カーステン・ヘラー、リー・キット、ルドルフ・スティンゲル、厳培明(ヤン・ペイミン)らをリプレゼントすることで知られるギャラリストは、1999年、カテランの個展オープニングの際に、作品としてダクトテープでギャラリーの壁に貼り付けられたのである。晒し者にされたデ・カルロはオープニングが終わる前に意識を失い、ようやく解放されたがそのまま病院に搬送された。
ダクトテープはカテランのお気に入りの素材と見えて、近年も話題となった。
2019年12月、アート・バーゼル・マイアミビーチに出展したペロタンのブースに、カテランは「Comedian(コメディアン)」と題するオブジェを出品した。ただのバナナを灰色のダクトテープで壁に貼り付けただけの作品である。価格は1本、もとい1点12万ドル。2点が瞬く間に売れ、エディションナンバー3は15万ドルに値上げされたが、某美術館が購入し、ほかにも引き合いがあるという。
驚くべき値で売れたばかりか、会期中に思わぬことが起こった。アーティストのデイヴィッド・ダトゥーナがダクトテープを壁から引き剥がし、バナナの皮を剥いてむしゃむしゃと食べてしまったのである。世界有数のアートフェアとあって、会場には多数の訪問客がいた。ダトゥーナは「これはアートパフォーマンス『ハングリー・アーティスト』だ」と述べ、「とても美味しい」と話しながら悠々と動画映像に収まった。
カテラン「Comedian(コメディアン)」を食べるデイヴィッド・ダトゥーナ
(The Guardianのサイトより)
ペロタンによれば、バナナは地元マイアミのスーパーマーケットで調達されたもので、バナナ自体の形も壁に貼り付ける角度も「慎重に検討されている」(セーラ・カスコーン「Maurizio Cattelan Is Taping Bananas to a Wall at Art Basel Miami Beach and Selling Them for $120,000 Each」。2019年12月4日付「アートネット・ニュース」)。「裸の王様の新しい服」と揶揄する声もあるが、ペロタンは「コレクターは着想を買い、証明書を買う」と主張して憚らない(ロビン・ポーグルビン「That Banana on the Wall? At Art Basel Miami It’ll Cost You $120,000.」。2019年12月6日付「ニューヨーク・タイムズ」)。アンディ・ウォーホルの「キャンベルのスープ缶」に比す声もあって、これがなぜアートなのかを論じるのは面白いだろうが、ここではこれ以上は触れない。ひとつだけ書いておくと、「Comedian」は少なくともふたつの先行作品を参照していると僕は思う。
ひとつは、アンディ・ウォーホルが1967年にプロデュースし、デザインを手がけたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビューアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』のジャケットである。ロックアルバム史上、というよりレコードアルバムのデザイン史上、最も有名なもののひとつと言っていいだろう。1本のバナナの絵が、白い地に写実的に描かれている。当初発売されていたものはバナナの部分がステッカーになっていて、剥がすと果肉の絵が現れた。
もうひとつは、ヨーコ・オノの代表作といわれる「Apple(リンゴ)」。本物のリンゴをひとつ、大人が上から見下ろせるほどの高さがある台の上に載せただけの作品である。1966年にロンドンのインディカ・ギャラリーで開催されたオノの個展で初めて発表され、価格は200ポンドだった。オープニングの前日、ジョン・レノンがふらりと入ってきて、何も言わずにリンゴを手に取ってひと口かじった。驚きと怒りで絶句していたオノに、レノンは「ごめんなさい」とだけ言ってリンゴを元に戻した。
ヨーコ・オノ「Apple(リンゴ)」(photo by yigruzeltil)
すでにスーパースターとなっていた音楽家と、後に「ビートルズを解散させた女」として非難されることになる無名アーティストとの、これが伝説的な出会いである。
「Apple」は、2000年にニューヨークのジャパン・ソサエティで開催され、2003年までに4か国の13美術館を巡回した大規模回顧展『YES Yoko Ono』に出展された。同展は日本では水戸芸術館が会場だったが、ほぼ同時期に森美術館が開館し、開館記念展の『ハピネス:アートにみる幸福への鍵 モネ、若冲、そしてジェフ・クーンズへ』でも別エディションのものが展示された。内覧を観に行った際にリンゴがかじられていた記憶があるけれど、あれはアーティストの指示によるものだったのかアート史に通じている観客の仕業だったのか、どちらだったのだろう。
ともあれカテランの作品は、半世紀以上前に発表された先行作品をなぞっている。皮が剥がされ、食べられることまで想定していたのではないか。多くの人がご存じの通り、正体不明のアーティスト、バンクシーは2018年10月、ロンドンはサザビーズのオークションで、ハンマープライスが確定した瞬間に自作絵画を、事前に額に仕込んでおいたシュレッダーを遠隔操作して切り裂いた。どうでもいいことではあるが、それと比べると、アート史への言及と人を食ったばかばかしさという2点において、皮1枚ほどカテランのほうが上手(うわて)に思える。「アメリカ」も、その2点が特徴であると言える。
落札後に下半分が断裁されて「少女と風船」から
「愛はごみ箱の中に」へと改称されたバンクシーの絵画
(AFPのサイトより)
黄金の便器の作家がどんな人柄であるかは、おおむねおわかりいただけたかと思う。メディアがカテランを形容する表現は「風刺的」「挑発者」「論議を呼ぶ」「スキャンダラス」「いたずらっ子」「ジョーカー」などなど。保守的な批評家からは「背後にアートビジネスの大金がある」「ペテン師」「カテラン作品を売ったり買ったりする連中は、批評家やアート好きが言うことに何の関心もないに決まっている」(ジェッド・パール「Dirty Money」。2011年11月23日付『ニュー・リパブリック』)と嘲罵されている。
現代のクレイジーなアートマーケットの寵児と、その作品を売り買いする連中に対する評価として、この嘲罵は100%正しい。だが本人には馬の耳に念仏、いやロバの耳に聖句だろう。ホワイトハウスならずとも、保守的な人々に敬遠されるのはさもありなんと思える。では、丁重に、しかしきっぱりとゴッホの貸与を断り、その代わりに便器を提案したキュレーターはどのような人物なのだろうか。