単行本 - 外国文学

『黄色い雨』の著者フリオ・リャマサーレスの短篇を無料公開!クリスマスには決して読めない、クリスマス・イブの物語。 - 2ページ目

 今考えても、女主人が人を愛したことがあるとは思えなかった。信心家ぶってはいるものの、気まぐれでヒステリックなところがあり、しかも日がな一日銭勘定に明け暮れ、使用人たちをつかまえては次から次へと用事を言いつけていた。まさに女専制君主と言ってもいい女性で、そんな人間に人を愛することなどできるはずがなかった。客間に両親の写真といっしょに結婚式の写真が飾ってある。そこには目元をほんのり赤く染めた幸せそうな表情を浮かべた女性が写っているが、どこまでも計算ずくで作られた表情であり、夫になる中南米帰りの人物が教会で戸籍簿にサインするまでのわずかな時間浮かべていたにすぎない。父親が所有するミルク工場以外に何の取り柄もない、およそ魅力的とは言い難い、顔色の悪い娘が求めていたのは彼のサインだけだったのだ。
 言うまでもないが、ご主人が結婚によって手に入れたいと思っていたのは、今の自分にない経済的な安定と、それまでに味わってきた数々の失望感を忘れさせてくれる静かで落ち着いた暮らしだったが、その思惑はみごとに外れた。家に足を踏み入れたとたんに(おそらくそれよりも前の、教会の戸籍簿にサインした時点で)、顔色が悪くかわいげのない娘はそれまでのおどおどした態度をかなぐり捨てた。その顔からやさしげな眼差しが消え、表情が一変して、紛れもない専制君主としての本性をむき出しにした。そのあとのことは容易に想像がつく。ご主人の方は自分が責め立てられ、追い詰められていると気づいて、最初はおそらく立ち向かおうとしたはずである。ハバナでしたたかに生き抜いてきたやり口——ぼくがそのことを知ったのはのちのことだが——を用いることもできたはずだが、ついにそれを使うことはなかった(もっとも彼女とは口もきかなかったし、毎年クリスマス・イブになると激しく口論したが、少なくともぼくがあそこで働いている間、ご主人は奥さんに対して敬意を払っていた)。いずれにしても、奥さんが彼の翼の羽を少しずつ切り落として飛べなくしてしまったせいで、ご主人は部屋に引きこもって籠城戦に訴えるしかなかったのだ。
 ぼくが出会った頃のご主人は、トイレに行くときか、日課になっている農場の散歩以外めったに部屋を出ることはなかった。食事も部屋でとっていた(女中のテヘリーナが毎日食事を上の部屋まで運び、ご主人が食べ終わるとトレイを片づけていた)。何年も前から寝室が別々だったので、主人夫妻はクリスマス・イブに子供たちが戻ってくるまで、何日も、何カ月も口をきくことはなかった。
 家の中はいつもきちんと片づき、ひっそりしているが、一族の者が戻ってくると急に賑やかになる。里帰りは中止するわけにはいかない昔からの大切な習慣で、その日は一族の者全員が集まった。もっともそこには、リャネスの屋敷やセロリオの農場、ビリャビシオーサのリンゴ園、それにもっとも重要なヒホンのミルク工場といった数多くの不動産をいずれ自分たちが相続するはずだという思惑も働いていた。一族の者はそれぞれ午前中にスーツケースと子供たちを詰め込んだ車で次々に戻ってくる。一番先に着いたのは検事のドン・アベリーノと控え目な性格の妻ドーニャ・マル、次いでドン・セクンディーノとドーニャ・メルセーデス、そしてドーニャ・アナとドン・フリオ、昼頃に独身のミゲル坊ちゃんが戻ってきたが、この人が最後になった。その日、ご主人は珍しく庭に出てみんなを出迎えた。女主人が、子供たちとその家族の使う部屋の割り振りをしたり、荷物の置き場を指示したりするのに忙しくしていたので、ご主人は午後のあいだ居間で孫たちの世話をした。
 毎年、子供たちが孫を連れて戻ってくると、夕食の時間まで家中がはじけるような喜びに包まれる。息子たちは家の中を歩き回りながら、その年にあった目新しい出来事を語り合い、女たちはにこやかに笑いながら(さりげなく)互いに品定めをしていた。年取った女主人がひっきりなしに用事を言いつけるので、テヘリーナとぼくは目のまわるほど忙しい思いをした。当日の夕食会はサロンのテーブルの一方の端に女主人が、もう一方の端にご主人が座り、二人が主催するという形で食事が出された。その間子供たちが主役になり、そこそこ親密な雰囲気の中で夕食会が進んだ。シャンパンのせいで列席者の声、とりわけミゲル坊ちゃんの声がかすれはじめると、女主人がまわりにいる人たちを押しのけるようにして進み出て、一年間口をきかなかったご主人に向かって突然居丈高な口調でこう問いかけた。
「今年は行くんでしょう?」
「行かないよ」
「どうして?」
「気のりしないんだ」

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