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【ユヴァル・ノア・ハラリを読む】混沌とした現代を理解するための壮大な仕掛け ――人類進化学者が考えるハラリ三部作の価値

ハラリ作品は問題設定や結論も興味深いが、その主張を生み出す仕掛けがとても斬新だ。最新作『21Lessons』には、現代を理解するヒントがたくさん詰まっているが、ハラリ氏の思考の原点と歴史観を意識しながら読めば、それらをより深く理解でき、面白さが倍増するだろう。

 

人間の未来を語るための壮大な仕掛け

人間の未来について十分な根拠と説得力を持って語れるのは、どのような素養をもった人なのだろうかと、常々疑問に思っていた。私はハラリの最初の2作『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』を読み、著者がまさにその大きな課題に真っ向から取り組み、そのために斬新なアプローチを見出し、かつ実行していたことに驚かされた。

私自身は人類の進化について研究している職業柄、人間の未来についてしばしば尋ねられるのであるが、2つの理由でそうした質問には答えずお茶を濁してきた。1つは、研究者として大きな課題に軽々しく答えたくないということ。そしてもう1つは、自分の専門の先史時代と、現代人の未来との間に、少し大きな時代的ギャップがあると感じていたからである。

ハラリの軸足はまさにその間を埋める歴史学にある。しかし本人は、歴史学だけでは未来予測に不十分であることを自覚していて、ならばと別の仕掛けを用意した。

歴史学が対象にするのは、多く場合、文明誕生以後の現代に至る世界であり、その中の文明社会の発展であり、その中の人間の活動である。まずこの部分の歴史を認識しなければ、そのすぐ先にある人間の未来を予測することはできない。しかし未来はそれまでの歴史の単純な延長ではなく、ハラリの言葉を借りれば「ふらつく」。それは人間の行動を決めるのがその心理だからであり、それ故ハラリは、人間の性向や心理的基盤も理解しようと、生物学や心理学の方面に話を拡張した。彼が新たに対象としたのは、生物種としての人間つまりホモ・サピエンスであり、つかもうとしたのは、その万年単位の歴史である。

ホモ・サピエンスの歴史研究は、多様な学問分野にまたがっている。その起源と進化の概要が、「ホモ・サピエンスのアフリカ起源説」として確立されたのは、21世紀に入ろうとする頃であったが、それはヒトのDNAレベルのなりたちを探る遺伝学、脳サイズや身長や体型など容姿の進化と変異を探る化石形態学、行動の変容を探る考古学、さらに遺跡等の年代を決める年代学、太古の世界の自然環境を知る様々な分野の共同作業の成果であった。その基本的シナリオは、世界中の現代人の共通祖先は30万~10万年前頃のアフリカに現れ、5万年前以降に世界中へ大拡散を遂げたというものである(ただし年代値についてはまだ議論の余地がある)。人間について、つまりホモ・サピエンスについて根本的に理解しようと思えば、この自然科学分野の研究成果に立ち入らざるを得ない。ハラリは歴史学者として、そこに堂々と入ってきた。

そうなると、歴史を語るタイムスケールも大きく変る。千年単位の文明史ではなく、旧石器時代にはじまる過去10万年ほどの長大な歴史が相手になるのだ。文献史としての歴史学の守備範囲を一山も二山も超えた世界だが、ハラリは必要だからそこにも踏み込んだ。

ハラリの視野は、過去に留まらない。歴史を見るにもバランスよく世界各地の事例を引き出し、過去以外に、今現在起こっているあらゆる事象に目を配る。要するに、ホモ・サピエンスのやること全てにヒントがあると、制限なしの注意を払っているのだ。

先史時代に遡るタイムスケールで人間の諸側面を理解しようという試みは、もちろんハラリが初めてではない。例えば、鳥類生態学者のジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』で、なぜ現代の人間社会に地域間の不平等が存在するのかという重い課題に挑戦している。

そうした中でハラリの特徴であり功績であるのは、歴史学の専門家がホモ・サピエンスの世界に足を踏み入れたことにあると、私は思う。なぜなら、それが人間の未来を考える彼の目的に有効であるだけでなく、そもそも人間の歴史の中で私たちは今どこにいるのか、現代はどのような時代と理解できるのか、という大きな問いに答えられるのは、やはり歴史学者だと思うからだ。

こうして未来を語るための大きな視野を確保した上で、ハラリは1つの前提を裏に立てて議論を始める。それは、ホモ・サピエンスはアフリカでの誕生以来、世界各地に分散し多様化を遂げていても、基本的に変っていないというものである。それは人類学で証明するのは困難だが、大筋はそうであろうと半ば暗黙に認められている前提だ。そして彼は、この前提で時空を縦横無尽に移動しながら、先史時代から現代に至る、地球上の異なる地域の歴史事例を順不同に持ち出す。そしてそれらを俯瞰し、ホモ・サピエンスに普遍的な性向を探ろうとするのである。

この斬新なやり方に私は当初とまどったが、読み進むうちに刺激的と感じるようになった。多様な事例で裏打ちされればされるほど、結論の説得力が増すからだ。

 

お手本のような歴史観:徹底した客観主義

ハラリの広い視野だけでなく、歴史を見る姿勢にも感銘を受けた。それは科学的歴史観とでも表すべき、徹底した客観主義だ。

我々個々人は、それぞれの人生の中でいろいろな価値観に染まっており、例えば自由主義や民主主義はよいもので、帝国主義は悪といったような色づけが無意識のうちに行なわれている。しかしハラリは『サピエンス全史』において、それら全ての価値を、どれも人間の所産であるということで疑った。『ホモ・デウス』では、幸福を求める人間の志向ですら、冷静な分析の対象となった。確かに、現代において正しいとされる社会規範も主義も、すべては人間がつくったもので、自然の摂理などではない。そもそも自然の摂理というものが、人間の解釈に過ぎないことも少なくはないのだ。

彼は近代科学を論じた際に、「科学革命は無知の革命だった」と言うのだが、その「私はわかっていない」という姿勢を、自らの歴史解釈において徹底的に実践しているのである。

このような科学的歴史観は、一般論として、私たちがぜひ身につけたいものである。価値についての先入観を一度捨ててゼロから見直すことで、私たちは、世界各地の歴史をよりフェアに捉えられるようになるだろう。さらに、異なる価値観のぶつかり合いが頻発する現代の国際情勢においても、自身と相手の観念について冷静に見つめなおす姿勢があれば、相互理解が進んで摩擦が軽減されることを期待できるだろう。

もう1つの興味深い点にも触れておきたい。ハラリ作品を読むと、読者はハラリが発する無尽蔵の疑問の嵐にさらされる。よくもここまで疑問が沸いてくるものだと感心するが、その源は、やはり無知を自覚する彼の科学的姿勢にあると捉えることができる。もちろん本質を捉える彼のセンスあってのことだが、重要な課題を見つけるには、まず「わからないのでわかりたい」という、謙虚な探究心が必要なのだ。

 

未来の問い方

『ホモ・デウス』で問われるのは、「人間はこの先どう進化して行くか?」ではなく、それと次元が異なる「人間は近い未来において何をしようとするか?」という課題だった。これは次の理由で適切なやり方であり、未来を語るのであれば確かにそうすべきだ。

自然界では、生物のDNA配列に偶然の突然変異が生じ、それが様々な要因で子孫に受け継がれ、繁殖の過程で集団内に広まっていくことにより、進化が起こる。しかしホモ・サピエンスは、医療技術の発達や少子化など、無意識の行動の中で、自然界本来の進化のメカニズムを変えてしまいつつある。そして今では、DNAそのものに手を加え、進化を直接操る手段を持とうとしているのだ。

従って我々の未来は、我々の行動にかかっている部分が極めて大きい。ホモ・サピエンスは、もはや時間とともに進化していくというふつうの生き物ではなく、意識的か無意識なのかは別として、その行動によって進化のあり方を変えてしまう存在なのである。

 

語られていない重要なテーマ

 ハラリの主張には耳を傾けるべきことが多いが、あえてその内容よりも、彼のアプローチについて考えてきた。このように、歴史を進化のタイムスケールで、グローバルに、文理問わず総合的に捉えていけば、さらに新しい発見があるだろうし、個々の事象を科学的客観性を持って分析すれば、その本質に迫れるだろう。ハラリ作品は、サピエンスについての結論などではなく、むしろ新しい歴史再分析のはじまりを告げるものと考えるべきではないだろうか。そう意識しつつ、ハラリの論考から漏れているが、重要と考えられるテーマを2~3あげておきたい。

ハラリの著作では、人間が生み出した帝国主義や民主主義など、様々な社会体制の価値に公正な疑いの目が向けられ、分析される。しかしそれらの体制についての再評価はなされず、この問題は放置される。そうしたのは、人間理解という彼の目的が、そこにはなかったからであろう。しかし私たちは、自分たちにとって結局どのような社会体制が望ましいのかを知りたいので、この続きは大事である。

また、ハラリはホモ・サピエンスの普遍的性向を探ろうとしたため、人間社会の多様性を軽視した感がある。例えば日本社会の伝統的価値観を知る立場から見れば、「人間はこの先、自らを神格化しようとするだろう」という彼の予測は、間違ってはいなくとも、人によって濃淡があるものなのではないかと思うだろう。人間とその文化がいかなる過程を経て、なぜ、どのように多様化したかは、現代社会において極めて重要なテーマであり、私自身も個人的に大きな関心を持っている課題である。

 最後に、ハラリはホモ・サピエンスが地球上で圧倒的な存在となった要因は、虚構を生む想像力にあったと断ずる。この能力は確かに1つの鍵であったろうが、それが唯一の鍵とは到底思えない。言語を介した複雑な情報伝達、発明・創造力、予見能力なども重要だったはずであり、ホモ・サピエンスの特性を単純化しすぎている。ホモ・サピエンスはとても複雑で奥深い存在であり、まだまだ探求の余地がある。

 

期待の三作目『21Lessons

 昨夏に河出書房新社よりハラリ批評を依頼され、一作目の『サピエンス全史』と二作目の『ホモ・デウス』の読後感をもとに、以上の文を書きあげたところで、三作目『21Lessons』の翻訳が私の手元に届いた。それを開いて、私は二作目で味わったのと同じ驚きを覚えた。本作も前作と同様に翻訳が素晴らしいのだが、ここで言っているのは、もちろん内容の話である。

 『サピエンス全史』は、とても完成度が高く極めて客観的なホモ・サピエンスの歴史記述だった。一方で、著者がそこから何を導き出したいのか不明瞭だったのだが、その答えは人間の本性を論じた『ホモ・デウス』で明らかにされ、私は「ああ、これを言いたいための前作だったのだ」と留飲を下げた。しかしその二作目でも、上述したことを含め、「現代についての言及が薄い」と感じていたのだが、本作の目次を見ると、それがあるではないか。

 何ともよく練られた、壮大な三部作である。まずホモ・サピエンスの大きな歴史を概観し、次にそこから人間の本性を考察し、最後に本作で、それらの土台をもとに現代を考える。本作の序文を読むと、著者がいかに事物をバランスよく捉えているかがわかる。まったく凄い人物だ。帯につけられた「新たなる知の巨人」という言葉が、とてもしっくりくる。

 まずはこの巨人の話を聞こう。サピエンスの本性をえぐったハラリ氏の世界観から見ると、現在の政治システム、社会、宗教、戦争、教育などはどのように理解されるのだろうか。今の世界には、単視眼的で局所的な歴史観・価値観が蔓延しているが、それらに惑わされたくない。この不安定な時代に必要とされるのは、著者のように長短の視点を織り交ぜた、歴史と社会に対する地道ながら深い洞察であろう。本作の最後には、著者がいかにして科学的歴史観を体得したのか、その経緯の一端も明かされる。

 

 

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『21 Lessons』特設サイト

『21 Lessons for the 21st Century』オフィシャルHP(英語版)

『21 Lessons』序文公開!|Web河出

【特別公開】訳者あとがき|Web河出

 

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