「私は台湾人です」というバッジが示す忌まわしさーーアジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか。「文藝」夏季号の緊急特集を無料公開。台湾生まれの日本作家、温又柔「ウイルスよりも憂鬱」

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「私は台湾人です」というバッジが示す忌まわしさーーアジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか。「文藝」夏季号の緊急特集を無料公開。台湾生まれの日本作家、温又柔「ウイルスよりも憂鬱」

4月7日に発売された「文藝」夏季号での緊急特集「アジアの作家たちは新型コロナ禍にどう向き合うのか」。発売前の公開が話題となった、閻連科さん厄災に向き合って――文学の無力、頼りなさとやるせなさに続き、中国の陸秋槎さん、韓国のイ・ランさん、台湾の呉明益さん、タイのウティット・ヘーマムーンさん、日本の温又柔さんの特別寄稿を連続無料公開します。

閻連科さんの手記を無料公開 河出書房新社がネットで(2020年3月30日 共同通信)
https://www.47news.jp/news/4665010.html
コロナ禍、文学に何ができるのか 閻連科、パオロ・ジョルダーノら海外作家の声(2020年4月15日 朝日新聞)
https://book.asahi.com/article/13302395

アジアの作家、新型コロナ禍で発信 未来志向の言葉 日本の読者に(2020年4月18日 日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO58177850X10C20A4MY5000/

ウイルスよりも憂鬱

温又柔

本テキストのウェブ公開にあたって、『空港時光』などの翻訳者である黄耀進氏が翻訳してくださった中国語版「憂鬱更甚於病毒」を併記します。私の憂鬱と、国境を跨って保たれるべきモラルへの信念は、日本語を理解しない台湾の読者とも分かち合えるものだと信じています。(作者より)


伴隨文本公開也併記由《機場時光》譯者黃耀進翻譯的中文版〈憂鬱更甚於病毒〉。我的憂鬱與跨越國境終須保持的道德信念,我相信,應該也能分享給不理解日語的臺灣讀者們。(作者上)

 

2020年3月某日

続けざまに、悪夢を見た。他の皆は国旗を振ってるのに、私にだけ旗が配られず輪の中から弾き出される夢。それから、国旗を無理やり押し付けられて拒んだら我々はおまえを敵とみなす、と顔のない人たちににじりよられる夢。どちらも寝覚めは最悪。

何の暗示かは明確だ。

不快な頭痛に耐えながらPCを立ちあげ、Twitterを開くと「日本人の性」という禍々しい言葉が話題にのぼっている。どうやら今朝のテレビで、品薄になるというデマに煽られるがままトイレットペーパーを買い占めた男性が「わかってるんだけど買っちゃう。それが日本人の性」と喋っていたらしく、その男性に対する批判の嵐が吹き荒れていた。

―ふざけんな。おまえみたいなやつと一緒にすんな。

―日本人の誰もがおまえのようだと思うなよ。

当然だろう。日本人だからといって、みんな同じではない。どちらかといえば恥ずべき行為だとわかっていながらもそうしてしまうのは「日本人の性」だから仕方ないと弁明する男性と一緒にはされたくないと怒る人たちの言葉遣いは、ほとんどが激情的だった。ふん、と思う。たとえばこれが、国際大会で金メダルを獲得したアスリートだったら、あるいは世界的に権威ある賞を受賞したアーティストだったら、と思う。要するに日本人初の快挙をなしとげた誰かについてのニュースだったら、この国の少なくない人たちはあっけなく「日本人はすごい」「日本人に生まれてよかった」「日本はやっぱりいい国だ」と言ったりもするのだ。

(この矛盾は何?)

国家と個人の結びつきは、強固なようでいて脆い。嫌な夢の余韻もあり、私は陰鬱な気持ちで確信する。自分はやっぱり国旗を熱狂的にふりまわす顔のない人々の群れが苦手なのだ。ある意味では、ウイルスよりも恐ろしくさえ感じる。

悪夢は、台湾で「私は台湾人です」というメッセージが日本語や英語、韓国語などさまざまな言語で書かれたバッジが売り出されたことを知ったときに始まった。発案者は、新型コロナウイルスの世界的な拡散を受けて、外国で欧米人に何度も避けられた辛さを経験したことがきっかけで制作したと語る。「台湾人に対してなら好印象を持つ人が多いので、あらかじめ台湾人と判別してもらえれば身を守れる」と。

中国・武漢で発症したとされるウイルスが世界的な猛威をふるう中、中国人にとってはもちろん、台湾人、日本人、アジア人全体が、特に欧米において、ただ東洋人であるというだけの理由で心無い差別の憂き目に遭っている。暗い気持ちで私は、台湾人が「己の身を守る」ために発案したというバッジに目を凝らす。

 

「I am Taiwanese」

「I am from Taiwan」

「저는대만사람입니다」

「私は台湾人です」

「大好き 台湾№1」

 

「大好き」とは。この日本語の宛先を想像したとたん、ふつふつと怒りが沸く。いてもたってもいられず私は、まずは日本人に宛てて、Facebookに以下の文章を投稿した。

 

「私は中国人ではありません。台湾人です。だから差別をしないでください」は、差別です。

「あなたは中国人ではなく、台湾人だから差別はしません」も、差別です。

私なら、中国人ではなく台湾人なら好き、と平気で言ってのける日本人になど一切好かれたいとは思いません。どうぞ嫌ってください。

こんなバッジを好んでつけたがる人たちやそれを歓迎する人たちを、私は軽蔑します。

 

その後、「中国人ではなく台湾人なら好き、と平気で言ってのける日本人に好かれたところであなたは嬉しいですか? そんな日本人と付き合いたいですか?」という一文を加えたものを友人に翻訳してもらって、台湾人に宛てて投稿した。

私は、「自分は台湾人だから差別しないで」と主張することは、言外に、台湾人でなければ差別していい、(同じ中国語を喋る)中国人なら差別してもいい、というニュアンスが否応なく読み取れると指摘することで、その意識はなくとも、べつの差別に加担してしまう危険がある、と主張したかった。自分もまぎれもない台湾人の一人として、「私は台湾人です」というバッジをつけることが内包する差別の可能性を見過ごせなかったのだ。

ところが日本語と中国語の文章を投稿して半日ほどすると、「台湾人は台湾人と言うことを差別呼ばわりしないで」「台湾は台湾です。そう主張することの何がいけないの」というコメントとともに私の文章をシェアする人たちがあらわれた。はじめこそ、見当違いだと流した。私には、台湾人が台湾人であるという事実を否定したつもりは微塵もなかったのだから。しかし私の〝バッジ批判〟を、台湾人のアイデンティティーを否定するものとして受け取る人は想像以上に続出した。私に〝反論〟する形で、台湾人がこのようなバッジを必要とするのは台湾を国として認めない中国の圧力を恐れて台湾人や台湾という国家の存在をまともに認識しない日本や日本人のせいでもある、と訴える人もいた。

―我々台湾人の複雑な気持ちを理解できないあなたに台湾を語る資格はない。

論点がずれてゆくばかりなので、顏のない無数の我々を私はいちいち相手にしなかった。しかしFacebookのメッセンジャー経由で「二度と台湾に帰ってくるな」「我々が台湾人であることを認めないおまえを絶対に許さない」「台湾人はおまえを受け入れないだろう」という中国語のメッセージが立て続けに届くとさすがに辟易した。以前、やはり匿名の人から「日本がそんなに嫌いならさっさと出てゆけ」という言葉を投げかけられたときのことを思い出さずにいられなかった。

不特定多数の愛国心に溢れた台湾人による誹謗中傷がまったく辛くなかったとは言わない。いや、それは正直言って、ひどく辛いことだ。でもそれ以上にわたしは、今、この瞬間も、自分が育った国で、おまえビョーキうつすなよ、と言われて傷つく中国出身や中国にルーツがある子どもがいるかもしれないと想像すると、いてもたってもいられなくなる。その子は、かつての私自身だったかもしれない。「私は台湾人です」というバッジが私にとって忌まわしいのは、クラスメートからバイキン扱いされたくないあまり、「わたしは中国人じゃない! わたしは台湾人なの! だからわたしをいじめないで!」と叫んでいる自分自身をまざまざと想像させるからなのだ。

(我々の複雑な気持ち? 複雑さを語るなら、個として語れ)

私は考える。ある国―中国であろうと台湾だろうと、あるいは日本やアメリカでもいい―の政府がとち狂っていようが、その国で生きている人たちやその国出身の人たちやその国と繋がりがある人たちをその政府と同一視して、おまえはナニナニ人だからこっちに近づくな、と忌避していいという状況など許してはならない。これは、それこそ国境を跨って保たれるべきモラルなのだ。

新型コロナウィルスによる感染拡大が一刻も早く終息を迎えるのを祈りながら、悪夢を断ち切るための正気を保つ日々が続く。

 

(初出=「文藝」2020年夏季号)

 

* * *

 

憂鬱更甚於病毒

温又柔

2020年3月某日。

接連地,作了兩個惡夢。其他眾人皆揮舞國旗,卻只有我一人沒分配到,因此遭到人們排斥的夢。之後則是我拒絕強迫塞給我的國旗,遭一群無臉人不斷逼近指責「今後我們將視你為敵」的夢。二則夢境讓我兩度驚醒,糟到不能再糟。

夢境暗示著什麼,相當明確。

忍耐著不適的頭疼硬是打開電腦,一開推特映入眼簾的是「日本人的天性」這種不祥字眼引發的話題。似乎今天早上的電視中有位男性受衛生紙缺貨謠言的驅使前往超市進行採購囤積,並對著鏡頭說「我知道是謠言,可還是買了。這就是日本人的天性。」結果這段發言引來有如狂風暴雨般的批評。

——胡扯!誰跟你一樣。

——不要說得好像每個日本人都跟你一樣!

這是理所當然的吧,就算是日本人,每個人也都不同。要追究起來,該男辯解的:明知是可恥的行為但終究還是做了,此乃是「日本人的天性」一句,引發不願被歸為與他同類的人們憤怒,而表達這股憤怒的言詞,幾乎都帶著激烈的情感。我心中帶著一絲疑惑,嗯?是這樣的嗎?假設,如果這是在國際性比賽中取得金牌的運動選手,或者是在具有世界權威的獎項中獲得大獎的藝術家,狀況又如何?簡要而言如果新聞中報導這是日本人首次獲得此等成就,這個國家中為數不少的人們大概會毫不猶豫地說,「日本人真了不起!」「生為日本人實在太好了!」「日本果然是很棒的國家!」

(這其中的矛盾是什麼?)

國家與個人之間的連結,看似堅固但又脆弱。一方面也是因為令人厭惡的夢境之故,我在陰鬱的情緒下更確定了這個想法。我果然跟狂熱揮舞國旗的無臉人群合不來。在某種意義上,感覺這比病毒更加可怕。

惡夢,開始於知悉在臺灣開賣以日、英、韓等語言印上「我是臺灣人」的徽章開始。發明者表示,因為新型冠狀病毒在全世界擴散,這種情況下在外國屢屢遭歐美人士排擠,此種不快的經驗成為創作徽章的契機。「因為對臺灣人抱持良好印象的人很多,若能迅速讓對方判別自己是臺灣人,可以保護自身的安全。」

當從中國武漢爆發的病毒在全世界肆虐時,中國人自然首當其衝,但包括臺灣人、日本人、亞洲全體人們待在特別是歐美環境中時,僅因身為亞洲人的理由就有可能遭受無情的歧視。心情黯淡的我,凝視著臺灣人「為了保護自身安全」而創造的徽章。

 

「I am Taiwanese」

「I am from Taiwan」

「저는 대만사람입니다」

「私は台湾人です。」

「大好き 台湾No. 1」

 

所謂的「大好き」是?一想像這句以日語使用者為對象的詞彙,澎湃的怒氣沸騰。坐立不安的我,先以日本讀者為對象,在Facebook上投稿了以下的文章。

 

「我不是中國人。我是臺灣人。所以請別歧視我」這句話,本身就是歧視。

對我而言,面對隨口說出「只要不是中國人而是臺灣人,我就喜歡」的日本人時,我完全不想被對方喜歡。這樣的日本人,請討厭我無妨。

對於偏愛這種徽章而別上的人,以及對這種徽章表示歡迎的人,我瞧不起他們。

 

之後,又加上一句「被說著只要不是中國人而是臺灣人,我就喜歡的日本人所喜歡,你會高興嗎?你會想與這樣的日本人交往嗎?」並請友人代為翻譯中文後,也向臺灣讀者發文。

我的看法是,主張「我是臺灣人所以請別歧視我」,言外之意,有「如果不是臺灣人歧視也無妨」,「歧視(同樣說中文的)中國人也無妨」,面對這樣的可能性卻不加思考照單全收一事,需要再加考量,即便沒有這樣的意識,但也可能在無意間加強了這樣的危險。這是我想主張的觀點。我自己明確身為臺灣人之一,無法忽視「我是臺灣人」徽章可能包攝的歧視可能性。

然而,當日語和中文的文章投稿後大約過了半天,出現了「不要把台灣人主張自己是臺灣人當作歧視」,「臺灣是臺灣。這麼主張為什麼不行?」等,回應加上轉貼的狀況。一開始,我只當作對方誤解我的意思,並未多做思考,因為在我而言,我一點也沒打算否認臺灣人就是臺灣人這個事實。但是針對我的「徽章批評」,不斷出現了許多將其理解成這是在否定臺灣人認同的看法,數量遠超過我的想像。採取「反駁」我的形式,甚至還有人訴求說,臺灣人會需要這樣的徽章,一部份責任是在畏懼中國壓力而不敢承認臺灣人與臺灣是個國家的日本及日本人身上。

——不能理解我們臺灣人複雜心情的你,沒資格討論臺灣。

論點已經偏離我的主張,這些看不到臉龐的無數「我族」,我並沒有逐一進行反駁。但,透過Facebook Messenger不斷傳來以中文書寫,例如「再也別回臺灣!」「不承認我們是臺灣人,絕不原諒你」「臺灣人不可能接受你這種傢伙」的訊息,最終搞得我束手無策。這讓我不由得想起過往,在日本也有匿名者丟給我過「這麼討厭日本的話趕緊滾吧」的訊息。

遭到不特定多數充滿愛國心的臺灣人誹謗中傷,我無法說自己一點都不難過。不,老實說,我感到非常痛苦。但即便如此,當下,就在這個書寫的瞬間,我只要一想像到自己成長的國家中存在著只因自己的出身是中國或與中國相關,就被指責「喂,你可別傳染給我!」的孩子們,仍舊坐立難安。因為這樣的孩子,很可能就是過往的我自己。我會對「我是臺灣人」徽章感到顧忌,因為這讓我禁不住聯想到,因為極度不願被同學當作害蟲,無奈之下吼出「我不是中國人!我是臺灣人啊!所以,不要霸凌我!」的自己。

(我們複雜的心情?想要討論複雜心情,請以個人為單位。)

我思考著。即便某個國家——無論是中國、臺灣也好,或者日本、美國也好——的政府突然做出瘋狂的舉措,也不該容許將生活於該國的人們、出身自該國的人們,以及與該國相關的人們全都等同於該政府。這是跨國境下必須保持的道德。

祈禱新型冠狀病毒帶來的感染擴大能夠早日迎來結束的一天,努力阻絕惡夢盡力保持理性的每一天,仍舊持續。

 

翻译・黃燿進

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著者

温又柔

(おん・ゆうじゅう)

1980年、台北市生まれ。三歳より東京へ移り、台湾語まじりの中国語を話す両親のもとで育つ。著書に『空港時光』など。

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