単行本 - 芸術

「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開

 大富豪のスーパーコレクター、資本主義と距離を保つキュレーター、新秩序に挑むアーティスト……日本からはなかなか見えてこない、グローバル社会における現代アートの世界基準を描いて話題となった著書『現代アートとは何か』。その著者である小崎哲哉さんが、アメリカ大統領選で話題のドナルド・トランプと現代アートとのあいだにあった、とあるスキャンダルに関するエッセイを寄稿してくれました。

 なお、本エッセイのほか、昨年から問題を引きずり続けている「あいちトリエンナーレ」問題、そしてウィルスと現代アートとの関係など、政治・経済・社会と現代アート業界とのあいだに起こっているさまざまな問題をえぐり出し、2020年代の“政治とアート”の動向を鮮やかに予言する小崎哲哉さんの新刊『灰色の時代の現代アート(仮)』が2020年12月、弊社より刊行予定です。(編集部)

 

灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開!

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「トランプのアメリカ」の文化戦争
小崎哲哉

 

1 黄金の便器スキャンダル

 2018年1月25日、『ワシントン・ポスト』紙がある事件をスクープした。記事の見出しが端的に内容を示している。曰く「ホワイトハウス、ファン・ゴッホ作品の借用を要請。グッゲンハイムは代わりに黄金の便器を提案」(ポール・シュワーツマン「The White House asked to borrow a van Gogh. The Guggenheim offered a gold toilet instead.」)。

 「黄金の便器」は、人気アーティスト、マウリツィオ・カテランが制作した作品で、正式タイトルは「アメリカ」。メッキではなくすべて18金の、しかし完璧に機能するれっきとした便器である。2016年9月から翌年9月まで、ニューヨークはソロモン・R・グッゲンハイム美術館の5階化粧室に設置された。カテランに制作を依頼した同美術館の芸術監督兼チーフキュレーター、ナンシー・スペクターによれば、1年の間に10万人以上が使用し、制作費は「数百万ドルに相当する」という(ナンシー・スペクター「Maurizio Cattelan’s Golden Toilet in the Time of Trump」。グッゲンハイム美術館ウェブサイト )。

マウリツィオ・カテラン「アメリカ」
(photo by stu_spivack – Own work. Licensed under CC BY-SA 2.0 via Commons -)

 

●「とんでもない非礼」

 『ワシントン・ポスト』の記事は瞬時にして世界を駆けめぐった。黄金の便器はアートファン以外にも知られるようになり、カテランとスペクターは一躍「時の人」となった。共和党寄りの右派メディア『FOXニュース』は「グッゲンハイム美術館、ホワイトハウスに黄金の便器を提案し、トランプ・ファミリーを侮辱」という記事を掲載し、スペクターを名指しで批判(アレックス・パッパス「Guggenheim Museum insults Trump family with offer of golden toilet for White House」。2018年1月25日付)。系列局『FOXビジネス』のキャスター、スチュアート・ヴァーニーは翌日、この事件は「エリートたちがいまの大統領を見下していることを雄弁に物語る」事例であり、「とんでもない非礼」だとしてスペクターの辞任を求めた。

 右派メディアの反発はもっともで、2017年1月に大統領に就任したドナルド・トランプは金ピカ趣味で知られている。同時に極度の潔癖症ともいわれていて、「10万人が使用した便器をどうぞ」という逆提案には、本人も取り巻きも神経を逆撫でされる思いだったろう。『ウィキペディア』のグッゲンハイム美術館の項目は悪意に満ちた捏造記事に上書きされ、同館のフェイスブックには最低点1つ星のレビューが3日間で3万件以上、公式ツイッターには下痢まみれの便器の画像が大量に投稿された。

 その一方、フェイスブックには同じ期間に5つ星のレビューが1万2千件ほど寄せられた。スペクターの作戦は巧妙であり、ホワイトハウスが提案を呑んで「アメリカ」を借用すれば、反トランプ派は「やっぱり金ピカ趣味なんだね」と大統領をあざ笑うことができる。断れば「芸術の価値がわからない奴」と馬鹿にすることができる。どちらにせよトランプを見下せることは確実で、そもそも「便器」を提案するだけでも愉快ではないか。そう思った反トランプ派が、美術館の快挙を支持するために投稿したのだ。

 3か月後にグッゲンハイムで開催されたシンポジウムでは、司会を務めた公共ラジオ局WNYCのトークショーホスト、ブライアン・レーラーが、スペクターに紹介されたあとにジョークを飛ばした。曰く「トランプは、黄金の便器よりも黄金のシャワーのほうが好きなんだろう」。いうまでもなく、「スティール文書」こと元英国情報部員のクリストファー・スティールが作成したメモに記された大統領の行動を揶揄したものだ。

 「スティール文書」は、「黄金の便器」事件を『ワシントン・ポスト』がスクープした直前に、米国上院公聴会で民主党議員が明らかにした文書。それによれば、2013年にトランプがモスクワを訪れた際に、以前にバラク・オバマ大統領夫妻が泊まったリッツ・カールトンの最高級スイートを予約し、売春婦を数人呼んで、夫妻が寝たベッドに黄金のシャワー、すなわち放尿をさせたというのである。ホテルはロシア連邦保安庁の管理下にあり、一部始終は隠しカメラや隠しマイクによって記録されたという。

 その後、米国司法省監察総監室は「文書の信憑性は低い」という結論を下した。だが2019年1月に、「放尿の模様の録画」がネット上にポストされた。トランプによく似た男性がベッド上の裸の女性を見ている暗い映像だが、その真偽は不明である。

 「アメリカ」はその後、評価が高まり、2019年にはカテランの個展に際して英国オックスフォード近郊のブレナム宮殿に設置された。だが展示中に「盗難」され、またもや話題となった。バンクシー的な狂言説も出たが、カテランは『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材に対して「ロビン・フット的ないたずらだろう」とコメントしている。

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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