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今野真二『日本語の教養100』(河出新書)刊行記念 往復書簡 「知識の沼――ことばで巨人の肩にのる」第6回 今野真二→山本貴光
今野真二
2021.08.02
10年以上にわたって多彩な視点から日本語をめぐる著作を発表しつづけてきた今野真二さん。その日本語学のエッセンスを凝縮した一冊とも言える『日本語の教養100』が刊行されました。これを機に、今野日本語学の「年季の入った読者」と自任する山本貴光さんとの往復書簡が実現。日本語についてのみならず、世界をとらえるための知識とことば全般に話題が広がりそうな、ディープかつスリリングな対話をご堪能ください。
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山本貴光さま
第4回で、1935年に出版された、『広辞苑』の「前身」といえそうな『辞苑』から、1955年に出版された『広辞苑』の初版、2018年に出版された第7版までの語釈を並べてみました。1935年から2018年までは83年間あるので、その間に、日本語も変化していることが確実です。辞書の語釈の「歴史」から日本語の歴史を窺うというやりかたは、拙書『『広辞苑』をよむ』(岩波新書、2019)の第2章で試み、ある程度のてごたえを感じたやりかたでした。「ある程度」と表現したことには理由があります。
『広辞苑』のように見出しが多い辞書では、見出しによって語釈をつくる人が当然異なっています。ですから、すべての見出しの語釈が同じ「脳内辞書」に基づいて記述されているとは限らないということがあります。もう一つ考えなければいけないことがあるのですが、それは後で述べます。
さて、辞書全体を統一的にするために、それぞれの語釈を繰り返し「調整」することと思います。「調整」してできあがった『広辞苑』は、「広辞苑編集部」という「編集者」によって統一的に編まれた辞書ということになります。この「統一的に」ということは辞書にとっては重要で、それは言い換えれば、「バランスのとれた閉じたテキスト」としてできあがったということではないかと思います。そして、そうやって編集された辞書は、これまで蓄積されてきた「書物」の中に位置をしめることになります。
よく「紙媒体の辞書」と「電子辞書」とはどう違うかとか、どちらがいいか、ということが話題になります。現在はインターネット上に辞書があり、そうした辞書の中には、(おおげさにいえば)日々「かたち」を変えているものもありそうです。「かたち」を変えるにあたっての「ルール」はあると思うので、まったく統一的でない、ということはないでしょうが、「閉じたテキスト」でないことはたしかです。閉じていないテキストがもっている「情報」のバランスを測定することは当然できません。ある時点で、どうなっているかを測定するしかないわけです。日々「かたち」を変えていくので、「版」という概念も成り立たなくなります。
今野の勤務している大学は JapanKnowledge と契約をしていて、大学図書館のホームページを通じて『日本国語大辞典』のオンライン版を使うことができます。最近、『大漢和辞典』もオンラインで使えるようになったので、非常に便利になりました。ただし、両者の「電子化」は違うタイプの電子化なので、どのような検索が可能かということには違いがあります。これもおもしろいことなのですが、今回はそこには言及しないことにします。
今野は『日本国語大辞典』も『大漢和辞典』も紙媒体のものを所持しているので、それを使えばいいわけですが、オンライン版の『日本国語大辞典』には検索機能があります。この検索機能をうまく使うことによって、『日本国語大辞典』が蓄積している「情報」をおおげさにいえば隅々まで引き出すことができます。こうなってくると、オンライン版の『日本国語大辞典』と紙媒体の『日本国語大辞典』は「別物」です。ここまでの話だと、オンライン版が便利そうにみえますが、そこで「ランダムアクセス」と「シーケンシャルアクセス」がかかわってきます。
JapanKnowledge にはいろいろなコンテンツがあります。『日本国語大辞典』や『大漢和辞典』はそうしたコンテンツの一つです。昨年度の大学の授業を「遠隔授業」(非対面)で行なうにあたってオンライン版の『日本国語大辞典』は「大活躍」しました。
今野は学生にいろいろな課題を出したのですが、その中に、『日本国語大辞典』の、ある連続した2ページの見出しについての課題がありました。課題を出してしばらくすると学生から質問がきました。課題では、ページ数を示した上で、例えば、「ひとしい」から「ひとすくみ」までの見出しを観察してください、というように指示をしました。オンライン版で「ひとしい」という見出しをみることはできるし、「ひとすくみ」をみることもできる。しかしその間にどのような見出しがあるかがきちんと確認できない、という質問でした。これは「想定外」でした。すぐに JapanKnowledge の方にたしかめてみたのですが、どうも完全に見出しの並び順を確認することはできないようだということでした。「ようだ」は曖昧なようですが、現在のオンライン版の機能を、それこそすみからすみまで使っても確認できないかどうかは、すぐにはわからないことなのだと思います。
さて、検索機能を使って「ひとしい」という項目にアクセスするためには、文字列検索をします。これは「ランダムアクセス」(でいいですよね?山本さん)、辞書の項目を続けてずっとよんでいく、これは「シーケンシャルアクセス」ですね。つまり、オンライン版は「ランダムアクセス」はできるけれども「シーケンシャルアクセス」はやりにくいということだったのです。
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ここで先に述べた「もう一つ」に戻ります。
それは、時間軸に沿ってキャッチした「情報」はその時間軸に沿った順番に経時的変化した、と感じやすいということです。2019年に観察した時には「A」だった。2020年に観察した時は「B」だった。2021年に観察した時は「C」だった。ということは最初はAだったものがBになり、最後にCになったと「解釈」しやすいということです。
アガサ・クリスティに『ABC殺人事件』という作品があります。それはまた、少し違うことなのですが、通じていることもあります。ほんとうはつながりがない(かもしれない)対象であっても、そこにつながりを「みてしまう・感じてしまう」ということです。これは人間の認知にそういう傾向があるということかもしれないなと思ったりもします。
さて、2019年の時点で、すでに「A」「B」「C」は要素としてはすでに揃っていて、たまたま2019年には「A」がキャッチされた、2020年にはそれが「B」で、2021年にはそれが「C」だっただけだ、ということになると、A→B→Cと経時的に変化したのではないことになります。これは観察者が観察している時間の幅が、観察・考察している対象に対して、どういう関係にあるかということです。漢字で文字化されている『万葉集』には、漢字の使い方に幾つかのバリエーションがありますが、それに順番があるかどうか、というようなことは長い間研究シーンで議論されてきました。
例えば、〈ねんごろ〉という語義をもつ「ネモコロ」という語があります。この語を漢字で文字化する場合、「懇」のように、〈ねんごろ〉という意味をもつ漢字、または〈ねんごろ〉という意味をもつ漢語「慇懃」によって文字化するやりかたがあります。これは漢字の意味にそって文字化するやりかた(漢字の表意的使用)です。その一方で、「根母己呂」「根毛居侶」のように、漢字の意味は捨て、漢字の音を使って文字化するやりかた(漢字の表音的使用)があります。
和語「ネモコロ」を漢字で「慇懃」と文字化すると、例えば「これは漢語インギンを文字化したのかな」と思ったりして、うまく和語「ネモコロ」を文字化したものだということがわからないかもしれません。それに対して、「根母己呂」「根毛居侶」はぱっとみた時にはわかりにくくても、「そうか漢字の音で読めばいいのだ」ということがわかれば、「ネモコロ」と確実に結びつけることができます。
現代人の感覚では、語形が確実にわかる「漢字の表音的使用」が「わかりやすい」わけです。この「わかりやすい」を「合理的」というような表現にスライドさせると、「合理的ではない文字化」から「合理的な文字化」という「方向」がみえてきてしまいます。そうなると、「漢字の表意的使用」が古いやりかたで、そこから「漢字の表音的使用」へと移行したのではないかと考えやすい、ということです。
そういうかたちでいろいろな場面で遭遇するのが(仮称)「ABC殺人事件問題」です。だいぶ脱線してしまったかもしれません。
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さて、山本さんは『亀井孝論文集』をお求めになったとのことですが、今野は山本さんが和算についてお書きになっていることを知って『現代思想』第49巻第8号(青土社、2021.7)を購入しました。「算術者のつくり方」というタイトルで山本さんがお書きになっている文章はほんとうにおもしろく、「なるほどこういう考え方をされるのだ」と思うことばかりでした。
たとえば(パンを焼く)「トースターという独立した道具は、単体でそれだけを見ているとなかなか気づきづらいが、地球上のさまざまな場所に由来する各種の原料や、人類史のいくつかの時点で発見・発明されたいくつもの知識が組み合わされて成り立っているものなのだ」というくだりでは、「トータル(全体)」でとらえることも大事だけど、「パーツ(部分)」としてとらえることも大事なんだ、ということを改めて思ったりします。
この文章では『廣益諸家人名録』という江戸時代に出版された本のことが紹介されていました。ちょうど、「国学者」をどう定義すればいいだろうと考えていたところだったので、購入してみることにしました。それが前回の「先日、用事があって」とつながるのですね。
購入した本は2冊セットで1冊は表紙見返しに「天保丙申秋校正」とありました。「天保丙申」は天保7(1836)年にあたります。もう1冊の表紙見返しには「天保壬寅夏校正」とあり、この「天保壬寅」は天保13(1842)年にあたります。こちらの凡例は「[當時/現在]廣益諸家人名録二編凡例」となっているので、天保7年に出版されたものは「初編」ということになるのでしょうか。[ ]内はいわゆる「角書(つのが)き」で、/は改行をあらわしています。この角書きを見た時に今野は「なるほど」と思いました。
「初編」の凡例には「旧板、諸家人名録初編ハ、文化十一年甲戌七月ヲ以テ成ル。翌十二年乙亥九月ヲ以テ発兌ス。其ヨリシテ三年ノ星霜ヲ経テ、文政元年戊寅八月、二編モ成テ、其十二月ヲ以テ發兌ス。幸(さいわい)ニ、二書共ニ世ニ行(おこなわ)ルコト殆(ほとんど)二十年、故(ゆえ)ニ載ル所ノ諸家名字ヲ改メ標号ヲ革(あらたむ)ル有。又居(きょ)ヲ移シ称(しょう)ヲ更(かう)ル有。亦千古(せんこ)ノ人ト成テ道山(どうざん)ニ帰(き)スル有リ」とあります(引用にあたって、漢字字体は常用漢字表の字体に換え、適宜句読点、振仮名を補いました)。
これによれば、「諸家人名録」初編が文化12(1815)年に出版されており、そこから3年後の文政元(1818)年に二編が出版されていることになります。で、そこから20年ぐらい経って、名前が変わったり、死去したりした人がいるから新しく編集をしようとした、ということです。この後に、そう思っていたら、火災があって、そのために人が移動してしまったというようなことが記されているのですが、それはそれとしましょう。
話を戻すと、「当時/現在」という角書きは、「当時」すなわち、かつての情報も入れてます、「現在」の情報ももちろん入ってますということで、もしも探していた相手が見つからなくてもしかたがないですね、といういいわけかもしれません。このような「情報」の新旧という観点は現在においては一段と重要になってきていると思います。
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さて、「二編凡例」には「初集ニ記載」したのは「儒家文章詩藻書家画家国学和歌故実有職医学譜牒仏学蘭学本草物産雑家鑑定篆刻聞人等ノ二十一門ナリ」とあり、二編ではそれに「文雅俳学相学五行地理風水射術兵学等ノ八門」を加えたとあります。区切り方が難しいのですが、「儒家」「文章」「詩藻」「書家」「画家」「国学」「和歌」「故実有職(こじつゆうそく)」「医学」「譜牒」「仏学」「蘭学」「本草」「物産」「雑家」「鑑定」「篆刻」「聞人」「文雅」「俳学」「相学」「五行」「地理風水」「射術」「兵学」とみておくことにします。実際に二編をみていくと、「儒古学」「儒折衷学」「儒道学」「和仏学」など二つのカテゴリーが合わさったような肩書きもありますし、「狂歌」という、あげられていないカテゴリーもみられるので、あまり厳密に考える必要はないのかもしれません。
これらの中には現在ではわかりにくいものもあります。
例えば「譜牒(ふちょう)」は〈家や氏の系譜を記した文書や記録・系図〉のことなので、そういうものを作る人でしょうか。 「聞人」は『日本国語大辞典』で調べると「ききにん」「ききびと」「ぶんじん」の三つの見出しがあって、〈証人としてのききて〉という語義をもつ「ききびと」ではないとしても、「ききにん」=〈相談役〉なのか、「ぶんじん」=〈著名人〉であるのかもすぐには判断しにくく、こうなってくると、実際にどういう人物がその肩書きで紹介されているかということをみていくしかありません。こうした「肩書き」はいわば「カテゴリー」で、江戸時代に「あの人は××だよ」という時の「××」に入るものになります。
『日本国語大辞典』は見出し「ぶんが(文雅)」を「詩文を作り歌を詠むなどの、文学上の風流な道。また、文学に巧みで風流なこと」と説明していますが、「肩書き」としての説明はありません。「文雅」は「風流人」みたいなカテゴリーなのでしょうか。「地理風水」という「肩書き」、カテゴリーもおもしろいですね。
山本さんは「算術者のつくり方」で、「これらの人物も、ぜひ登場させよう」とお書きになっています。山本さんが作ったゲームでは算術者の隣に、蘭学者や「譜牒」が住んでいたりするのかもしれません。蘭学者は、今日は小塚原で「腑分け」があるからでかけないと、と言って慌ただしくしていて、その隣の家では算術者が何か考えていて、その隣の家では「譜牒」がいろいろな系図を整理しているといった感じでしょうか。ちょっと楽しい感じですね。
上の画像は二編の4丁裏(右側)と5丁表(左側)です。5丁表の最初と最後の「肩書き」は「雑學」です。先に引用した「二編凡例」にはたしかに「雑家」とあるのですが、ここでは「雑學」となっていて一致しません。しかしまた、こういうことはよくあるので、気にしないことにしましょう。
5丁表の5行目には「聞人」という「肩書き」で、「豊芥」とあります。名が「豊芥子」で号は「集古堂」、豊島町一丁目に住んでいる「石塚重兵衛」さんです。この人物は、石塚豊芥子(いしづかほうかいし:1799-1861)です。江戸神田の粉屋にうまれ、家業のかたわら、戦記、地誌や芝居、風俗にかかわる書物を収集していたとのことです。山東京伝や柳亭種彦らとも交流があったことがわかっています。引き札(広告)を作ることでも知られていました。こういう人物が「聞人」とされています。わかったようなわからないような。
「雜学」という「肩書き」の「礒部源兵衛」さんはどうでしょうか。こちらは戯作者で狂歌師でもあった三亭春馬(さんていしゅんば:?-1852)です。こうやって調べていくと、いろいろなことがわかってきます。
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論文を一つ読むと、その論文が引用している論文があるから、それを探して読む。その論文が引用している論文をまた読むということを繰り返しているうちに、引用されている論文はもう全部読んでいるという時がきます。そうすると、そのテーマに関して必要な論文はだいたい読んだということになるという話があります。現代では、論文を調べる「検索エンジン」を使って、もっと丁寧に調べる必要がありますが、それでも一つの論文からたどっていくやりかたも有効だと思います。
これは論文でなくても、同じことです。山本さんのお書きになったものを読む。そこには知らないことがたくさん書かれています。これはどういう本なんだろうと思ってその本を買って読んでみる。というように「情報」の連鎖(チェーン)をたどる感じでしょうか。
ただし、山本さんが一つの文章をお書きになるにあたって、参照されている文献は、あげられているものだけでも相当な数があり、それをすべて「トレース」することはとうていできません。きっとおあげになっていないものが何倍もあると思いますが、それはそれとしましょう。「トレース」は今野の中では、一つの概念となっているのですが、それについてはまた折をみてのことにしましょう。
さて、一つのものからたどっていくやりかたを「芋づる式」と呼ぶことがあります。サツマイモのことだろうと思いますが、イモがつながってでてくるわけですね。これは「シーケンシャルアクセス」です。「検索エンジン」を使って論文を探すためには、著者名とか、キーワードとかを使って検索をするので、こちらは「ランダムアクセス」でしょう。こう書くと、「ランダムアクセス」は新しい技術で、「シーケンシャルアクセス」が古いように感じてしまうかもしれませんが、そもそも「古いからだめ」という「みかた」は紋切り型な「みかた」です。「古いからだめ」「新しいからいい」はいついかなる時でも成り立たないことはすぐにわかるはずです。
山本さんは、「いろは歌」が「シーケンシャルファイル」だとお書きになっています。
明治24年に『言海』という国語辞書が出版された時に、福澤諭吉が「寄席の下足札が五十音でいけますか」と言ったという話が『東京日日新聞』の「学界の偉人」と題された談話筆記(明治42年10月7日から15日に到る7回)の第6回に記されています。ほんとうに福澤諭吉がそう言ったかどうかはともかくとして、このことからすれば、明治24年時点で、50音順は一般的ではなかったことになります。
今野は明治期以前の辞書を使うこともありますが、やっぱり頭の中で「わかよたれそつねならむ」などとつぶやいています。『言海』よりもはやく、明治21年に出版された、高橋五郎『[漢英/対照]いろは辞典』はその名のとおり、「いろは」順に見出しを並べていますが、見開きになっている2ページ分の下部余白に「いろは」を印刷しています。このことは、今度は、明治21年時点であっても、みんな「いろは」がすらすらわかったわけではなさそうだという推測につながります。
今野は室町時代につくられた(というよりは書写された)、『節用集』という辞書を使うことがあります。この辞書は上下2巻にしたてられていることがあるのですが、その場合下巻は「や」から始まることが多いのです。そんなことから、「や」はまんなかあたりだなということだけはわかるようになりました。
さて、ここで「いろは」の話が終わるかといえば、終わらないのです。
『[漢英/対照]いろは辞典』の下部余白に印刷されている「いろは」は「(いゐ)ろはにほへとちりぬる(をお)わかよたれそつねならむう★のくやまけふこ★てあさきゆめみし(江ゑ)ひもせすん」なのです。「(いゐ)」「(をお)」「(江ゑ)」は「い」と「ゐ」、「を」と「お」、「江」と「ゑ」とを(明治期にはすでに発音が同じになっていたから)いっしょにしているということで、「ゐ」「お」は「い」「を」にいわば吸収されているから、後(★の位置)にはない、ということです。
「江」は漢字「江」を字源とする平仮名ですが、ほんとうはヤ行のエに使われていました。ですから、なぜこれがここにあるのか? という疑問が生じます。ほんとうは「けふこ(えゑ)て」とあるのがよいように思います。山本さんが「いろは」のことにふれているのを拝読しながら、今野の頭には、こんなことがすぐに思い浮かんだのでした。山本さんのカードに今野のカードが反応した瞬間かもしれません。
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第5回を拝読していて、もう一つ「反応」しました。それは山本さんが『色葉字類抄』の写本を早稲田大学古典籍総合データベースで御覧になったというくだりです。
今野は山本さんが御覧になった『色葉字類抄』を実際に手にとったことがあります。そのこと自体は「あり得る話」ですが、この早稲田大学に蔵されている『色葉字類抄』の写本は、「花山院本」と呼ばれることがあるもので、上巻は2巻本『色葉字類抄』の写本ですが、中・下巻は10巻本『伊呂波字類抄』の写本で、いわゆる「取り合わせ本」なのです。
2巻本・3巻本の『色葉字類抄』は12世紀半ば頃には成立していたと考えられており、10巻本の『伊呂波字類抄』は鎌倉初期頃までには成立したと考えられていますが、成立についてはわかっていないことも少なくありません。巻数から想像できると思いますが、2巻本・3巻本の『色葉字類抄』と10巻本の『伊呂波字類抄』は「内容」には違いがあります。その違いを「色葉」「伊呂波」で区別しているわけです。
早稲田大学の「花山院本」は一番外側には上中下いずれも「伊呂波字類抄」と書かれていて、上巻は本文の冒頭に「色葉字類抄」とあり、中巻はその位置には何も書かれておらず、下巻は「伊呂波字類抄」と書かれています。「花山院本」は奥書に「花山院黄門常雅卿」の名前が記されているところからそのように呼ばれています。「花山院本」と呼ばれているテキストは、2巻本『色葉字類抄』と10巻本『伊呂波字類抄』のハイブリット版といってもいいでしょう。
そんなこともあって、今野が早稲田大学に通っていた頃に、伯父山田忠雄に「よく見ておくように」と言われた本です。当時は大学院生はこうした本を借りることができたので、借りてゆっくりと観察した記憶があります。今野は『色葉字類抄』を直接的な観察・分析対象にしているわけではないので、ふだん使っているのは2巻本、3巻本で、今回山本さんの文章を読んで、「ああ早稲田の本は花山院本だった」と思い出したのです。「だからどうした」ということになりそうですが、こうやってお互いにカードを出していくとそれに触発されて自分の使わなくなっていたカードに気づくということも「対談」や「往復書簡」のおもしろさだと思います。
山本さんは「算術者のつくり方」の中で、「「メンター・チェーン」、師弟の連鎖」ということにふれていらっしゃいます。実は、山本さんとメールをしたり、ゲンロンカフェで対談をしたり、こうして「往復書簡」をかわしていて、思うことがあります。
また遠くからの話になりますが、有間しのぶ『その女ジルバ』(小学館)というコミックがあります。第23回手塚治虫文化賞を受賞したことが『朝日新聞』(2019年6月9日)に報じられていて、興味をもち、1巻と2巻とを購入しました。しかし、なかなか読むことができずにいたところ、今度は2021年1月9日からテレビで放送されました。草笛光子や中尾ミエなどが出ていておもしろそうだったので、このテレビドラマを録画したりしながら、毎週見ていました。
主人公「笛吹新」は池脇千鶴、その友人の「浜田スミレ」を江口のりこ、「村木みか」を真飛聖が演じているのですが、この三人が仲良くなります。それまであまり友達がいなくて淋しい生活をしていた「浜田スミレ」が「恥ずかしいこと言っていい?」と言ってから「私この年になってこんなに仲のいい友達ができるとは思ってなかった」というようなことを言います。
それを思い出すのです。「この年になって、こういう楽しい仕事が一緒にできる方とめぐりあうとは!」という気持ちです。ねがわくは、山本さんがある程度にしても似たような気持ちでいていただければと思ったりもしています。山本さんは今野の本をたくさん読んでくださっており、今野は今急ピッチで山本さんの本を読んでいる最中です。山本さんと今野とは「師弟」関係ではないのですが、こういう関係も広義の「メンター・チェーン」と言ってもいいのではないかと思ったりもします。
とても長くなりました。まだまだ書きたいことがありますが、今回はここで終わることにします。
202108.02
今野真二