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【劇場アニメ犬王公開直前対談】消えた存在をどう描くか ―「犬王」が蘇らせる表現の初期衝動★湯浅政明×古川日出男 - 3ページ目

 どう見えるかを表現する

古川 僕は舞台芸術に関わったこともあるし、いまも関わったりして見ているから、犬王の舞台のシーンを観て一番思うのは「でもこれ、電力使ってるよね」みたいなことなんですよ(笑)。でも、それをずっと見ていると痛快なんですよね。最初は「いったい何を見ているんだろうな?」と思ったんだけど、最終的には「とんでもないものを見せていただいた」という感じになっていく。一見、犬王はすごい動きをしたり、照明をピカピカさせたり歌ったりしているうちに、醜さが消えて、美しさを少しずつ取り戻しているようなんだけど、実は醜さを消費しながら、それをもって速度とか歌唱のパワーとか舞台効果を現出させている。E=mc²という式がありますが、犬王は醜さというものをエネルギーに転換していて、いわば「醜×0=美」という一個のありえない式に集約されていくことをこの映画はやっているんだ、だから最後に説得されるんだなと思ったんです。醜さというのは自分も持っているし、欠点と言いかえれば誰でも持っているもので、それをすべてエネルギーに転換できるという話なのなら、この作品の持っている希望はやっぱり計り難いものだなと思ったんですよね。

湯浅 なるほど。たぶん原作にそういう骨格があったから、そうなったんだと思いますけどね。

古川 まあ、式はなかったですけどね(笑)。

湯浅 演出効果については、水の下に板があるとか、後に龕灯がんどうって明かりがあるんですとか、ちょっと言い訳も作りつつ。ただ結局、能というのは幻想的なものなので、実際にやっていることというよりは「そう見えている」という感覚で演出しているんですよね。

古川 オーディエンスのほうが頭の中でそういうふうに再生しているということですね。

湯浅 まあいろいろスタッフからも質問がありましたけどね。「この時代に蛍光塗料はあるのか」とか。もちろんあったという記述はないんですけど、そういう発光色を持った虫はいたんだから、もしかするとそれを抽出できた人がいたかもしれない。そんなふうに解釈して作っていきました。それが説得力に繫がって、ひとつの式になっていくなら面白いと思います。

古川 うん。あそこまでやってくれたのがすごいなと思います。やっぱり勇気というより蛮勇じゃないですか。当時の人が見ていた風景に生命を与えるという意味でアニメートしているんだなと思いますし、そういう意味で真実のアニメーションなんだなと思います。

湯浅 アニメーションってけっこう絵が大事だと近年さらに思うようになって。絵柄によって説得力が増すところがあるので、見る人が体感するリアルさみたいなものを見越してシンプルな作りにすることもあって。だから、見ている人の頭の中で起こっていることを描くというのは、アニメーションという媒体がもともと持っている飛躍できる力と近いことなのかもしれない。

古川 でも、飛躍しているのは演奏しているところや舞台が上演されているところだけで、それ以外の部分はあの時代の生々しさを再現する絵になっていますよね。たとえば橋の上にいる人たちが扇で顔を隠しながら、その扇子の骨のあいだから惨劇を覗き見ているしぐさとか、よくこういう細かいことをやっているなと驚きました。いまの人とは違うジェスチャーを通して、そういう時代が確実に六〇〇年前にあったことがわかる。絵の細部がすごいんですよね。

湯浅 そうなっているといいですね。たとえば犬王のお父さんは人をたくさん殺したりするのは悪いことなんですけど、あれだけ芸にのめり込んでいくのは、あの時代そうしないと生きていけなかったからなんですよね。犬王も座があったのでやれましたけど、あそこまで大きくするのにそれなりの大変さがあったし、やっぱり殿様に認められないと厳しいだろうし、世阿弥もすごく苦労して成り上がっていった。みんなに見てもらうアニメーションとして成立させながらも、その時代の空気や裏の事情を垣間見られるといいなと思っていました。

古川 生きるために芸をやらなくちゃいけなかったというのは本当にそうで、世阿弥もその後、他の座の役者たちが能の舞台で有名になってくるから、なんとか生き残らせようと「こうすると他の座に勝てるよ」というハウツーとして能楽論を書いていて。そうしたら結果的には「書いてあるから偉い」とか「書いてあるから能楽は日本のクラシック」みたいになっているけど、別に絶対権威になろうとは全然していないんですよね。そこが世阿弥って好きだなって思ったところなんですよ。

湯浅 残るかどうか、というのはたぶん当時の人たちってあんまり考えてないですよね。最近知ったんですけど、山中貞雄のフィルムが残っていないのも、ただフィルムを再利用するために消していたからだと聞きました。だから映画も何十年も残すという意識が近年までなかったんですよね。

 

  表現者としてのまなざし

湯浅 古川さんが書かれたのは『平家物語』に通じるような語りで、出来事が行きつ戻りつしながら描かれていますよね。それを映画にする際には、ひとつのクライマックスに向かって集約したほうがいいだろうということで、順番が少し変わりました。お父さんのことは、同情的な目で見ているスタッフもいましたね。

古川 それはやっぱり、表現者の側にいるからじゃないですか。ああいうキャラクターをむごい、ひどいやつだと言う人もいるだろうし。

湯浅 そうですね。でもやっぱり、あそこまでのことをしているんだから最後は報いを受ける。それが彼の望んだ花ということでもあるのかもしれないけど、息子が脚光を浴びている裏であの出来事は起こっている。設定では雷が落ちて燃えて、彼がどういう目に遭ったかは誰も知らないんです。彼は残れなかった。

古川 ステージ真裏の誰も見てないところで起こった、グロテスクなスペクタクルですよね。さっきの「ありえない式」の話で言うと、一番醜いものがビッグバンを起こしたら、それがエネルギーに転換されて、犬王の最後の直面ひためんに目を向けるところまでいく。後ろから推進力をもらっている。結局父ちゃんもエネルギーを与えてくれたように見えましたね。

湯浅 ラストシーンに関しては原作を読んだときに、なんで三〇〇年、間があったんだろうと思って。彼は友魚が死んだと知らなかったであろうと思いたいし、名前が変わっていたからとも解釈できる。名前というのは、自分で決めた生き方ですよね。それが誰にも、友にも認められてないと思ったから、友魚は本当の自分も見失ってしまった。犬王も形としての美を求めていたのではなく、純粋な自分のやる気とか友魚との友情の中で生きていたんだということがわかるようにしたいと、それは最初のころから思っていたことです。あとは醜いものが悪いというふうに否定はしない映画にもしたかったんです。

古川 名前ということでいえば、犬王という名前自体に悪い意味はなくて。犬が当時よく人名に使われた字だという歴史学者の解釈とは別に、「犬」という漢字の中には「人」がちゃんと入っていて、そのうえで何か足しているんですよね。尻尾なのか、琵琶なのか……。だから人間が上から見てケダモノだと言っているのではなくて、むしろ人間にプラスされたものを持ってしまって、その力を引き受けている。

湯浅 下に見るのではなくて、畏怖の対象としているところもあるんですね。

古川 逆にそういう名前をつけることによって、普通の人とは違う力を持っているとみずから誇示することにもなる。

湯浅 なるほど。そういう人を見るときは、やっぱり扇子のあいだから見たりすることになるんでしょうね。不思議な、独特な見方だと思います。でも動物の名前は幼少のころにつけることが多かったとも聞きました。犬王の幼名は残っていないんですよね。

古川 一度は考えましたけどね。「寝丸」と書いて「いねまろ」とか(笑)。まあ名前が増えすぎるのは良くないなと思って、友魚のほうだけにしました。

湯浅 幼少期の描き方では、犬王のまっすぐさとか純粋さを強調したいと思いました。小さな変化はアニメーションでやるとあんまり目立たないので、外形的に遠くから見ても変化がわかるような感じがいいと思って、ちょっと極端にやっています。

古川 犬と寝ているところかわいかったですよね。不幸で不遇な幼少期を送っているんじゃないかと思いがちですけど、犬王は周りに犬しかいなくて、誰からも顧みられなかったら不幸なんて感じるわけがないんです。そのことが、アニメでは犬たちと戯れて一緒にご飯食ったりして幸せそうにサヴァイヴしている姿によって、納得できる形に表現されていると思います。

湯浅 犬王が明るく居られた理由を示しておきたいと思って表現しました。ああいう境遇でも本人はたぶんそう思ってないんですよね。どんな形であっても生まれ落ちることができたのは助けがあったから。友魚も目が見えなくなったけど、逆にそれで開発された部分があって、もしかしたらそこで耳が強くなって音に敏感になって、音楽の方に行ったのかなと思いました。僕たちも普通に目をつぶってみるだけでも、なんとなくそこに風が通っているかどうかを感じることができるし、何か遮蔽物があるということもわかる。音響の方と話をすると、部屋の広さも音を聞くだけですぐわかるそうなんです。だから、目が見えないというと「あれができない」「これができない」と狭めて考えてしまうけど、他の手段を使って同じように認識できることがあるんですよね。

古川 去年、東京パラリンピックをやったときにNHKが視覚障害の人たちにはどんなふうに世界が見えているのかという短いアニメーション番組を流したんです。そこに鳥が飛んでいたり、ビルがあって道路があったりするのは僕らが認識しているようにもちろん摑めるし、それ以上に音のサイズが大きいか小さいかなどの変化もはっきり感じている。いま湯浅さんが語られたこととまるっきり同じ世界なんですよね。

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