単行本 - 日本文学

岸政彦・柴崎友香の初共著エッセイ『大阪』より「はじめに」を特別公開

 

「文藝」連載時より反響を読んだ、岸政彦さんと柴崎友香さんによる初共著エッセイ『大阪』。大学生のときに大阪に住みはじめて現在に至る岸さんと、20代後半で生まれ育った大阪を出て東京に住み始めた柴崎さん。おふたりの「大阪」への交差する視点は、世間一般で言われがちな「コテコテ」「たこ焼き」「アクが強い」といった「大阪」イメージとは異なる、誰もが知っているけれど知らなかった、大阪の街と、そこに生きる人々が描き出されています。

誰もが持つ、住んでいる/暮らしたことがある土地への思い出。
街のどこか、あのとき、あの場所ですれ違っていたかもしれない、あの人。
『大阪』は、私たちが生きてきた土地と出会った人々への捨てられない想いを、やわらかく浮かび上がらせてくれるようです。

おかげさまで好評につき重版となりました。
岸さんによる「はじめに」、柴崎さんによる「おわりに」を公開します。

 

 

はじめに

 

岸政彦

 

 仕事に疲れ果てると(といっても座ってるだけの仕事だが)、よくマッサージに行く。
 マッサージが好きだ。妙な話だが、揉まれていると地図が浮かぶ。なぜか大阪ではなく那覇の地図だ。背骨は五十八号線で、その両側に一銀通りや若狭大通りや沖映通りが広がっていて、位置関係はおかしいけど、背中を揉まれながら、那覇の街を歩いているような気分になる。
 揉まれながら話を聞くこともある。よく喋るタイ人のおばちゃんは大阪に来てもう二十年で、ちょっと片言だけど立派に大阪弁だ。娘が二人いて、下の子はまだ小学生だが、上の子はもう二十歳で、自分でバイトして「学校」に通っている。大学なのか専門学校なのかちゃんと聞かなかったけど、ひとりで学費も稼いでて偉いな、と言った。
 大阪に来てから上の娘が生まれたのか、それとも娘ができてから大阪に来たのか。父親が大阪の男だったのだろうか。
 思わず自分の二十年を考える。二十年前はまだ結婚したばかりで、おはぎときなこという子猫を拾って、安アパートで暮らしていた。たいした業績もなく、大学教員として就職する可能性は限りなくゼロで、将来の見通しは真っ暗だった。
 それでも毎日なんとか楽しく暮らしていたとは思う。そしてそのタイ人の彼女も同じ時期に大阪へやってきて、娘がふたりできて、そして今でも大阪のマッサージ屋で、毎日お客さんの背中を揉んでいる。
 おばちゃんの二十年。私の二十年。
 つい先日も、溜まりまくっていた仕事で疲れ果て、連れあいの齋藤直子(おさい)と一緒に、そのタイマッサージ屋に行った。
 二つのブースに分かれて揉まれていると、奥から子猫の泣き声がした。
 子猫の泣き声は、先端に鉤針が付いていて、人の脳に刺さると、抜けない。
 気が気でなくなって、マッサージどころじゃなくなったけど、そのまま揉まれていた。
 終わってからおさいがおばちゃんにいろいろ聞いてる。
「壁の中から出てきた」ということだった。
 大阪の場末の、古いビルで、たまに天井裏でどこかの猫が子どもを生んでしまうらしい。その日も朝から子猫が必死に泣く声がして、いろいろ探したんだけど、いない。ついに近所のひとに頼んで壁に穴を開け、そこから救出したらしい。
 豪快なことするなあ。
 その子猫見たいって言ったら、見せてくれた。おばちゃんたちの控室に、その子がいた。
 ひっくり返した小さな洗濯カゴをケージのかわりにして、そのなかに閉じこめられて、こちらを見上げて泣きわめいていた。声が脳にささる。
 いったん店を出たけど気になって気になって、隣のコンビニでやわらかいキャットフードをたくさん買って、もういちどマッサージ屋に戻って、これあげてくださいってお願いした。
 閉じこめられたカゴのなかには、牛乳を入れた皿があったけど、もちろんそんなもの飲まない。
 あれは何だろう、「猫には牛乳」という都市伝説。というより、デマといってもいいと思う。昔の日本の学校の、スポーツ中に水を飲むなというデマと同じぐらい有害だ。
 トムとジェリーの影響だろうか。
 猫には牛乳ではなくちゃんとキャットフードをあげなければいけない。
 子猫に食べものをたくさん差し入れして、あとはおばちゃんたちに任せて、とにかく牛乳なんか意味ないからちゃんとごはんあげてね、とお願いして、子猫の写真を撮って、家に帰ってFacebookに載せたら、すぐに友だちから連絡があって、実は可愛がって飼っていた猫が一歳にもならずに病気で亡くなって、また子猫がほしいと思っていたところに私の投稿を見て、これも何かの縁なので、ぜひ引き取りたいと言ってくれた。
 次の日、私もそのタイマッサージの店に行って、友人と待ち合わせをした。また子猫を見せてもらった。前の日に差し入れしたごはんを少しもらって、自分であげてみた。子猫は必死に食いついてきて、信じられない量のごはんを平らげた。「ちゅ〜る」を一袋平らげてもまだ満足できないようで、力まかせに私の指に噛みついてきた。子猫のあま噛みなので痛くない。
 よっぽどおなか減ってたんだろうな、ずっと。
 子猫は無事に、友人の家にもらわれていった。毎日インスタに写真と動画があげられていて、溺愛されているようだ。そして毎日元気に、飼い主の指に噛みついているらしい。おなかを減らしているときに、噛み癖がついてしまったようだ。
 だから何、という話でもないが、タイ人のおばちゃんが二十年前に大阪にやってきて、ふたりの娘を育て、私は一文無しの院生から大学に職を得て本を書くようになり、そして壁から生まれてきた子猫は友人のところへもらわれて、元気に指をあま噛みしている。
 先週、もういちどそのタイマッサージ屋に行って、また揉んでもらった。三連休のあいだに学会が二つ、研究会が二つ、トークイベントが一つあり、すべてオンラインで、すべて主催者だったり理事だったりシンポの登壇者だったり出演者だったりして、気が休まることがなく、疲労困憊して、また揉まれに行ったのだ。
 店長のおっちゃんと、あのときにいたタイ人のおばちゃんに、友だちがインスタにあげてるその猫の写真を見せた。
 その古い雑居ビルでときどき子猫が生まれると引き取って、その店長の家にはもう三匹も猫がいるらしい。
 こんどあの店長さんの生活史聞きたいなと思った。

 

       *

 

 柴崎さんは二〇〇五年に大阪を出て東京に行った。「出て東京に行った」といっても、柴崎さんご自身は大阪から出ていったという感じではなく、いまも変わらず大阪にいて、ただ東京に「長期出張」してるだけみたい、と言っていた。
 私は一九八七年に大学進学のために大阪にやってきて、そしてそのまま居着いている。三十年以上も住んで、家も建てて、本籍も移したが、それでもやはり大阪は私にとっては生まれ育った街ではなく、「あとからやってきた街」だ。
 柴崎さんの作品で、『わたしがいなかった街で』という、とても好きな小説がある。このタイトルを真似していえば、柴崎さんにとっては大阪は「わたしがいなくなった街」で、私にとっては大阪は、「わたしがやってきた街」である。
 そして、柴崎さんは、本書の一四一ページで、「鉄男」という映画を扇町ミュージアムスクエアで見た、と書いている。驚いたことに、私も同じ映画を同じ場所で見ているのだ。だから大阪は、「わたしたちが出くわしていたかもしれない街」でもある。
 大阪とは何だろうか。大阪を書く、ということは、どういうことだろうか。なにをすれば、大阪を書いたことになるのだろう。
 私たちはそれぞれ、自分が生まれた街、育った街、やってきた街、働いて酒を飲んでいる街、出ていった街について書いた。私たちは要するに、私たち自身の人生を書いたのだ。私は、そしておそらく柴崎さんも、大阪という街そのものがどういう街で、それをどう言葉にすればよいのかわからない。ただ言えることは、柴崎さんはここで生まれ育ち、大学を出て、仕事をして、小説を書くようになった、ということだ。そして私は大阪へやってきて、大学を出て大学院に入り、職を得て、論文や小説を書くようになった。そのあいだに二人とも、たくさんの人びとと出会い、さまざまな体験をして、数多くの映画や音楽や文学を知り、そうすることで、自分の人生を築いてきた。

 大阪を語る語り方が「コテコテ」から遠く離れたのは、いつからだろうか。いまではもう、たこ焼きやヤクザや吉本で大阪を語るものはほとんどいない。
 柴崎さんがここで書く大阪は、貧しくなる前の大阪、そこらじゅうに小劇場やミニシアターやライブハウスがあり、いつもどこかでアート展や演劇やお笑いライブが開催され、洋書や写真集や画集が並ぶ書店にはいつも人がいっぱいで、チェーン店ではなく個人が経営する美味しい店が並んでいて、すこしバイトをすればぜいたくはできないが飯は食っていける、そんな大阪だ。
 そして、私が見てきた大阪は、そういうものがほとんどなくなり、すてきな小物が並んでいた雑貨屋やセレクトショップもばたばたと倒れて、焼け野原になったところにコンビニとユニクロとイオンがまるで墓標のように立ち並んでいく、そんな大阪だ。
 それでも私は、そしてもちろん柴崎さんも、そんな大阪を愛している。
 私がはじめて書いた小説は「ビニール傘」という短編で、此花区や大正区や港区が舞台になっている。私はこの小さな作品のなかで、あの大阪の「左半分」の、埋め立て地に特有の、すこし寂しく、静かで、だだっ広い感じを書きたかった。そして柴崎さんもこのあたりのご出身で、だから私の小説の書評で、ここで描かれた風景には見覚えがある、と書いてくださった。
 私はあの、すこし寂しく、静かで、だだっ広い大阪が好きだ。あの風景が、この三十年のあいだに私が見てきた大阪だ。

 私も柴崎さんも、大阪を書くことを通じて、大阪で生きる自分の人生を書いた。大阪とは、あるひとつの、「そういう空間」のことだが、私と柴崎さんにとってはそれは、暮らしていた街、暮らしにきた街ということでもあり、だからそれは、「そういう時間」のことでもある。大阪とは、単なる地理的な位置や境界線のことを指すのではなく、そこで生きている時間のことでもあるのだ。
 大阪という空間、大阪という時間。
 だから、街は単なる空間なのではなく、そこで生きられた人生そのものでもある。ただ単に空間的に人びとが集まっているだけではなく、人びとの人生に流れる時間が、そこには集まっている。

 大阪が好きだ、と言うとき、たぶん私たちは、大阪で暮らした人生が、その時間が好きだと言っているのだろう。それは別に、大阪での私の人生が楽しく幸せなものだった、という意味ではない。ほんとうは、ここにもどこにも書いてないような辛いことばかりがあったとしても、私たちはその人生を愛することができる。そして、その人生を過ごした街を。
 そういうことが、大阪が好き、街が好きということなんだろうと思う。

 

 

*本書の刊行を記念して、著者の岸政彦さん、柴崎友香さん撮影の特別写真パネル展を丸善京都本店梅田蔦屋書店で実施中。
 
梅田蔦屋書店の詳細はこちら。(〜2/28)
『大阪』刊行記念 岸政彦・柴崎友香 写真パネル展
 

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著者

岸 政彦(きし・まさひこ)

1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』、『断片的なものの社会学』、『はじめての沖縄』、『マンゴーと手榴弾』、小説に『ビニール傘』『図書室』などがある。

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