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スペイン語圏を代表する作家フリオ・リャマサーレスの自選短篇集が発売!——『リャマサーレス』短篇集「訳者あとがき」公開 - 4ページ目

 ここに訳した『僻遠の地にて』には七編の短篇が収録されているが、ほとんどがブラック・ユーモアをたたえた作品になっている。つまり、醇朴じゆんぼくで憎めない人間なのだが、感情のコントロールが下手な上に、何事につけ不器用で、こだわりが強すぎるという性癖がある。そうした人物たちが織り上げる悲喜劇がここでは語られている。読者は読み進みながら、自分が向かっている方向が破滅につながっていると気づいているはずなのに、人物たちが感情をコントロールすることができず悲劇的な結末へと突き進んでいく、その姿にはらはらしながらも思わず吹き出してしまう。ただ、その背後に作者の人物に対する愛情のこもったやさしいまなざしがあることは言うまでもない。ここにある笑いは、黒い哄笑にちがいないが、そこには作者の深い共感と愛情が込められている。簡潔平明で、無駄のない語り口に乗せられて一気にこの作品を読み終えた読者の心の中には、ここに描かれている愛すべき人物たちの姿とその生きざまが深く刻み付けられることだろう。
 この作品から十六年後に出版された『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』には、スペイン内戦の残した深い傷跡が今も風化することなく残されているエピソードを語った「行方不明者」、「夜の医者」、あるいは少し手を加えれば長篇小説になったのではないかと思われる、報われざる恋を描いた「マリオおじさんの数々の旅」、消えゆくもの、失われゆくものへの挽歌「尼僧たちのライラック」や「プリモウト村には誰ひとり戻ってこない」などヴァリエーション豊かな数々の作品が収められていて、読む者をリャマサーレスならではの世界へと引き込んでいく。ここに紹介したいかにもリャマサーレスらしい刻印の押された独自の作品世界を楽しんでいただければ、訳者としてはそれに勝る喜びはない。

 今回の翻訳は、Julio Llamazares, Cuentos cortos, Debolsillo, Penguin Random House Grupo Editorial, 2016. を底本として用いた。

 以下は余談である。
 大学に残ってしばらくの間、二十世紀初めに活躍したスペインの作家のものを中心に読んでいたが、心を揺り動かされるような作品に出会えず、先の見えない状況に追い込まれた。そんな時、大学の学生食堂にひとりのメキシコ人が迷い込んできて、目の前の風景が一変した。
 たまたま食堂に足を向けたところ、学生のひとりが近づいてきて、先生、助けてください、メキシコ人が来ているんですが、何を言っているのかよくわからないんです、と訴えてきた。話を聞いてみると、そのメキシコ人は禅の勉強がしたくてメキシコからやってきて、現在寺に滞在しているのだが、禅を学ぶには日本語をマスターする必要があると言われて、この大学なら誰か教えてくれるだろうと思ってやってきたとのことだった。彼としては藁にもすがる思いだったのだろうが、だしぬけに「どうだろう、君が教えてくれないか」と言われて、こちらは困惑した。放っておけないと思い引き受けることにしたが、日本語を教えるにも、経験がなかった上に、日本語教本があることすら知らなかった。そこで、彼が宿泊している禅寺へ行き、テキストもないまま日本語の会話からはじめることにしたのだが、話好きな彼は勉強にまったく身が入らず、次から次へといろいろなことを話題にしてしゃべり、ぼくの方はもっぱら聞き役に回っていたので、彼の日本語能力はまったく伸びなかった。そんな中、ある日たまたま文学の話になった。すると、彼はがぜん勢いづいた。「今はスペイン文学よりも、ラテンアメリカの文学の方がはるかに面白いぞ。迷っているのなら、今すぐ乗り換えろ。そうそう、ぼくはいま、アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルにはまっているけど、この作家はすごいよ。ぼくがはるばる日本まで来たのも、彼の小説『石蹴り遊び』に惚れ込んだせいなんだ。あの小説には、禅の話が出てくるけど、そこを読んでぼくは日本に来て禅を学ぼうと考えたんだ。ああ、そうだ、ちょうど手元に『石蹴り遊び』が二冊あるから、一冊持ってかえるといい」そう言って、全体が真っ黒で、表紙に石蹴りの図が描かれている、恐ろしく分厚い本をスーツケースから取り出してきて、固辞するぼくに無理やり押し付けた。
 彼と別れたあと、帰りの電車の中でどんな本だろうかと思っておそるおそる『石蹴り遊び』を開いて読みはじめたが、最初の数ページで完全に魅せられてしまった。とりわけ、冒頭の「ラ・マーガに出会えるだろうか」という一文に驚嘆した。それまでに読んだどの小説にも出てこなかった衝撃的な一文だっただけでなく、いい作品に出会えないだろうかと必死に模索していたぼくに、一筋の光明をもたらしてくれそうに思えたのだ。あの一行を読んで、こんな書き出しの小説があったのかと感動し、瞬時にぼくはコルタサルの作品に引き込まれ、以後『石蹴り遊び』を何度も読み返した。その後、彼の作品をできる限り集め、さらにそこからボルヘス、ガルシア゠マルケス、バルガス゠リョサ、カルロス・フエンテス、オクタビオ・パス……といったラテンアメリカの現代文学を代表する作家、詩人の書いたものへと視野を広げて読みふけるようになった。あの時もしメキシコ人のラウル君に出会っていなかったら、今頃自分はどこをさまよっているだろうと思うことがある。
 それから二十年余り、ぼくは当時〈ブーム〉と呼ばれていたラテンアメリカ文学に親しんできたが、さすがに年数が経つと新大陸の文学にも陰りが見えはじめた。生気にあふれた新大陸の作家たちも、あるものは鬼籍に入り、あるものは作品を書いても、そこに老いのかげが感じ取れて、往年の覇気、生気が感じ取れなくなった。その後に登場してきた〈ポスト・ブーム〉と呼ばれる若い作家たちの書いた作品も読んでみたが、以前のように心に強く響くことはなかった。つまり、それだけぼく自身が老いたということだろう。

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