日本文学

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末期がんで亡くなったラッパーECDの妻が明かす 残された二人の娘と過ごした家族の日々──植本一子 著『台風一過』書評

  タイトルどおり読後感さわやかだ。これを読んで植本一子(いっちゃん)はやはりすごいなと思った。いっちゃんと同じように書き仕事をしつつ音楽をやり、シングルの親として三人娘を育てている私は、実家の近所に越したこともあって、地方ライブのときは預かってもらえる環境がある。広島出身のいっちゃんは、

感情を言語化するまでの距離──ミヤギフトシ 著『ディスタント』書評

 恋愛、友情、家族のような「親密さ」をめぐる話は、なかなか深掘りして話しにくい。友人など近しい相手にならできても、仕事つながりの場だと、避けたり。生活の中のささやかな出来事や、セックスが絡んでくると、内実の説明に言葉が尽くせない場合が多い。論理が及ばないところがある。他方、「彼氏・彼女がいるのかどう

傾聴されなかった者たちの語り──赤坂真理 著『箱の中の天皇』書評

 まだ返事をしていない、と思っている。あの夏、話しかけてくれた人に、私はまだ返事をしていない。「個人として考えてきたこと」を命がけで打ち明けてくれた人に、私は何を返せるだろうか。その道は閉ざされているのに。幾重にも隔てられたかの人と私の間には、しかし紐帯(ちゅうたい)があるのだという。血の通った肉体

アイデンティティに苛まれて──町屋良平 著『ぼくはきっとやさしい』書評

 本作のキーワードは「男メンヘラ」。「メンヘラ」って今や多くの人が使いますが、実ははっきりとした定義がない曖昧な言葉です。でも通底した雰囲気はあって、孤独、不安、卑屈、不安定など、生きづらさを感じさせます。その要因となる様々なものの中の大きな一つが、「自分とはなんぞや」という哲学のような問題。個人差

僕の居た場所──高山羽根子 著『居た場所』書評

「初めてのひとりで暮らした場所に、もう一度、行きたい」登場人物の小翠(シアオツイ)がいう。語り手の〈私〉も仕事を休んで小翠と共にいくことにするのだけれど、旅程を調べているとき、小翠が暮らしていた一帯の地図が見えなくなっていることに気づく。故郷ではなく、居た場所の情報が消えている。『居た場所』の表題作

上演は「字」で繰り返される──柳美里『町の形見』書評

 書評を任されておきながら、正直に白状すると、実はこの本と正面から向き合うことができていない。まだ冷静に読めないのだ。本の中に震災に関する詳細な記述があり、しかもそれらがみな実際に被災した七人の体験として書かれている。実際にそれを体験した人の悲しみやご苦労を考えると、わけのわからないものが胸にこみ上

多視座で世界を捉え直す試み──陣野俊史『泥海』書評

 二〇一五年一月七日。フランス、パリの風刺新聞社「シャルリー・エブド」襲撃事件およびユダヤ系食品スーパー襲撃事件。イスラム過激派による犯行として日本でも連日報じられたことを記憶している人は多いだろう。この事件は表現の自由論争を引き起こしたが、『泥海(どろうみ)』ではそこには重きを置かず、犯人たち及び

文芸季評 山本貴光「文態百版」:2018年12月~2019年3月 女の地獄巡り・言語・技術的無意識

1 評する者が評される文章を読み始める。書き手の言葉の調子と、読み手の意識の状態とは大きさと回転速度の違う二つの歯車のようだ。はじめはどこで接し合えばよいか分からず、それでも読み進めるうちにやがて眼や意識が文章に慣れて歯車がかみ合いぐんぐん先へ運ばれていくこともあれば、どこまで行ってもちぐはぐでガタ

闇からの一撃──辻原登『不意撃ち』書評

 私の信念のひとつに、「想像しうる悪いことは、現実には起こらない」というのがある。たとえば飛行機に乗るときには、敢えて墜落について想像をたくましくする。そうすれば、私が搭乗した飛行機はぜったいに落ちないというわけだ。根拠はない。しかし、奇妙な確信めいたものはある。だってそうだろう。最悪なことは、私た

文芸季評 山本貴光「文態百版」:2018年9月〜2018年11月 第4回

初出=「文藝」2019春季号(第1回/第2回/第3回) 1 遊びが足りない?本欄は、季節に一度、最も遅れてやってくる文芸時評として、二〇一八年の春に始まった。これまで三度書いてきた。今回で一年が巡るということもあり、ここまでの感想を述べる。率直に申せば少々つらい。ヤブカラボーにそんなことを

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