単行本 - 外国文学
スペイン語圏を代表する作家フリオ・リャマサーレスの自選短篇集が発売!——『リャマサーレス』短篇集「訳者あとがき」公開 - 5ページ目
木村榮一
2022.05.27
そんなぼくの前に、またしても思いもよらない偶然のおかげで新しい扉が開かれることになった。ぼくが勤めていた神戸市外国語大学のイスパニア学科が、マドリッドの東三十キロほどのところにある、セルバンテスの生地として名高いアルカラー・デ・エナーレスという町の、由緒あるアルカラー大学と教員交換の提携を結び、毎年半年間、互いに教員を相手方の大学に派遣することになった。ぼくも何度かあの大学で教鞭をとって日本語を教えたが、ある年の学期末、ロシア語を教えていたルドミラ先生が、各言語を教えている先生方を集めて、「ねえ、みんな、私たちは次にいつここに来られるかわからないでしょう。つまり、今回限りでもう二度と顔を合わせることがないかもしれないでしょう。だったら、せっかくの機会だからみんなでお別れパーティをしましょうよ」と呼びかけた。むろん、ぼくたちに異存があるわけはなく、もろ手を挙げて賛同した。
かくして、それぞれに料理とお酒を持ち寄って、ワイワイ、ガヤガヤにぎやかにパーティをはじめた。パーティは大成功で、大盛り上がりに盛り上がり、一人ひとり歌をうたったり、踊ったりと、まことににぎやかなことになった。ヨーロッパ系の言語の先生が中心になり、アラビア語や日本語の先生をくわえて酒盛りをし、それぞれが自国の歌をうたいはじめた。そんな中、ハンガリー語の先生マルタさんはにこやかな笑みを絶やさずグラスにウオッカをついでは、まるで水でも飲むようにひとりクイクイ空にしていた。やがてお酒がまわったのか、背は高くないがいかにも東欧の農婦といった感じのがっしりした体形の彼女が立ち上がると、ワイン・ボトルを持ってフロアに進み出て、ボトルを部屋の中央に置き、歌をうたいながらそのまわりで奇妙なステップを踏みはじめた。
歌詞が何語なのかわからなかったが、あとでマルタさんに訊いたところではギリシア語とのことだった。ゆるやかなテンポの歌に合わせて、彼女はその体形に似ず軽やかなステップでボトルを中心にして踊り——というよりも、あれは「舞う」と言うべきだろう——はじめた。彼女は足を高く上げてボトルすれすれのところを通過させるかと思えば、左右交互に足を踏みかえてくるくる回転しながら舞っていた。軽やかなステップを踏んでいる彼女を見ているうちに、ぼくはふと、彼女が大草原の中で踊っているような錯覚にとらえられた。たしかハンガリー人の血の中には、遠い先祖のフン族、あるいはマジャル人とよばれた遊牧民の血が何割か流れていると言われている。多くの異民族(ぼくたちのことだが)と同席して、聖なる酒を浴びるように飲んだマルタさんの身体の中でその先祖の血が目覚め、あの場をミルチャ・エリアーデの言う「力の顕現」、「聖の顕現」の場に、つまり「それまでは俗的空間」であったものを「聖なる空間」(『聖なる空間と時間』久米博訳)に昇華させるために、神聖な儀式を執り行おうとしたのではあるまいか、と勝手な空想にふけった。われわれは憑かれたように、彼女が軽やかなステップを踏んで舞っているのを眺めていた。やがてマルタさんはボトルを床からひろい上げると、頭の上に載せようとしたが、うまくいかなかった。「だめね」と言って、ボトルに水を入れ、重くしてから再度試みたが、それもうまくいかなかった。すると、出しぬけにボトルをつかんで床に投げつけ、粉々に砕いた。その場に居合わせた者は、思わず「アッ」と声を上げたが、マルタさんは何事もなかったかのように平然と動じる風もなく「だめね」と言ったあと、ぼくの前の席に戻ってくると、ふたたびウオッカのグラスを傾けはじめた。その時、ふと思い出したようにぼくの方を向いて「キムラ、あなたはよくラテンアメリカ文学の話をするけれど、スペインにもすごい作家がいるのを知っている? フリオ・リャマサーレスという作家なんだけど、だまされたと思って一度彼の『黄色い雨』を読んでごらんなさい」と言った。スペインの現代小説には疎かったので、助言を聞いた次の日、早速行きつけの書店に足を向けて『黄色い雨』を取り寄せてもらって読みはじめたが、マルタさんの言葉通りすばらしい小説で、ぼくは取りつかれたように読みふけり、これはどうしても訳したいと思ったのを今でもよく覚えている(以前、別のところで『黄色い雨』のことを教えてくれたのは、親しくしていたある書店のご主人ハビエルさんだと書いたが、それはぼくの記憶違いで、あの小説のことを教えてくれたのは大いにきこしめしていた巫女のマルタさんだった)。
あの小説に出会ってぼくはふたたび生気を取り戻し、リャマサーレスの作品を夢中になって読みふけるようになった。